才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(7)シレイアの日常

 周囲の一部の者達から懸念されていたシレイアの修学場通いは、その者達の予想に反して問題なく時が過ぎ、シレイアも周囲に馴染んで楽しい日々を過ごしていた。
 シレイアと共に同じ修学場に通うことになった子供は、彼女を含めて女子8名、男子13名。それぞれの家業や環境は微妙に異なるものの、彼女達が10歳になる頃にはそれらは当然の事と受け入れて、隔意のない付き合いを続けていた。特に女子は人数が男子よりも少ないこともあって結束が強く、休み時間ごとに固まって話に花を咲かせるのが常であった。


「シレイア、ありがとう。この本、凄く面白かったわ」
 友人が返してくれた本を受け取ったシレイアは、本のタイトルを確認して他の友人に差し出す。

「それなら良かった。じゃあこれは、次にマリアンに貸す予定だったよね?」
「うん! 楽しみにしてたの、嬉しい!」
「マリアンが最後だから、返すのが遅れても大丈夫だから」
「分かった。ありがとう」
 最近の彼女達の話題と言えば、この一年もしない間に一世を風靡するまでになった《小説》に関する話であり、その時も大いに盛り上がった。

「それにしても、マール・ハナーが売り出した本を読んで驚いたけど、それ以後に色々な人から様々な傾向の本が出されたのにも驚いたわね」
「本当に、楽しみの幅が広がったわ。本と言えば勉強に使う物と思っていたのに、立派な娯楽になるなんて。それまでは夢にも思っていなかったわよ」
「それに、ワーレス商会が本専門の店を作ってしまうなんて、前代未聞だったよね」
「だけど貴族相手のしっかりした装丁の物とは違って廉価版でも、庶民にはさすがに何冊も買えないわよ。もう少し安くならないかなぁ」
「同じクラスに大司教様のご令嬢がいらしたことに、深く深く感謝してるわ。いつも貸してくれてありがとう」
「さすがに私も、手当たり次第に買ったりしていないけどね。でも楽しいものは、できるだけ皆と共有したいもの。楽しんで貰って本当に嬉しいわ」
 周囲から羨望と感謝の眼差しを受けて、他の家庭よりは本の購入に理解のあるシレイアは、苦笑しながら頷いた。そこで一人が話題を変えてくる。

「楽しみと言えば、建国記念祭がもうすぐじゃない? 今年も皆一緒に、見物に行かない?」
「行く行く! 中央広場の大道芸人の種目やスケジュールは調べておくから!」
「申請している出店の種類は、私が押さえておくね」
「パレードの経路は、今年も同じかな?」
「ええと……、パルム街って街路の整備中じゃなかったっけ? ルートが変更になるかもしれないわね」
 口々に祝祭当日の話を始めた中、エマが笑顔で口にする。

「楽しみだな……。実は私、建国記念祭に間に合うように、晴れ着を作ったの」
「『作った』って、エマ。まさか一人で全部縫ったの?」
 驚いて反射的に尋ねたシレイアに、エマが笑顔のまま頷く。

「そう。今まではお母さんのお手伝いで、レースやボタンを縫い付けたり、仮縫いだけだったんだけど、『商売物を縫い始める前に、まず自分の物を一から作ってみなさい』って言われて。布の裁断から始めたの」
「エマ、凄い! 私、繕い物とかボタンつけや穴のかがり位はするけど、全部服を縫い上げた事なんてないわ」
「そんなに大袈裟に言うことでもないから。大人になったらお母さんみたいにお針子として働くつもりだし、その第一歩に過ぎないんだから」
「そうか……、そうだよね……」
「シレイア。どうかした?」
 若干照れ臭そうに応じたエマだったが、急にシレイアが気落ちした風情で呟いたことで、気になって尋ね返した。するとシレイアは慌てて手を振りながら応じる。

「あ、ううん、大した事じゃないんだけど、皆は色々考えていて凄いなと思って」
「え? 何を?」
「エマは着々と裁縫の腕を磨いているし、アンナは以前から、早朝にパンを焼く両親を手伝ってから修学場に来てるよね? ニーナだっておうちの食事処の下拵えをしているし、皆程度の差こそあれ、家業を手伝っているか、自分がやりたい事の為に努力しているのを知ってるもの」
 それを聞いた周囲は、不思議そうに述べる。

「シレイアだって凄いわよ? 勉強はできるし、他の事だって一通り満足にできるじゃない」
「そうよね? それが駄目なの?」
「駄目って言うか……、私みたいな人の事、目標が定まってない器用貧乏って言うんじゃないのかなって思って……」
「………………」
(あ、皆、呆れちゃったかな?)
 周りの友人達が全員黙り込み、顔を見合わせたことで、シレイアは益々落ち込んだ。しかし実際は、彼女の予想とは違っていた。

「シレイア、『器用貧乏』って何?」
「うん、私も分からない」
「聞いた事、ないよね?」
「どういう意味?」
 本気で困惑した顔を向けられたシレイアは、僅かに動揺しながら説明を加える。

「え? ええっと、つまり……、色々な事に手を出してそれなりにできるようになるけど、どれも大成しないで全部中途半端になってしまう人って言えばよいかな?」
 しかしそれを聞いた周囲は、納得しかねる表情で首を傾げる。

「う~ん、分かるような分からないような……」
「でも、それがシレイア?」
「違うと思うけど」
 そんな一同の気持ちを代弁するごとく、エマが半ば呆れながらの口調で言い出した。

「あのさぁ、シレイア。初対面の時から思ってたんだけど、シレイアって勉強ができるのに、微妙に自己評価が低いよね?」
「そうかな?」
「そうよ! あのね、私達、まだ10歳なのよ、10歳! そりゃあ、家の仕事を手伝う必要性はあるけど、他にもやりたい事はあるんだから! 家の仕事をしてないからって落ち込むことなんかないし、色々満遍なくできるんだから可能性は大じゃない。胸を張って生きていけば良いのよ」
「……うん、まあ、そうかな?」
「そうよ。これ以上そんな事をぐちぐち言ってると、贅沢な悩みだって皆でいびり倒すわよ?」
 押しが強いエマに言い聞かされて、シレイアは半ば圧倒されながら頷いた。すると周囲からすかさず賛同の声が上がる。

「エマったら怖い~。でも賛成!」
「そうだよね。シレイアったら、そこまで気にする事ないって」
「本当に、ちょっと真面目に考えすぎだよ?」
「うん、その通りだと思う」
「ありがとう。私、エマみたいな人になりたいな」
 周囲から慰められて、シレイアは笑顔で無意識に口にした。それにエマが、怪訝な顔で応じる。

「いきなり何?」
「以前、お父さんに言われた事があるの。『勉強ができることと賢いことは微妙に違う』って。エマは本当の意味で『賢い』人だと思うから」
「えぇえ? ちょっとそれ、褒めすぎだから。そこまで言うほどの事じゃないよね?」
 真顔でシレイアが口にした内容に、さすがにエマは照れ臭くなって周囲に意見を求めた。しかし周りはニヤニヤしながらエマをからかい始める。

「う~ん、さすがカルバム大司教、娘への教えも一味違うわ」
「本当にありがたみが増すよね」
「エマ! 『賢い人』認定おめでとう!」
「うん! 大司教様お墨付きの『賢い人』だよね!」
「愚かな私達を、どうかお導きくださいませ!」
「ちょっと止めてよ、皆! もう! シレイアがつまらない事を言うから!」
(この修学場に通わせて貰って、本当に良かった。総主教会関連の付き合いとは全然違う交友関係を築けて、毎日楽しく過ごせているもの。でもこんな生活も、あと2年か……)
 顔を紅潮させたエマの狼狽ぶりがおかしくて、シレイアは先程までとは打って変わって、周りの友人達と一緒に楽しげな笑い声を上げた。そんな中で彼女は、ほんの少しだけ寂しさも感じていた。


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