才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(13)ケリー大司教の実像

 シレイアとローダスは、ステラから聞いた約束の日時に総主教会の一角に出向いた。司祭に案内されて室内で待っていると、約束の時間少し前に初老の男性が現れる。

「シレイアとローダスだね? 初めまして。ロレイウス・ケリーです」
 温厚そうな笑顔で声をかけられた二人は、立ち上がって深々と頭を下げた。

「シレイア・カルバムです。今日はお忙しいところ、時間を取っていただいてありがとうございます」
「ローダス・キリングです。貸金業務と財産信託制度、双方に関わってご活躍しているケリー大司教の話を、折に触れ父から聞いております。今回、直にお目にかかれて光栄です」
(あ、ローダスったら。そんな事、今まで言っていなかったのに。面会が決まってから、急遽デニーおじさんから情報収集したのね。迂闊だったわ。私もそうすれば良かった)
 如才なく挨拶の言葉を口にするローダスを横目で見ながら、シレイアは少しだけ後悔する。しかしケリーは笑顔のまま、二人を促してきた。

「いや、そんな大した事ではないよ。偶々、どちらの制度の総責任者にもなっていなかったから、あちこち首をつっこんでいるに過ぎないのだから。さあ、座ってくれ」
「失礼します」
 テーブルを挟んで向かい合ってから、ケリーは改まって尋ねてきた。

「ステラさんから、二人は財産信託制度について興味があって、詳しい話が聞きたいとの事だったが、その他に聞きたい事などはないかな?」
「あの……。差し支えなければ、どうして貸金業務と財産信託制度の二つを担当しているのかを伺っても宜しいでしょうか? 大抵の大司教様は、担当の役割は一つだったと思っていたのですが……」
 本当の事を言えば、アリステアに関する内容を聞きたかったのだが、流石にそういうわけにもいかなかった。それでシレイアは、先程のローダスの台詞で引っ掛かりを覚えた事について質問してみる。するとケリーは、納得したように頷いた。

「ああ。確かに、総主教会の業務全般に携わる総大司教を除けば、私以外の大司教が担当している業務は一つだね。さて、どこから説明するかな……」
 ケリーは少し考え込んでから、意外なことを言い出した。

「実は、私は元々総主教会ではなく、地方教会の出身なんだよ。だがその地域で推薦して貰って、王都の総主教会所属になったんだ」
「え? そうだったのですか?」
「全く存じませんでした」
「大司教にまでなるのは、国教会の中心である総主教会出身者が殆どだからね。知らなくても無理はないよ」
(そういう人もいるとは小耳に挟んだ事はあるけど、本当に地方出身者の大司教様って存在していたのね。驚いたわ)
 本気で驚いてしまったシレイアとローダスに、ケリーは優しく微笑んでから話を続ける。

「その出自が理由で、当初、貸金業務担当に推薦されたわけだ」
「あ、なるほど。そういう事情だったのですね」
「ケリー大司教が地方出身だから、地方の状況も良くご存知だと判断されたのですね」
「その通り。私自身、そんな役割を任されて、光栄だったよ。それで総責任者のラベル大司教とともに、立ち上げに取り組んだんだ」
「そうでしたか……」
(でも表に出るのは、ラベル大司教の名前の方が圧倒的なのよね。地方出身者という理由で、ケリー大司教が総主教会内で軽んじられているわけではないでしょうね?)
 二人揃って合点がいったものの、シレイアは少々釈然としないものを感じていた。しかし顔には出さずに話を聞いていると、ケリーの話が予想外の方向に流れる。

「それで貸金業務が軌道に乗った頃、親しくお付き合いしている方から相談を持ちかけられたんだ。とある余命いくばくもないご婦人が『死ぬ前に懺悔を聞いて頂きたいとの要望を受けている』との口実で屋敷を訪問して、財産信託制度の手続きをして欲しいと」
 そこで微妙な顔になって言葉を区切ったケリーに、シレイアとローダスは怪訝な顔で問いかけた。

「どうしてそんな口実を使う必要があったのですか?」
「普通に財産信託制度の手続きに来ましたと、家族に言えば済む話ではないのですか?」
「普通なら確かにそうなのだが、実は相手が少々訳ありでね。しかも秘密厳守とのことで下手に周囲に相談できず、迷った末に自分で出向いたんだ。取り敢えず話を聞いてみてから、判断しようと思ったものだから」
(これってもしかして、アリステアの母親の話ではないの!?)
 ここでピンときたシレイアは、反射的に隣に座るローダスに目を向けた。どうやら彼も同様の考えに至ったらしく、若干顔を強張らせながら小さく頷く。そして慎重にケリーに探りを入れた。

「そんなに外聞を憚るような状況だったのですか?」
「一言で言えば、その通りだ。それで急遽外部の手を借りて、なんとか相続人を保護して事なきを得たんだ」
(やっぱりこれってエセリア様から聞いた、ミンティア子爵家のいきさつっぽいわよね。近衛騎士団を同伴して、屋敷に乗り込んだって聞いているし)
 なんとか内心の動揺を押し隠しながら、シレイアはケリーの話に耳を傾けた。

「その件で、世の中では肩書などでは単純に分からない、弱い立場の人間もいるのだとしみじみ考えさせられてね。そんな埋もれてしまう弱者を拾い上げて、一人でも多くの者を救いたいと思ったんだ。それでキリング総大司教にお願いして、貸金業務担当と財産信託制度担当の兼務をする事になったわけなんだ」
(この人は本当に、弱者救済に身命を捧げているんだわ。それくらい、幾ら小娘でも分かるわよ)
 真摯な口調で語られた内容に、シレイアは尊敬の念を覚えた。それと同時に、疑問と懸念を抱いてしまう。

「言葉にするのは簡単ですが、通常業務をこなしながらそれらも進めるのは大変ですよね?」
「そうですよ。どちらも関わる人間が多い上、外部との連絡や折衝が多い業務ではないですか」
「勿論、周囲の皆さんにも、なにかと助けていただいているよ? 君のお母さんとかが、その筆頭だからね」
「え? 母が、ですか?」
 唐突に母親が話題に上がったことで、シレイアは本気で困惑する。そんな彼女をみて、ケリーが少々おかしそうな表情になりながら説明を続けた。

「総主教会の夫人会では、様々な理由で保護した者達の住居や身の回りの物を整えたり、仕事を斡旋したり、小さな子供を抱えている未亡人とかだと、子供を預ける場所も世話したりしているんだよ。その陣頭指揮を取っているのがステラさんなんだ。彼女には本当に、お世話になっているよ」
(そうか。だからケリー大司教に関しての疑いを漏らした時、お母さんがあんなに機嫌を悪くしたのね? 普段から付き合いがあって、気心が知れていたから)
 つい数日前の出来事を思い返したシレイアは、深く納得した。そして、半ば呆然としながら呟く。

「そうでしたか……。そのような話、母から全然聞いていませんでした……」
「親族や他の相続人達から妬まれたり、付きまとわれたりする場合も少なくないから、基本的に保護している者の情報は口外厳禁にしているからね。ステラさんは我が子とも言えど、部外者に漏らすつもりは無いのだろう。弱者保護の意識を徹底している、とても立派な方だよ」
 ケリーは満面の笑みで、ステラを褒めた。それに嬉しくなりながら、シレイアが応じる。

「そうですね……。今日、お話を聞けて良かったです。でもこの事は、母には言わないでおいた方が良いですね。大司教様に根掘り葉掘り聞いたのかと、怒られそうです」
「ステラさんだったら、そんな理不尽な叱り方はしないだろう。第一、君達は先程の話を聞いても『その訳ありの夫人の事情とは、どういったものだったのですか?』と興味本位で根掘り葉掘り尋ねたりはしなかったじゃないか。さすがは総大司教のご子息と、カルバム大司教とステラさんのご令嬢だと感心したよ」
「いえ、そんな……」
「当然の事ですから……」
 ケリーが心底感心している様子で、褒め言葉を口にする。本当は、なんとかしてさりげなくアリステアの情報を聞き出そうと目論んでいたシレイアとローダスは、恐縮しながら曖昧に言葉を濁した。

「随分、話が逸れてしまったな。それでは財産信託制度の話をしようか」
「はい」
「お願いします」
 そこでケリーが話題を変えてくれて事に内心で安堵しながら、シレイアとローダスは姿勢を正す。そんな二人の前に、ケリーは持参した複数の書類を広げながら話し始めた。



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