才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(21)大司教令嬢の貫禄

「レスターがシェーグレン公爵家に雇われたのは、普通に考えたらあり得ない事だと思います。お父さんは、そうは思われませんか?」
「ああ、全くその通り! これで俺にも運が向いてきたぜ!」
「失礼を承知の上で申し上げますが、果たして本当に運が向いてきたと言えるのでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
 怪訝な顔になったスカールに、シレイアが真顔で告げる。

「確かにあなた方親子には、あり得ない幸運が訪れました。しかしそれと同時に、あなたとレスターに与えられた、形を変えた神の試練ではないかと思うのです」
「はぁ? なんだそりゃ?」
「これまでの人生を、振り返ってみてください。幸と不幸は紙一重。幸運の後には不幸が、不幸の後には幸運が舞い込んで来ませんでしたか?」
「そりゃあ、まぁ……、そういう事もあるだろうが……」
「ここで、敢えて問わせていただきます。息子の給金に手を付ける事は、父親として褒められる事でしょうか? それとも恥ずべき事でしょうか?」
「………………」
 ソレイアが真摯に問いかけた途端、スカールの顔が不快そうに歪んだ。しかしシレイアは臆する事無く、淡々と話を続ける。

「答えたくなければ、答えていただかなくても結構です。その代わり自分の胸に手を置いて、目を閉じて考えてみていただけませんか?」
 その要請に、スカールは嫌そうにしながらも従った。
「……こうか?」
「はい、それで結構です。それでこれまでの自分の人生を、思い返していただきたいのです。家族の形など、家族の数だけ存在します。どんな親子関係が正しいかなど、誰にも決められるわけはありません。ですがあなたはレスターに対して、これまで、いついかなる時も、常に良い父親であったと胸を張って言えますか?」
「…………」
 目を閉じたまま、スカールは不快そうに顔を歪めたまま、無言を保った。しかしシレイアはそのまま語り続ける。

「この望外の幸運が運命の分かれ道ではないと、どうして断言できるのでしょう? 私には、神の試練だとしか思えないのです。ここでこれまでの数々の行いを真摯に悔い改め、妻子の為に一時の欲望に惑わされず、ただひたすら息子の無事と大願成就を願えば、それを認めてくださった神様が、今後の人生に加護を授けてくださるでしょう。しかし、これまで同様に誤った選択をしてしまったならば……、これからの人生に陰りが生じてしまう気がしてならないのです。再度、問わせていただきます。スカールさん。それでもあなたは、このお金を自分の物だと主張し、自分の意向で散財するおつもりですか? 人生でこの時ただ一度、妻子の幸せを願う心境にはなれませんか?」
 ここまで冷静に言い聞かせたシレイアは、黙ってスカールを凝視した。すると心底嫌そうな表情で目を開けた彼が、ふてくされ気味に言い放つ。

「ガキが、つまらない事をグダグダと五月蠅いぞ……。分かった分かった。その金はこのままあんたの家に預けて、レスターの奴が無事に半年勤め上げれるように、神様に祈っておけば良いんだろう? 目障りだから、さっさと持っていけ」
 スカールは手を振って、シレイアを追い払う真似をした。しかしシレイアは気を悪くしたりはせず、寧ろ安堵しながら軽く頭を下げる。

「お聞き届けいただき、ありがとうございます。きっと神様もお父さんの尊い志に感心なさって、更なる恩恵をレスターとお父さんに与えて下さる筈です」
 その一連のやり取りを目の当たりにしたアニタは、感激のあまり涙ぐみながらシレイアにすがり付いた。

「お嬢様! 本当にありがとうございます! わたしも息子が無事にお勤めできるよう、毎日祈りを捧げます!」
「お母さんも祈りを捧げてくれれば、より一層レスターの加護が厚くなるでしょう。夫婦揃って、レスターの為に祈ってあげてください」
「はい、そうします!」
 そこでシレイアは、憮然とした顔のスカールと感極まって泣き出したアニタから、周囲に視線を移した。

「それでは、子供の私がこのまま何もせずにお金を預かるのは信用問題に関わりますので、ご両親の他にどなたかにも立会人になって貰って金額を確認して、預り証を作成します。それに父の署名をした上で、後日こちらにお渡しするのはどうでしょうか?」
 シレイアがそう提案すると、周囲の者達が顔を見合わせながら頷く。

「なるほど、それはその通りだ」
「いやぁ、賢いお嬢さんだな」
「さすがは大司教様のお嬢様だよ」
「そうなると、立会人はサレクさんかな?」
「そこら辺が妥当だろう。サレクさん、頼むよ」
 そこで普段この近辺の纏め役になっている年長の男が進み出て、レスターの家で金額を確認の上で預かり証を作成し、シレイアはそれを受け取って帰宅することになった。



「じゃあお母さん、シレイアを送ってくるから!」
「暗くなる前に帰りなさいよ!」
「分かってる!」
 シレイアを自宅まで送っていくと申し出たエマは、親に断りを入れてから彼女を促して歩き出した。そしてすぐに、申し訳なさそうに謝ってくる。
「今日はごめんね、シレイア。変な事に巻き込んじゃって」
 対するシレイアは、元はと言えばこの騒動に自分が大いに関係しているため、神妙に首を振る。

「それは良いんだけど……。レスターのお父さんは納得しきれていないようだし、あれで大丈夫かしら?」
「大丈夫よ。間違っても大司教様の家に押し掛けたりしないから。それくらいの度胸があれば、もっと仕事を取ってこれるわよ」
「辛辣ね」
「生まれてからの付き合いだし、これでも控え目に評しているんだけどね」
 半ば呆れ気味に告げてから、エマは気分を変えるように明るい口調で言い出した。

「それより、あの時急に話を振ったのに、シレイアの話ぶりには驚いたわ。あの説得力、威圧感、さすがは大司教の娘って感じだったもの。もしかして大司教様って、普段家の中でもああいう説教口調で会話をしているの?」
 真顔でそう問われたシレイアは答えに窮し、しどろもどろに返す。

「ええと……、さすがに家の中では普通に会話しているから。さっきのあれは……、確かに父が公の場で話す時の雰囲気を、咄嗟に真似たかもしれないけど……」
「それはそうよね。でも咄嗟にああいう事を口にして大人を説得できる子供って、ただ者じゃないと思ったわ。やっぱり、ただ頭が良いだけの子供とは違うよね」
「そうかしら?」
「そうよ。そういう自分とはある意味かけ離れた存在であるシレイアを、私は好きよ?」
「……ありがとう」
 急に満面の笑みで言われた内容に、シレイアは若干照れながら応じた。するとエマが、控え目に言ってくる。

「だから……、修学場の学習期間が終わったらシレイアとは滅多に会えなくなるだろうけど……、これからもずっと友達でいたいな」
 その申し出に、シレイアは勢い良く同意した。

「勿論よ! 私もエマとは、一生友達でいたいわ!」
「ありがとう。改めて、これからもよろしく」
「こちらこそ」
 そこで自然に二人とも足を止め、笑顔で握手した。するとエマが、ある事を思い出す。

「そういえば今日シレイアは、何の用事でうちに来たの? あの騒ぎですっかり忘れていたけど」
「え? えぇっと……、あのね?」
「うん、何?」
 まさか今更、レスターの拉致現場を目撃したからなどとは言えず、シレイアは冷や汗を流す。

「……なんだったか、忘れちゃった」
「はぁ? 忘れたって、本当に?」
「うん。綺麗さっぱり。ごめんね?」
「わざわざ私の家まで来たのに?」
「そうだけど……、綺麗に忘れるくらいだから、実はあまり大した用事ではなかったのかな?」
 シレイアは苦し紛れの弁解をしたが、それを聞いたエマは一瞬キョトンとした顔になってから、お腹を抱えて爆笑した。

「あははははっ!! シレイアって凄く頭が良いのに、時々ものすごく鈍くて抜けてるところがあるよね!」
「そ、そうかな?」
「でも、そんなところもひっくるめて、私はシレイアが大好きだからね!」
「ありがとう……」
(ちょっと気になるところはあるけど、エマが納得してくれたみたいだから、これで良いか)
 バンバンと自分の肩を叩きつつ爆笑しているエマを見て、なんとか誤魔化せたらしいと判断したシレイアは、密かに胸を撫で下ろしていた。


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