才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(8)ちょっとした諍い

「それじゃあ、この前の到達度確認試験の答案を返すぞ。間違った所は模範解答を見ながら、各自計算し直しておくこと。名前を呼ばれたら、前に取りに来なさい。アベル」
「はい」
 その日の授業の最後に、教師は生徒の名前を読み上げて順番に答案を返し始め、シレイアの番になった。

「シレイア」
「はい」
 教師の目の前にシレイアが出向くと、彼は満面の笑みで彼女に答案を返した。

「頑張っているな。今回は君だけ全問正解だった。カルバム大司教様も、さぞかし鼻が高いだろう」
「ありがとうございます」
(今回は結構難しかったけど、ちゃんとできて良かった。お父さんやお母さんに喜んで貰えるわ)
 シレイアは素直に礼を述べて喜んだが、それを目の当たりにして人知れず気分を害していた者もいた。


「シレイア、おめでとう! 一人だけ満点なんて凄いわね!」
「私なんて、半分も分からなかったわ」
「後で間違った所の、解き方を教えてくれない?」
「勿論良いわよ」
 授業が終了してあとは帰るだけになった時、少女達がシレイアを囲んで楽しげに話していると、いきなり馬鹿にした声が教室内に響き渡った。

「はっ! 全く、女が勉強なんかできたって、何の役にも立ちはしないのにさ!」
「何ですって?」
「ちょっと、レスター。失礼じゃない?」
 少女達が気色ばんで振り返ったが、相手は怒気を露わにしながら言葉を継いだ。

「本当の事を言って、何が悪いんだよ!? 女が勉強できたって、司祭にも司教にもなれないじゃないか! はっきり言って無駄だろうが!」
 明らかにシレイアを当て擦っている発言に、彼女は僅かに顔を強張らせた。周囲の友人達は彼女を気にしながら言葉に詰まったが、その中でエマだけは落ち着き払って言い返す。

「そうね。女だと司祭にも司教にもなれないわね。じゃあ女には不要だけど男には勉強が必要で、レスターは司祭や司教になれるだけの優秀な頭があるのね。生まれた時からの腐れ縁なのに、今の今まで知らなかったわ。びっくりよ」
「なっ!」
 盛大な皮肉を返されてレスターは盛大に顔を引き攣らせたが、それと同時に周囲の少女達から失笑が漏れた。

「ぶふっ!」
「それって……」
「レスターが男でも、無理に決まってるわよね」
「何だと!?」
 馬鹿にされて頭に血が上ったのか、レスターがエマに駆け寄って拳を振り上げた。咄嗟にシレイアが前に出てエマを庇い、周囲が悲鳴を上げる。

「エマ、下がって!」
「きゃあっ!」
「何するのよ!?」
「止めろレスター!! 八つ当たりと逆恨みが見苦しいぞ!!」
 しかしそこでレスターの背後から駆け寄ったローダスが彼の腕を掴み、その動きを止めながら盛大に叱りつけた。しかしそれにレスターが、憤怒の形相で怒鳴り返す。

「ローダス、お前! お偉いさんのお坊ちゃんは引っ込んでろよ!」
「そうはいくか。ここは一応、総主教会の管轄内だ。ここでの揉め事を傍観していたら、父さんに盛大に叱られるからな」
「はっ! 大司教の子どもなら庶民に混じって勉強なんかせずに、家で家庭教師に教われば良いだろうが! 頭が良いのをひけらかしてんじゃねぇよ!」
「どこで誰に学ぼうが、各自の自由だ。他人に強制されなければならない理由は皆無だな」
「けっ! 格好つけやがって!」
 本気で掴んでいるローダスの手を何とか振り払ったレスターは、険しい顔をしている彼から視線を外し、忌々しげに教室を出ていった。

「エマ。悪いのはあいつだが、お前も少し言い過ぎだぞ?」
「ローダスに迷惑をかけたのは、悪かったと思ってるわ。腐れ縁が腐り落ちて消滅しないか、今度の礼拝の時に神様にお願いしてみようかしら」
「反省する気が皆無だな……」
 自分の苦言に素っ気なく応じたエマを見て、ローダスは溜め息を吐いた。そしてシレイアに向き直る。

「シレイア。しばらくは一緒に帰るから」
「え? どうして?」
 唐突に言われた内容に、シレイアは面食らった。しかしローダスは平然と話を続ける。

「家への帰り道で、またレスターが絡んでくるかもしれないだろう? 念のためだ。あいつにはそのうち、良く言い聞かせておくから」
「ええ? 意味が分からないし、必要ないわよそんなこと」
 一方的に言われて気分を害したシレイアだったが、ローダスはそれには構わず歩き出す。

「今の事を、先生に報告だけしてくる。帰り支度をして待っててくれ」
「あ、ちょっとローダス、待ちなさい!」
 引き止めたものの自分を無視して行ってしまったローダスに、シレイアは本気で腹を立てた。

「もう! 何を勝手に決めてるのよ! 先に帰るわ!」
 しかし、周囲がこぞって彼女を宥める。

「シレイア、ちゃんと待っていなさいよ。せっかくローダスが庇ってくれたのに」
「そんな事、頼んでいないけど?」
「だから余計にじゃない! 本当にローダスって、格好良いよね」
「うん、小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあるなんて、シレイアが羨ましい」
「どうして羨ましいの?」
 キョトンとしながら尋ねてきたシレイアに、彼女の友人達は微妙な顔になりながら話を続ける。

「どうしてって……」
「両親が総主教会の幹部同士だし、昔から交流があるでしょう?」
「うん。両親達の仲が良いから、何かにつけて呼んだり呼ばれたりしているわね。それがどうかした?」
「ええと……、因みにご両親ってどういうきっかけで結婚したの?」
「どういうきっかけって……、どっちの家も元々総主教会関係者で、色々な行事とかを介して昔から知り合い同士だった筈だけど。だから両親とキリングのおじさまとおばさまも、結婚前からの知り合いだし」
「そうよね。教会関係者内での結婚が多いって聞くもの」
「だからそういう事なのよ」
 そこで納得したように頷き合う友人達を見て、シレイアは困惑しながら尋ねた。

「ごめん、全然意味が分からないし、話が凄く逸れたみたいよ? 私の両親の結婚と、ローダスが格好良いとかの話に、何か関係があるの?」
「………………」
 どうやらシレイアが本当に分かっていないらしいと察したエマ達は揃って口を閉ざし、なんとも言えない表情になった。

「皆、本当にどうかしたの?」
 友人達の様子がいつもと異なるためシレイアが問いを重ねると、彼女達はどこか達観したような表情で再び喋り始める。

「ううん、私達が悪かったわ……」
「こっちこそ、変な事を言ってごめんね?」
「あ、ほら、ローダスが戻ってきたから、私たちも帰りましょう」
「そうね。シレイア、また明日!」
「ええ、さようなら」
(なんだろう……。すっきりしないんだけど)
 ローダスが再び教室に入ってくるのと入れ替わりに、少女達は慌ただしく帰り支度をして帰っていった。


「シレイア、帰ろう」
「分かったわよ」
 促されて不機嫌な声で応じたものの、シレイアは素直にローダスと帰途についた。すると修学場を出てすぐに、ローダスがシレイアの顔色を窺いながら話しかける。

「その……、気にするなよ?」
「何が? 女が司祭や司教になれない事なんて、とっくに知ってるけど? それに、本当に女の人に勉強が必要ないなら、修学場は最初から女の子を受け入れていないじゃない。これくらい考えなくても分かるのに、レスターってどれだけ頭が悪いのかしら」
「確かにそうだがな……」
「ローダス。同い年だし私の方が何ヵ月か早く生まれているのに、保護者面しないでくれる?」
「分かった。ただ、これからレスターや他の奴も含めてだが、変な言いがかりをつけられるような事があったら、その都度俺には言えよ?」
 その指示に、シレイアは幾分気分を害しながら言い返した。

「だから、どうして一々そんな保護者みたいな事を」
「嫌なら、おじさんとおばさんに報告する」
「……分かったわよ。本当にうるさいわね」
 つまらない事で、あまり両親に心配をかけたくないと判断したシレイアは、反論したい気持ちを抑えて取り敢えず頷いておいた。するとローダスが、前を向いたまましみじみとした口調で言い出す。

「レスターは……、ちょっと焦っているんだよ。弟や妹が何人もいるし、苦しい生活から抜け出すために手っ取り早いのは総主教会の給費生になるのが一番の近道だが、レスターの成績だとそれは間違っても望めないし」
 確かに恵まれない環境のレスターには同情するものの、それとさっきの行為は別だろうと、シレイアは少々イラッとしながら言い返した。

「レスターの事情は私だって分かっているけど、それで八つ当たりされたらたまらないわ。いい迷惑なんだけど。じゃあ私に、適当に手を抜いて勉強しておけと言いたいの?」
「そうは言っていない」
 いかにも困ったものだ的な顔をされたシレイアは、内心の苛立ちを抑えられないまま言葉を継いだ。

「ローダスはウィルス兄さんと同じで、官吏を目指しているのよね?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「男っていいわね。やりたいことを周囲に憚ることなく、口にできるんだもの。男には無理だって笑われることもないし。あ、でも子供を産みたいとか言ったら、あいつは馬鹿だと笑われるわね」
「シレイア……」
「単なる八つ当たりよ。私がされたんだから、誰かにしないと気がすまないわ」
「……そうか。少しは気がすんだか?」
「一応。だからこの話はこれで終わりよ。不愉快な話を蒸し返さないで」
「分かった」
 そっぽを向いたシレイアの隣でローダスは黙々と歩き、さほど長くはない自宅までの道を、シレイアは気まずい思いをしながら歩いた。

(今日は気分良く帰れると思ったのに、最後の最後で最低! 今日は遅れを取ったけど、今度絡まれたらエマが口を開く前に私自身で粉砕してあげるから!)
 そんな穏やかとは言いかねる決意をしながら、シレイアはその日自宅に帰り着いたのだった。


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