才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(9)予想外の話

 10歳を過ぎてからは自分の将来や人間関係を考えて、たまに鬱屈する日々を送っていたシレイアだったが、ある日夕食の席で、食べ始めてからすぐに父親の異常に気がついた。

「はぁ……」
(お父さん、今日はどうしたんだろう? 普段は『いついかなる時も食べ物に感謝して、笑顔で美味しく食べるべきだ』を持論としているから、悩み事とかがあっても食事時には持ち込まない人なのに。憂鬱な顔で、溜め息が3回目。絶対おかしいよね? 具合が悪いのかな?)
 横目で母の様子を伺うと、どうやら同じことを考えていたらしいステラが、シレイアと視線を合わせて小さく頷く。そしてステラは、慎重に夫に声をかけてみた。

「あなた? 今夜の食事は、そんなに美味しくありませんでした?」
「お父さん、溜め息を吐くと幸せが逃げるって言ってなかったっけ?」
 シレイアも母に続いて声をかけてみると、それで我に返ったらしく、ノランは慌て気味に弁解してくる。

「あ、い、いや、ステラ。今日の料理も抜群に美味いぞ!? それにシレイア、溜め息などは」
「テーブルに着いてから3回吐いたわ。ちゃんと数えていたから」
「そうか……」
 娘から大真面目に指摘されて反論できなかったノルトは、肩を落として項垂れた。そんな夫に対して、ステラが気遣わしげに申し出る。

「あなた。身体の具合が良くありませんか?」
「いや、体調は大丈夫だ」
「それなら教会内で、何かそれほど難しい問題が持ち上がったの? 私などが聞いても解決策など出せないと思うけど、話すだけでも気が楽になると思うから話してみてくれない? 勿論、口外しないと誓うから」
「子供が聞くのがまずかったら、食事が終わったら私はすぐに部屋に行くわ」
 それでノルトは、必要以上に妻子に心配をかけられないと判断し、重い口を開いた。

「二人とも、心配かけてしまってすまない。私が直接困っていたり迷惑をかけられているわけではないのだが、急遽明後日に開催が決まった査問会の事が憂鬱でね」
 それを聞いたステラとシレイアは、再びチラッと互いの顔を見合わせてから不思議そうにノルトに尋ね返した。

「査問会とは穏やかではないわね。一体誰に対する査問会なの?」
「お父さん、じゃないのよね?」
「勿論、私に対するものではないよ。審判者としての参加は要請されているがね。対象者はワーレス商会会頭夫人と、シェーグレン公爵家のご令嬢だ」
「……え?」
 そこまで聞いた母娘は、一瞬当惑してから揃って顔色を変えた。

「お父さん! どうして公爵令嬢が教会から査問されるの!?」
「それは、色々あって……」
「あなた? ここまで言って有耶無耶にはしませんよね?」
「公爵令嬢も問題だけど、ワーレス商会って言ったらこの数年で急激に羽振りが良くなった、王都でも指折りの商会よね!? どうしてそんな所と揉めるような真似をするのよ!?」
 妻子から詰問されたノルトは、深い溜め息を一つ吐いてから説明を続けた。

「少し前から、ワーレス商会が売り出している本が問題になっているんだ」
「本? ああ、そういえば、一年近く前からワーレス商会が新しい傾向の本を売り出していたわね。シレイアにせがまれて、何冊か買ってあげているけど」
「だって、マール・ハナーの《クリスタル・ラビリンス》シリーズは面白いのよ!? お父さんも一度読んでみてよ。他にも違う人が書いた面白い話が色々」
「シレイア」
「……はい。お父さん、何?」
 自分の話を遮りながら、急に怖いくらい真剣な表情で呼び掛けてきた父親に、シレイアは瞬時に気を引き締めつつ応じた。

「今から言う事を決して口外しないと、自分の命と名誉にかけて誓えるか?」
「誓います……」
「あなた、一体何事なの?」
 さすがに異常を感じたステラが尋ねると、ノルトは重々しい口調で予想外のことを告げる。

「そのマール・ハナーの正体は、お前と同い年のシェーグレン公爵令嬢エセリア・ヴァン・シェーグレン嬢で、彼女が執筆したとされる男性同士における恋愛話の本を、少し前からワーレス商会が販売しているんだ」
「……………………」
 ノルトの発言を耳にしたステラとシレイアは、無言のまま瞬きしてから申し合わせたように互いの顔を凝視した。それから再びノルトに向き直り、当惑しきった声で告げる。

「ごめんなさい、あなた。私、元々たいした教養がないから先程言われた内容が理解できないのだけど、『恋愛』と言うのは男女の間で成立するものではないの? それとも、全然知らなかったけど、同じ『れんあい』と言う発音の別の何かの事かしら? この機会に教えて頂戴」
「お父さん、何かの冗談の練習なの? 内輪で披露するつもりでも、全然笑えないから止めておいた方が良いわ。父さんに冗談は似合わないし、その方面の才能が皆無だって事が良く分かったから」
「いや、同音異義語でも冗談でもないんだ。さっき私が言った事は、正真正銘の事実なんだ。頼む、信じてくれ。信じてくれないと話が進まない」
「………………」
 相変わらず真顔のままノルトが訴えてきたことで、ステラとシレイアは漸くそれが真実であり、とんでもない事態であるのを理解した。

「よりにもよって公爵令嬢が、男性同士の恋愛の話を書いて売り出してしまったの?」
「それが総主教会での査問会の対象になってしまったわけ?」
「……ああ」
「あなた、大変じゃない!」
「そうよ! 総主教会は王都でも指折りの商会と上級貴族を相手に、本気で喧嘩を売るつもりなの!?」
 先程よりも血相を変えた妻子から問い質され、ノルトは弱りきった表情で話を続けた。

「だから困っているんだよ……。国教会の教義に反すると、総主教会内の頑固な保守が激怒しているんだ。それを無理に抑え込むと、余計な内部抗争を誘発しかねない。それに、確かに見過ごせない内容だから査問会の体裁を調えたが、落としどころをどうすれば一番平穏に収まるか、デニーを筆頭に上層部が頭を抱えている状態なんだ」
(うわ……、本当に対応に困っているみたい……。お父さんもそうだけど、おじさん達も気の毒過ぎるわ)
 そう言って文字通り頭を抱えて呻いた父を見て、シレイアは心の底から面識のある総主教会上層部の面々に同情した。

「そういう事だったの……。でも取り敢えずご令嬢と商会に、その本の執筆と販売を止めるように要請すればすむ話ではないの?」
「ステラ……。教義に反する物だと分かっていながら堂々と売り出すような相手が、こちらの要求に黙って従うと思うかい?」
「…………ごめんなさい。全然予測ができないわ」
 ステラが真っ当な指摘をしたが、夫にしみじみとした口調で問われて素直に謝る。そこでシレイアが、ふと気になった事を口にした。

「お父さん。その査問会に参加するなら、当然問題になっている本は読んだのよね?」
「ああ、それは勿論そうだが?」
「どんな風に書かれた事が問題なの? 具体的に知りたいな。簡単で良いから教えて?」
 何気なく尋ねたシレイアだったが、その瞬間ノルトの顔が強張り、かすれ気味の声で言い聞かせてくる。

「……シレイア。お前は読まなくて良い」
「えぇ? だって『本に悪書はない』がお父さんの口癖じゃない。総主教会の大司教の中でも、歴史記録や各種貴重文献管理総責任者のお父さんなら、どこにどう問題があるのか分かりやすく解説を」
「シレイア、この話は終わりだ。さあ、食べるぞ。せっかくの料理が冷める」
「お父さん!」
「シレイア、騒いでいないで食べなさい」
「だってお母さん!」
(うもぅ! お父さんったら、横暴! どんな内容なのか知りたいだけなのに!)
 あからさまに話を強制終了させられてシレイアは憤慨したが、母親まで父親の味方とあっては抵抗しても無駄だと諦め、食べるのを再開した。

(でも……、普段あれだけ私に甘いお父さんがあれだけ強硬に拒否するなんて、益々どんな内容か気になってきたわ)
 夕食後、自室に戻ってからも、シレイアの関心は先程話題に上がった本の事だった。

(あ、そうだ! 査問会ならその場で問題提起をするから、当然書名も分かるわよね! よし、明日一日総主教会内で探りを入れて、明後日の査問会の場所と時間帯を確認しておこう。そして、こっそり話を聞ける場所を確保しておくのよ! そうと決まれば、まず最初にレナード兄さんに当たってみよう!)
 名案を思い付いたと喜んだシレイアは、翌日の午後の予定を脳裏に浮かべながら、気分よく眠りに就いたのだった。



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