才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(17)事件発生

 剣術大会を翌日に控え、進行担当のシレイアは、開催場所である訓練場の現地確認に余念がなかった。シレイアが一人で備品や設置された観覧席の状態をチェックしていると、彼女目がけて生徒が一人駆け寄って来る。

「観覧席の準備も完璧。看板や、各種表示も問題なく揃っているわね。後は」
「シレイア、ちょっと」
「え? ジャン、どうかしたの?」
 急に駆け寄って来たと思ったら軽く腕を引かれて、シレイアは戸惑った。しかし余計な事は言わず、ジャンに誘導されて観覧席や掲示物の設置をしている生徒達から離れる。どこか焦った様子でやって来たジャンは慎重に周囲を見回してから、彼女に小声で聞き捨てならない内容を告げた。

「大声を出さないで、聞いてくれ。少し前に、カテリーナ・ヴァン・ガロアさんが襲撃されたそうだ」
「襲撃ですって!?」
「しぃっ!! シレイア、声が大きい!」
「ごめん!」
 反射的にシレイアは声を荒らげた。その口を軽く押さえながら、ジャンが鋭く制止する。それで少しだけ冷静さを取り戻したシレイアは素早く周囲を見回し、自分達が視線を集めていないのを確認してから険しい表情で尋ねた。

「ジャン、襲撃って本当なの!? 一体、どういう事!?」
「残念ながら、本当だ。俺も詳しい事は聞いていないが。余計な不安を与えないよう他の生徒には口外せず、シレイアに集まるように伝言を頼まれたんだ。すぐ例の教室に行ってくれるか? ここの最終確認は俺がやっておくから」
「分かった。じゃあ、これをお願い」
 シレイアはジャンに持っていたリストを預け、周囲の生徒達に不審がられない程度の速足でその場を抜け出した。そして訓練場から講義棟に入ってからは、脇目も振らずに廊下を駆け抜ける。礼儀作法の教授に見咎められれば説教間違いなしの行為だったが、幸い面倒な人間には遭遇せずにシレイアは実行委員会が使用している教室に到着した。

「失礼します!」
 勢いよくドアを開けながら室内に飛び込むと、教室の前方に座っていたナジェークが頷いて応じる。

「ああ、これで揃ったね」
「すみません、遅くなりました」
「いや、ここから一番遠い訓練場に行っていたのだから、君が最期なのは当然だよ。ジャンから話は聞いたかい?」
「カテリーナさんが襲撃されたと聞きましたが、お怪我は大丈夫でしょうか?」
「結論から言うと、彼女は無事で無傷だよ。明日の参加も問題ない」
「それは良かったです」
「それでは座ってくれ」
 取り敢えずカテリーナの無事を確認して、シレイアは安堵しながら空いている椅子に座った。彼女が前方に座っている二人に視線を向けると、ナジェークの隣に座っているイズファインが忌々しそうに話し出す。

「それでは詳細について、一部始終を目撃した私から報告させてもらう。カテリーナとティナレアが連れ立って訓練場から寮に向かっていて、この教室が面した中庭を通過しようとしたんだ。それをナジェークと一緒にそこの窓から見下ろしていたら、不審者がカテリーナに向かってかなり大きな石を投げつけようとしているのが目に入ってね。その瞬間、この猪突猛進勇猛果敢な怖いもの知らずのお坊ちゃんが、彼女に投げつけられた石を目がけて、手近にあった置時計を投げつけたんだ」
「…………」
 中庭に面した窓とナジェークを指し示しながら、仏頂面のイズファインは苛立たしげに状況を語った。しかしその場にいた二十数名の女生徒達は、言われた内容が咄嗟に理解できずに無言で固まる。その中で、必死に頭の中で考えを巡らせたシレイアは、まだ幾分信じられないような表情で確認を入れた。

「あの……、イズファイン様? そこの窓から、ですか?」
「ああ」
「それで……、カテリーナさん目がけて投げられた石がナジェーク様が投げ落とした置時計に衝突して一緒に落ち、結果的にカテリーナさんには何も当たらず無傷で済んだということでしょうか?」
「その通りだな」
「ええと……、彼女が無傷で済んだのは何よりでしたが……。そのような行為は一歩間違えば、カテリーナさんに置時計が激突して、大怪我をしかねなかったのではないでしょうか……」
(常に冷静沈着に見えるナジェーク様が、咄嗟の行為とは言えそんな大胆な事をやってのけるなんて……。イズファイン様の皮肉満載な物言いからも、尋常ではなかったと分かるわ)
 律儀に話を肯定され、シレイアはひたすら唖然としながら指摘してみた。それを聞いたイズファインが、語気強く訴える。

「君だってそう思うよな!? こいつが置時計を投げつけた瞬間、本当に肝を冷やしたぞ!!」
「結果的に無事に済んだのだから、良かったじゃないか」
「偶々上手くいっただけだ!!  猛省しろ!! 同じことを二度とするなよ!?」
「分かった。今後はちゃんと考えてから行動する」
「全然信用できない……」
「…………」
 まだ幾らか動揺しているイズファインとは対照的に、ナジェークは苦笑を浮かべながら相手を宥めた。他の女生徒達はまだ呆然としていたが、シレイアは核心について触れる。

「それから、お二人は石を投げられたところを目撃しているのですから、勿論投げた相手も把握しているのですよね? そのろくでなしは誰ですか?」
「バーナム・ヴァン・タスコーだ」
 イズファインが吐き捨てるように口にした名前を耳にした瞬間、シレイアは激高した。

「トーナメント表でカテリーナ様の初戦の相手になっていましたから薄々察してはいましたが、本当に性根が腐りきっていたみたいですね!!」
 シレイアは思わず立ち上がって悪態を吐いた。そんな彼女をナジェークとイズファインが真顔で宥める。

「それは同感だが、その場で奴を取り押さえられなかったので、私達がそれを証言したとしても、他の場所にいたと主張して水掛け論になりかねない。更に奴は、現時点では王太子殿下の側付きだ。開催前日に王太子殿下と揉めるのは、得策ではない」
「そういうわけだから、今の話は聞かなかったことにして貰いたい。他の皆もだ」
「……了解しました」
(悔しいけど、ナジェーク様とイズファイン様の仰る通りだわ。むやみに糾弾したらその騒ぎを理由にして、王太子が土壇場で開催中止を唱えかねない)
 憤然としながらもシレイアは相手の主張を認め、なんとか怒りを抑え込みながら椅子に座った。

「話は変わるが、実は日中に判明したのだが、今朝から男子生徒の参加者二名が体調不良を理由に参加辞退を申し出ている」
 ナジェークが穏やかではない内容を淡々と報告し、それを聞いたシレイアは無言で眉根を寄せた。すると今度はここまで無言を保っていたマリーアが、疑わしげに尋ねてくる。

「ナジェーク様。そのお二人は、本当に体調不良なのですか?」
「医務室の医務官に探りを入れてみたら、仮病の可能性が高いそうだ」
「やはり、どこからか脅されましたか……。随分と、なりふり構わなくなってきたものですね」
「そんな裏工作をするくらいなら、普段から鍛錬に励めば良いだろうに」
「本当に、その一言に尽きますわね」
 完全に呆れ果てたと言った風情で溜め息を吐いてから、マリーアは顔つきを改めてナジェーク達に確認を入れた。

「私達を急遽招集した上で、今のお話をされたということは……。通常の女子生徒の警護はこれまで通り継続の上、特に明朝まで女子寮内での不穏な動きがないか察知し、速やかに必要な処置を取れば宜しいのですね?」
(ああ、なるほど。この顔ぶれだと、実行委員会の中でも各寮で各学年の中心になって活動している女生徒が満遍なく集められてる。寮内での危険性について周知徹底を図るなら、確かに必要で適切な人選だわ)
 マリーアが指摘した内容に、周囲を見回したシレイアは納得した。そして彼女の推測は間違っておらず、ナジェークが椅子から立ち上がってマリーアに向かって頭を下げる。

「そういう事だ。余計な仕事をさせてしまうが、よろしく頼む」
「余計な仕事などではありません。大会を成功に導くため、必要な仕事ではありませんか。女子寮に男子生徒が足を踏み入れる事は不可能です。そうなると女生徒にちょっかいを出してくるのは、必然的に女生徒。それであれば、私達でどうとでも対処できますわ。寮内については、私達にお任せくださいませ」
 笑顔で力強くマリーアが請け負うと、同席している女生徒達も次々声を上げる。

「マリーア様の仰る通りです!」
「絶対に五人を、不埒な者の手先なんかに、いいようにさせませんわ!」
「寮内を完全掌握して、安全を確保するわよ!」
(どこまでろくでなしなの。こうなったらなんとしてでも、剣術大会を成功させてみせるわ!)
 元々剣術大会は、バーナムが不正に近衛騎士団への推薦を横取りした事に端を発した企画であり、シレイアは絶対に目にもの見せてくれると決意を新たにした。

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