才媛は一日にして成らず

篠原皐月

(4)父娘の語らい

 デニーの祝いの席で、シレイアが修学場で学ぶのを表明した翌日。ノランはシレイアと向かい合って話を切り出した。

「シレイア。修学場に入る前に、幾つかお前に話しておかなければいけない事がある」
「うん。なあに?」
「昨日のキリングの家での話で、修学場に行かずに家庭教師を頼んで勉強する子供もいると分かっただろう?」
「うん。ええと……、『家庭教師』って、多分、子供が修学場に行くんじゃなくて、子供の家に来る先生をそう言うのね? あの時、初めて聞いたけど」
「ああ、その通りだ。説明無しで分かったか。やはりシレイアは頭が良いな」
 特に詳しく問い質さなくとも、話の流れから推測して正しい内容を理解していた娘に、ノランは笑顔で頷いてみせた。

「基本的に貴族や裕福な商人、貴族の使用人など生活に余裕がある者の子供は、親が雇った家庭教師に必要と思われる個別な内容を教わるのが一般的だ」
「うちはお父さんが大司教だから、生活に余裕があることになるのね?」
「そういうことだ。ところでシレイア。それ以外の者の子供達は、どうやって学ぶと思う?」
「『どうやって』って……。修学場に来るんでしょう?」
「実は、来る方が少ないんだ」
「え? どうして? だってお勉強はしないといけないでしょ?」
 これまで両親に、勉強することは必要だと言われて素直に書き取りや初歩的な計算をしていたシレイアは、不思議そうに問い返した。するとノランは、いかにも無念そうな顔つきで話を続ける。

「本当に貧しい者達の間では、普通に会話ができて、自分の名前と数字が書ければ事足りると考えている者が数多く存在する。そしてそういう者達は子供を幼い頃から労働力と見なしているから、勉強などさせる気はサラサラないんだ」
「え!?」
 それを聞いて本気で驚いたシレイアは、慌てて通いの家政婦から聞いた話を持ち出して反論しようとした。

「だ、だって! お話ができるだけだったら、難しいお手紙とか読めないんじゃない? それに、契約書! メルダが言ってたけど、人が働くときは条件とかを書いた契約書を作るんだよね? メルダが『奥様が凄く良い条件で契約書を作ってくれて、本当にありがたいことです』って言ってたけど、きちんと読めなかったら悪い条件で書かれても、気がつかないかもしれないわ!」
 その訴えに、ノランは真顔のまま深く頷いて同意を示す。

「まさにその通りだ、シレイア。それで悪質な雇い主に騙される場合もあるし、細かい計算ができないと金銭を扱う仕事などは任せて貰えない。必要な知識を身につけておかないと、良質な職場と金銭を稼ぐ機会を失う可能性が高くなってしまう」
「それならどうして、子供を修学場に行かせないの?」
「その日一日をどうやって稼いで食べるのかしか考えられない貧しい家庭では、将来を考える事など不可能だからだよ」
「……国教会は、助けないの?」
 半ば呆然としながらシレイアが尋ねると、ここでノランが修学場について改めて説明した。

「助けようとして設立したのが、教会付属の修学場だ。小規模な教会は無理だが、ある程度以上の規模の教会には設置義務がある。そして司教や司祭が運営義務を負う」
「そうなのね……。それで私が通うのが、家から一番近い総主教会付属の修学場なのか……」
「通学費用は無料で、読み書きや計算、歴史やマナーなどをきちんと子供に学ばせたいと親が考えているこの界隈の家から、生徒が集まる。子供達が、より有益な未来を掴めるように」
「でも世の中には、勉強が不要と考える人と、必要だと考える人がいるのね……」
「シレイア。どちらが正しいと思う?」
 シレイアがもっと幼い頃から、ノランは娘に一方的に答えを教えるのではなく、しっかり考えさせるのが常であった。それでこの時もシレイアは少しだけ考えてから、自分の意見を口にする。

「お勉強はした方が良いと思うけど……、その考え方を他の人に強制はできないよね?」
「そうだね。私達は独裁者ではない」
「強制はできないけど、そういう人達が子供に勉強させる必要があると思わせるようにしたり、勉強できる環境を作ってあげるのが必要かな? 難しそうだけど」
「今の段階では、難しいと分かっているだけで良いよ。シレイアは本当に頭が良いな」
 ノランは満足そうに微笑んでから、ここで話題を変えた。

「それで、修学場に集まってくるのは、それよりはまともに暮らしている平民の子供達だが、私達とは生活環境が違う事も多い。例えば……、食事かな?」
「食事って?」
「私達は1日3回食事するが、修学場に来るような子供の家は昼は食べない場合が多いだろうな」
「え? じゃあ1日2回?」
「もっと貧しい家だと1日1回だけとか、何日かに1回かもしれない」
「1日2回でもお腹がすきそうなのに!?」
 食事と言えば朝昼夕の1日3回と思い込んでいたシレイアは、毎日食べることすら困難な人間が存在する事実に衝撃を受けた。そんな娘を宥めるように、ノランが優しく語りかける。

「自分自身の環境が当たり前ではなく、世の中にはそういう家もあるということだ。覚えておきなさい」
「……うん」
「他にも、身近な物で言うと筆記用具かな?」
「筆記用具? 紙とペンのこと?」
 気を取り直したシレイアが、いつもの口調で尋ねる。そんな娘に、ノランは説明を続けた。

「ああ。シレイアにはもう紙とペンで文字の書き取りの練習をさせているが、普通の家では紙を存分に使って練習などさせない。修学場では一人一人に石盤と石筆を渡すから、その石盤に石筆で文字や計算を書いて、布で消して何度も練習する」
「それなら修学場に来ない子供は?」
「親が石盤と石筆を準備して、自分達で必要最低限の読み書きを教えると思うが、それすら与えない場合もあるだろうな……」
 どこか苦々しさを帯びた口調で、ノランが述べる。そんな父親に、シレイアは不思議そうに尋ねた。

「それじゃあ、どうするの?」
「底が浅い木箱に砂や灰を入れて表面をならして、それに指や棒などで文字や数字を書いて練習するしかないだろう」
「それで練習する子供もいるのね……」
 神妙に呟いたシレイアに、ノランが真剣な面持ちで言い聞かせる。

「シレイア。世の中にはお前が知らない事がたくさんある。それを少しずつで良いから、教師だけではなく周りの人間からも学び取って欲しい」
「うん、分かった。頑張って勉強する」
「シレイア。最後に言っておくが、勉強ができることと、賢いということは微妙に異なるんだ」
「え? 同じことじゃないの?」
「大きくなれば、自然と分かることだよ。覚えておきなさい」
(お父さんが言ったこと、どういうことかな? 全然分からないよ)
 最後は笑顔になったノランに頭を撫でられながら、シレイアは本気で考え込んでしまった。


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