あの時はこんなことを感じ考えた。今はどう?(心の混沌を言語化するプロジェクト)

ありを・アッと・ノベルバ

1.見えないものの「信じ方」

僕は神や霊を盲目的には信じていない
しかし真っ向から否定しているわけでもない

いうなれば…理性で信じている

そのきっかけとなったのがこの話だ


* * *


* * *


もう高校生になる息子がまだ小さい頃
うちにはウサギがいた

ブルーグレイの小さくて綺麗なウサギだった



今から15年前
そのウサギが6才の秋
急に倒れて動かなくなった

僕は仕事だからそこにはいない
家にいたのは妻と息子だ

その妻は倒れる瞬間を見ていたらしい

もとはと言えばそのウサギは
ひとりの時間が寂しいと
妻が欲しがり飼い始めたのだった

だから妻はそれはそれは驚き慌て
かかりつけているところは遠いから
最寄りの病院に電話をし
ウサギはキャリーバッグに
2才の子は空いた手に
文字通り走ったという



しかし間に合わなかった

腸閉塞が原因のようだった
数日前にも食欲がないのが気になって
かかりつけ医に行ったばかりだった

その後食欲も戻り元気に見えたのは
変調に気付けていないだけだった

突然のことに悲しみながら
かといって亡骸を放っておくわけにもいかず
妻はペットの霊園を探し
葬儀までの一切を依頼した

可愛がっていた妻が一番悲しんだ
僕はそれを見て悲しんだ
唯一息子だけが変わらなかった

…いや
まだろくに話せなかったから
僕がそのように見てとっていただけだった

目を離すとケージに入りこむほど
息子はウサギに慣れていたし
迷惑そうにしながら噛みつきもせず
ウサギも息子に馴れていた

でも幼い息子はまだ
悲しみを感じ表すほど成熟しておらず
それが大人にはせめてもの救いだったのだ


* * *


お経も上げてもらえる霊園から
きちんとご供養しておりますと連絡を受け
お骨は受け取らないことにしたのだから
お参りには行こうと思いながらも
仕事と子育ての忙しさにかまけて
瞬く間に1年が経とうとしていた頃

息子がウサギの名を呼ぶようになった
部屋の上の方にいるのだと言う

そう聞いても自分では見えない大人はふたりとも
「子供には見えるって本当なのかもね」
などと顔を見合わせるしかなかった

だから霊園から
「一周忌を機にぜひご法要を」
という主旨の通知が来たときは
さすがに一も二もなく参じる日を霊園に伝えた

折良く穏やかとなった休日
霊園の受付で案内され
合同墓地まで急な階段を上っていった

階段の半ばを過ぎると
「本日は慰霊塔の前に建ててあります」
と説明された卒塔婆が見えてきた

五、六枚が塔の正面に立てかけられている

あれのどれかなんだねとか言いながら
僕らが最後の一段二段に差し掛かったとき

一枚の卒塔婆が倒れた

吹く風も感じない日

並ぶ他の何枚かは揺れもせず

ただその一枚だけが

くるりと舞うように倒れた



それが僕らのウサギの卒塔婆だった


* * *


あの日霊園から迎えに来た車に預けたきり
火葬の日もその後の法要の日も
一度も霊園に行かなかった

行くべき場所を知らないウサギは倒れた後も
僕らの家の縄張りにしていたその部屋にい続けた

それが息子にはときどき見えた


やっと僕らがお墓に行く気になって
それでウサギも行く気になって
僕らと一緒についてきた

そしてあの日階段の上まで来たときに

はじめて自分の新しい居場所を見つけて

勢いつけて飛び込んだ


その弾みでくるりと舞ったのが

あのときの卒塔婆

…だったのだろうか



子育てで忙しいという言い訳を
僕らは心のどこかで気にはしていた

だから
大人が悲しむのとは違う
幼児の悲しみの表し方を拠り所に

過ごした時間や
その間の記憶や
その後の経緯を
都合よく繋いだ解釈だ


あの時 実は向こうから吹いたかもしれない微かな風や

もともと一枚だけ傾いて立てかけられていたかもしれない卒塔婆や

忘れているけれども他の卒塔婆も揺れ動いたことやなんかを

ぜんぶ記憶する前に脳から閉め出して…



「そんなまさか」と「いやあるいは」とを
僕たちはどちらかに決めることをせず

理性の陰で「思い出」にしているのだと思う

これが僕らの

いや少なくとも僕の

「信じ方」

なのだ



* * *



* * *



* * *



ところでその息子は十代も半ばを過ぎた

「今も何かが見える」
などというようなことは無論言わない

あの時のことも全く覚えてないと言う


ただ

だからといって鼻で笑うこともない


彼なりの「信じ方」なのだと解釈している

そしてそのあり方を僕は気に入っている

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品