才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(17)会長の宣言

「ふごぉっ! むぐぅうはぁっ! ばぅらむっ!」
 何やら変な呻き声にシレイアが目を向けると、街路に転がっていた筈のレスターが、いつの間にか二人の騎士に縛り上げられて猿ぐつわまでかけられていた。それを目の当たりにしたシレイアは、動揺しながらコーネリアに尋ねる。

「あ、あのっ! そちらの方達は何をしているんですか!?」
「ああ、彼らは私の護衛の騎士達よ。どうやら多少毒を持っている羽虫みたいだから、周囲のご迷惑にならないように確保しているの。我が家の騎士達は全員優秀だから、私が一々指図しなくても率先して動いてくれるのよ」
「いえ、毒というか、ちょっと考えが足りないだけで、大して害はない小物ですから!」
 無意識に、結構酷いことを口にしてしまったシレイアだったが、コーネリアは楽しげに笑っただけだった。

「シレイアさんは、頭が良いだけではなくてとても優しいのね。でも私は、周囲に危険を及ぼす毒虫を、世間に放置してはおけないの。平民の平穏な生活を守るのは、貴族の役目だと思っていますから」
「それは大変崇高なお考えで、平民としては大変ありがたいお心遣いと思いますが!」
 ここで放置したら、レスターの身がどうなるか分からない危険性をひしひしと感じ始めたシレイアは、コーネリアを宥めようとした。しかしここで冷静な声がかけられる。

「お嬢様。あなたに幾つかお伺いしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」
「え? は、はい! なんでしょうか!?」
 どうやらコーネリアに付き従っているメイドらしい女性に真顔で尋ねられ、シレイアは動揺しながらも尋ね返した。すると彼女が確認を入れてくる。

「先程漏れ聞こえた話によると、お嬢様達はもうすぐ修学場での学習期間を終えられるのですよね? 給費生の認定云々の話が出ておりましたし。修学場と言われますと、国教会が設置している十二歳まで在籍するもので間違いございませんね?」
「はい。その通り、終了間近です」
「そうしますとそちらの勘違い坊やは、自分が給費生になれるかもと一人で勝手に自惚れて、特にどこかの工房に修行に入るとか、店に雇用される予定などは決めていないのですよね?」
 そこでシレイアは、反射的に縛り上げられたレスターを振り返りながら答える。

「そういえば……、確かにレスターに関しては、その手の類は話題になっていませんでしたね。大抵の子は、どこで働くとかどこで修行をするとかの話が耳に入ってきましたが」
「ありがとうございます」
 そこまで話を聞いたメイドは、恭しくコーネリアに報告した。

「コーネリア様。幸いなことにというか、不幸なことにというか、この子はいまだ就職先も修行先も未定と思われます」
 それを聞いたコーネリアは、喜色満面になってシレイアに告げる。
「そうなのね。それなら良かったわ! シレイアさん。この羽虫をこのまま放置しておくと今後も貴女にまとわりつく可能性があるから、私が引き取ります。だから安心して頂戴」
「……はい? 引き取ると言うのは、どういう意味でしょうか?」
「我が家で、私付きの執事見習いとして雇います」
 その端的な宣言にその場に居合わせた者達は絶句し、シレイアは驚愕の叫びを上げた。

「は、はいぃ!? まさか、シェーグレン公爵家でですか!? そんな、縁もゆかりもない平民の子供を上級貴族の公爵家でいきなり雇うなんて、無理がありすぎませんか!? しかも、執事見習いってなんですか!? レスターは職人街の子供ですから、間違ってもそんな教育は受けていませんし、素養も無いと思いますが!?」
「大丈夫よ。その辺りはきちんと両親に事情を説明して、了解して貰います。こんな調教しがい、いえ、躾のし直しがいがある逸材を、放ってはおけませんから」
「いえ、あの、どう考えても無茶すぎると思いますが!」
「アラナ、それでは屋敷に戻りましょう」
 シレイアの訴えを無視して、コーネリアはメイドに指示を出した。しかしそれを聞いた彼女は、途端に渋い顔になる。

「コーネリア様。幾らなんでもこんな得体のしれない子供を、馬車でコーネリア様と同乗させるわけにはいきませんよ?」
「乗せるつもりはないわよ? 縛っている縄を馬車に繋いで、引き摺っていけば良いでしょう?」
 不思議そうに小首を傾げながら容赦の無いことを言い出したコーネリアに、今度は護衛の騎士達から溜め息まじりの提案がなされる。

「コーネリア様……。それではこの少年が怪我をしますし、後部の荷台にくくりつけるのはどうでしょう? 暴れれば転がり落ちて、最悪首の骨を折って即行あの世行きですが」
「紐が解けないように、おとなしくできるなら荷台にくくりつけてやる。死体の処理は面倒だからな。それとも長めの紐に繋いで引き摺って、後続の馬車の馬に踏みつけられたいか? どちらかを選べ」
「ふぐっ! んふぅっ! むぎぁっ!」
 厳めしい顔つきの騎士達に脅されたレスターは、石畳に転がったまま必死に訴えた。しかしコーネリアが困った顔になる。

「どちらか分からないのだけど。引き摺られる方が良いのかしら?」
「ひぎゃっ! ふげぇっ!」
「……荷台に積んでいきましょう」
「そうですね。さあ、コーネリア様。馬車に戻りますよ」
 涙目で首を振りながら必死に訴えるレスターを見て、騎士達も幾らか哀れに思ったのか、レスターを引きずり立たせて荷台に縛りつけ始めた。

「それではシレイアさん。書庫分店に行く予定は変更して、今日は屋敷に戻りますので。ごきげんよう」
「はい。失礼します」
 優雅に挨拶されてシレイアも反射的に頭を下げ、走り去る馬車と複数の騎馬を見送った。そして馬車の音が聞こえなくなり、周囲に喧騒が戻ってから我に返る。
「え? あ、なんか自然に見送ってしまったんだけど! レスターをどうしよう! どうすれば良いの?」
 シレイアが一人で狼狽していると、自分に向かって突進してくる人物が見えた。

「シレイア! 大丈夫!?」
「え? サビーネ、血相を変えてどうしたの?」
 息を切らして駆け寄ってきた友人に、シレイアは怪訝な顔で尋ねた。しかしそんな彼女を、サビーネが叱り飛ばす。

「何を言っているのよ!? シェーグレン公爵家の騎士が、あなたが街路で突き飛ばされて怪我をしたから、介抱して欲しいと知らせてきたのよ! 慌てて店から走って来たんだから!!」
「シレイアさん、左手が! すぐに店に戻って手当しましょう!」
 サビーネに続けて駆け寄って来たラミアが、シレイアの左手の甲が傷つき出血しているのを目ざとく見つけて、険しい表情で告げてくる。それに恐縮しながら、シレイアは丁寧に断りを入れようとした。

「ラミアさんまで……。あの、大したことはありませんから」
「何を言っているの! 傷跡が残ったらどうするのよ!」
「傷口から化膿して、全身に毒が回るかもしれません。小さな傷でも、甘く見てはいけませんよ?」
「はぁ……、それではお言葉に甘えまして、お世話になります……」
 サビーネとラミアに言い聞かされ、シレイアはレスターをどうする事もできずに、一度ワーレス商会書庫分店に戻って手当を受けることになった。



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