才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(19)二人の影働き

 エセリア様とマリーリカの発表が終わり、椅子から立ち上がったエセリアが前方に進んだ。そしてマリーリカと並んで一礼すると、会場中の生徒が一斉に立ち上がり、大きな拍手を惜しみなく彼女達に送る。シレイアも周囲に負けじと勢いよく両手を打ち合わせていたが、グラディクトが凄い勢いで舞台に駆け上がるのが見えた。

「何をやってるのよ、あの考えなしは」
「さあ? アリステア以上に目立つなとか、文句を言っているとか?」
「うわ、言いそう。本当に言っているとしたら、頭が悪すぎだけど」
「おい、教授達も大挙して登壇したぞ」
「あら、本当だわ。面倒な事にならなければ良いけど。あ、ちょっと、ローダス」
「シレイア? どうかしたのか?」
 興味津々で舞台上でなにやら揉めているらしい一団を眺めていたシレイアだったが、周囲の異変に気づいてローダスの袖を軽く引いた。対するローダスも、会場全体の状況に気がつく。

「いやぁ、最後の発表は凄かったな」
「本当に。鳥肌が立ったぞ」
「さすがエセリア様ですわね」
「マリーリカ様との息もぴったりで」
「最後を飾るに、相応しい発表でしたわね」
「グラディクト様も感動して、舞台に駆け上がっていらしたぞ」
「あんな素晴らしい演奏と独唱をされたのですもの。当然ですわ」
「本当に、王子殿下の婚約者に相応しい発表だった」
 生徒達が口々にそんな事を言い合いながら、椅子の並びを抜けて通路に出て、講堂の出入り口に向かって歩き出す。そんな周囲を、二人は冷静に眺めた。

「当然、こうなるよな」
「そうよね。発表者の列の端に座っていた、エセリア様とマリーリカ様の発表が終わったのだもの。もう全員の発表が済んだと考えるのが自然よね」
「まさか実行委員長の席に能天気に座っている人間が、最終演者だとは誰も思わないよな。音楽室の一つを貸し切りにされ、自分達の練習に支障が出た他の発表者達は知っているだろうが」
「こうなる事を見越して、進行予定表や参加者一覧などもこの場に貼り出さないように、エセリア様が教授達に助言していたものね」
「舞台の上を見てみろよ。最初からうんざりしきっていた教授達の顔が、お二人の演奏と歌声に度肝を抜かれて一変して、喜色満面になっているぞ」
 苦笑いでローダスが指し示す方に目を向けたシレイアは、吹き出しそうになるのを堪えた。

「あら本当。開始直後とは雲泥の差ね。もうどこぞのお花畑カップルに迷惑をかけられたことなんて、どうでも良いみたい」
「教授達は散々迷惑をかけられたはずだし、最後にこういう喜びがあっても良いんじゃないか?」
「確かにそうね。グラディクト殿下の方は、怒りで顔が真っ赤なようだけど」
(お二人の練習を直に見る機会は無かったから、ちゃんと人目を引けるかどうか少し心配していたのだけど……。無用の心配だったわね。本当に素晴らしかったわ)
 シレイアが感動の余韻に浸っていると、ここで講堂内にグラディクトの怒声が響き渡った。

「おい、全員戻れ!! まだ音楽祭は終わっていないぞ!! 外に出た者も、全員呼び戻せ!!」
 それを耳にした生徒達は、怪訝な顔で足を止めて戸惑う表情になった。同時にグラディクトの側付きの者達は、出て行った生徒を呼び戻す為に講堂の外へと駆け出して行く。

「あら、悪あがきをするみたいよ?」
「ここで潔く諦めてくれたら、随分楽だったんだがな」
 少々意地の悪いシレイアの呟きに、ローダスが溜め息まじりに応じる。
 グラディクトの叱責に、生徒達が納得しかねる顔付きで徐々に戻って着席したが、特に出入り口に近い後方の席に、空席が目つ結果となった。

「後方の席がだいぶ空いたな。四分の一位の生徒は戻ってこなかったようだ」
「意地でも続けるみたいね。まあ、好きなだけやらせてあげたら?」
 後方を振り返って状況を確認した二人は、皮肉っぽく囁き合った。そして仕切り直しとばかりに、ソレイユ教授が声高に告げる。

「それでは続きまして、最後の発表者になります。アリステア・ヴァン・ミンティアによるピアノ演奏。曲名は《春の訪れ》です」
 それを受けてアリステアが立ち上がり、意気揚々と階段を上がって舞台上で一礼した。そこで力強いグラディクトの拍手と、大多数の生徒のかなり適当な拍手を受けてから、彼女は落ち着き払ってピアノまで移動し、椅子に座る。その直後に彼女の演奏が始まったが、それを聴いた殆どの者はすっかり興ざめしてしまった。

「結果は分かり切っていたが……。あのお二人の後では、見劣りすること甚だしいな」
「同情する気にはなれないけどね。本気でエセリア様達を引き立て役にしようと目論んでいたし」
「さて……。一曲弾き終わったら、俺達の出番だな」
「打ち合わせ通りスムーズに、疑念を抱かせないようにね」
「分かってる」
 周囲の困惑ぶりとだだ下がりのテンションを実感しつつ、シレイア達は小声で打ち合わせを終える。そこでアリステアの一曲目の演奏が終わった。そこで講堂中にパラパラとしたやる気の無い拍手が起こったが、それが徐々に消えてきた途端、アリステアが着席したまま再び演奏を始めた。

「あの方、どうしてまだ演奏しているの? 《春の訪れ》は終わったわよね?」
「これまでの皆さんだって、全員一曲だけの発表だったのに」
「どうしてあの人だけ?」
 何も事情を知らない生徒達は、当然のことながら困惑した顔を見合わせた。そこでシレイアとローダスは、わざと周囲に聞こえるように声高に会話を始める。

「ソレイユ教授が口にした曲が終わったのだから、もう発表は終わりでしょう。あれは、今までずっと皆さんの発表を聴いていた、私達を送り出す為の曲なのよ」
「なるほど、彼女は実行委員長みたいだし。音楽祭は今年初めての試みだから、普通の行事とは違う変わった趣向を取り入れたんだな」
「それではさっさと外に出ないといけないわね。私達がぐずぐずしていつまでも講堂内に残っていたら、彼女が延々と弾き続け無ければならないもの」
「それもそうだな。しかし、なかなか有意義な時間だった」
「ええ、エセリア様の演奏は、本当に素晴らしかったわね」
 そう言って立ち上がった二人を見た周囲は如何にも尤もらしい主張に頷き、彼らに倣って席を立った。そしてぞろぞろと歩き出したが、シレイア達の話が伝わっていなかった者達が、困惑した表情で視線を向けてくる。

「シレイア、まだ曲の途中よ? 勝手に立ったらまた王太子殿下に叱責されるのではない?」
 そこでシレイアは少し離れた顔見知りの席に歩み寄り、もっともらしく告げる。

「でもあの人は、教授が告げた曲は演奏を終えているもの。これは発表の曲ではなくて、聴衆である私達を最後に送り出す曲なのよ。だから私達が立ちあがっても、王太子殿下は何も仰っていないでしょう?」
「確かにそうだわ。それならやはり、もう発表ではないのね」
「それにぐずぐずしていると、いつまで演奏を続けさせる気だと叱責されるかもしれないわ。そんな八つ当たりはされたくないでしょう?」
「それは嫌だわ。前の方にも伝えるわね」
「ええ、そうして頂戴」
 そしてシレイアは前方に伝えると、向かって右側の並びに移動して同様の内容を吹聴した。

「ローダス。最後に閉会宣言も無しに送り出す曲の演奏だなんて、ソレイユ教授も王太子殿下も、一言も言っていなかったぞ?」
 ローダスもそう問いかけてきた前方の知り合いの席に歩み寄り、平然と告げる。

「それは進行表や参加者をきちんと会場内に貼り出していない位だから、色々と抜け落ちたんじゃないのか?」
「それはそうかもしれないが、もの凄く段取りが悪くないか?」
「なんと言ってもこの音楽祭は今回初めての企画だし、休暇明けに開催が発表されて、今日まであまり準備期間がなかったからな。加えて今回の主催者が、あの王太子殿下とあの得体の知れない女生徒だ。エセリア様が企画したのだったら、間違ってもこんな不手際は無かったと思うが」
「確かにそうだな。無理もないか。じゃあさっさと出ながら、他の連中にも伝えておこう」
「そうしてくれ」
 前方の生徒を納得させた後、ローダスは向かって左側の並びに移動し、動揺して腰を浮かせている生徒達に偽りの音楽祭終了を伝えた。しかし誰一人として、それを疑う者はいなかった。それから少しして、相変わらず一心不乱に演奏し続けるアリステアに背を向け、シレイアとローダスは他の生徒に紛れて出入り口に向かう。

「取り敢えず、皆は納得してくれたようね」
「ああ。王太子殿下が依怙贔屓して、一生徒だけに五曲も演奏させたとの認識は広がらずに済みそうだ」
「こんな事をすれば反感を買うって、どうして理解できないのかしらね?」
「頭の中がお花畑なんだろう」
「本当に勘弁して欲しいわ」
 無事に目的を果たした達成感と、しょうもない尻拭いをさせられた疲労感を抱えながら、二人は講堂を出て歩き出した。

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