金で力が買える世界で
3
「美味しい!また腕を上げたな〜!」
「そりゃカノンよりは上手く作れるわ。下手くそ」
「なっ、こ、これからだもん!」
「はいはい、いつになるなら」
シチューを嬉しそうに食べるカノンを揶揄いながら、エフォートは水を貯めた桶を火にかけていく。
それを何度か繰り返して溜まったお湯とタオルをカノンのベッドの脇に置き、エフォートは立ち上がった。
「それじゃちゃんと横着せずに体拭いとけよ」
「分かってるもん。……で、でもめんどくさいしなー」
風呂代わりにお湯で体を拭くように言うエフォート。
富裕層ならば大きな浴槽にたっぷりのお湯をはって浸かるのだろうが、貧困層ともなればよくてたまに水で体を拭く程度で、中には洗わない者や泥水で体をこする者も居る。
そんな中にしては贅沢とも言えるのだろうが、それをカノンはどこか棒読みで否定ぎみな言葉を口にしつつ、チラチラとエフォートを見やる。
「あのなぁ。ちゃんと清潔にするのも大事なんだぞ」
「そ、そうだけどそうじゃなくって……」
こうして面倒くさがるのも、それに注意するのもよくある事なので、エフォートは呆れたようにしつつも今更怒る事もなく言う。
それにカノンが口籠もって頬を赤くさせるのもまた、いつもの光景だ。
「うぅ……やっぱりアプローチ失敗だよぅ…」
聞こえぬ音量で呟かれる言葉も、最初の内は聞き出そうとしていたが、今ではスルーだ。というより、こうなれば観念した証拠だとエフォートは思っている、
「よし、んじゃ外出てるから。終わったら先に寝てていーからな」
「あ、うん。気をつけてね」
「ははっ、何にだよ。ちょっと歩くだけだし、危ないもくそもねぇって」
眉尻を下げて言うカノンに、エフォートは可笑しそうに笑いながら部屋を後にした。
建物から出て、だいぶ日が傾いて空が澄んだ蒼の端に仄かに橙色を滲ませるのを見上げていると、数人の男がエフォートの方にまっすぐ歩いてきた。
その足音に気付き、エフォートはその男達に視線を向ける。
男達は全員、貧困街にしてはまともな格好をしていた。
もっとも、それは清潔感という観点ではなく、頑丈そうなという視点での話だ。
もはや骨董品と化したと言えるような、何の魔法陣も刻まれていないただの革鎧や小手、走りやすそうな靴などを身につけている。が、清潔感と言う意味ではやはりというべきか感じられない。
総じて、まるで野盗のような出立ちだった。
とは言え、ここは貧困街。野盗と似たりよったりの行為を生業とする者も珍しくない。
そして、エフォートが佇む後ろにある廃墟の一室には、貧困街らしからぬ光景を作る物がいくつかある。
火や水を産む魔導具や、空気を清浄する魔導具、使用者に微かな体力回復を施すベッドなど、富裕層からすれば大した機能ではないそれらも、貧困街ではお宝だ。
当然、それらを狙う輩は過去にいくらでも居た。
「エフォートの旦那!お疲れ様です!」
「「お疲れ様です!」」
「おー、お互い様」
だが、それは昔の話だ。
「エフォートの旦那、今日は早いっすね」
「あぁ、なんか早く終わったんだ。だからいつもよりたくさん狩れるぞ」
「それは嬉しいんすけど、カノンの嬢ちゃんともう少し居てやってもいいんですぜ?」
エフォートが根城にしている廃墟の入り口に立て掛けていた剣を掴みながら言うと、男の1人が少し困ったような、心配しているような口調で返した。
「ありがとな。でもお前らのおかげでカノンもゆっくり寝れるようになったし、もう子供じゃないから1人で寝れるって」
「いや、そうじゃなくてっすね………はぁ、カノンの嬢ちゃんの苦労が見えるようですわ」
労うように笑うエフォートに、男は溜息混じりに呟く。
それに首を傾げつつも、剣――当然というべきか魔導具ではないただの鉄製――を紐で腰にくくって下げる。
「何言ってんだよ?それより、せっかく日が落ちる前に行けるんだ。急ぐぞドラグネス」
「あっ、へい!」
数人の男のリーダーにあたる男、ドラグネスが慌てたように歩き出したエフォートを追いながら頷く。
随分と格好良い名前の持ち主である男は、この貧困街のリーダー的な立ち位置にいる者である。
貧困街と言えども住むのは一応は国民であり、法律の下に居る。だが、暗黙の了解とばかりにグレーな扱いをされる事も少なくない。
国外の者が奴隷にと人攫いに来たりする事もあれば、酷い時には富裕層が新調した魔導具の試し切りと称した辻斬りや欲を満たす為にと若い女性を攫う事もある。
それを武力で抵抗しているのがこの男率いる一団であり、魔導具こそ持たないながらも戦闘技術は素人とは思えないものも持つ。
そもそも、富裕層の連中も戦闘技術や知識が豊富かと言えばそうではない。
なんせ身につけるだけで人外の力を手に入れるのだ。努力や研鑽などする必要はなく、考えるのはより良い性能を持つ魔導具を手に入れる事だけ。
結果、パンデモニウムの高階層まで登り詰めるような者達でさえ、魔導具という蓋を開ければだらしない肉体を持つ者ばかりだったりする。
それに引き換え、ドラグネス達は屈強な肉体を持ち、戦い方を工夫して魔導具持ちを倒せないまでも追い返すくらいは出来る。
そんな彼らとエフォートは、かつて何度も戦ってきた。
理由は当然、彼の持つ魔導具を狙ってだ。
しかし、幾度も追い返す間にいつの間にか世間話をするようになり、詳細は省くがちゃんとした決闘をする流れの末、エフォートが勝利して今の間柄となったのだ。
それによりエフォートが運び屋をしている間もカノンの安全が確保され、以前よりも格段に安心して仕事ができて、結果収入も増えた。
彼らはカノンとも話すようになり、それ以来妙な気遣いをしてくる事もあるが、エフォートはそれより目的を達成する事が重要である。
また、世話になっている分のお返しとして、こうして貧困層に配るための食料確保として都市外れの山に野生動物を狩りに行く手伝いも定期的にしていた。
「まぁ旦那が手伝ってくれたおかげでかなりの肉を確保出来るんで、俺らとしちゃあ助かってますぜ」
「なら良かった。留守の守りをしてくれてるからな、そんくらいは返さねぇと」
「でもですぜ。おかげで最近は余裕もありますんで、たまにはカノンの嬢ちゃんと一日一緒に居てやってもいいんじゃないですかい?」
またしても出てきた妙な気遣いに内心首を傾げるが、エフォートは首を横に振る。
「今は安定してるけど、いつどうなるか分からないからな。少しでも早く金を溜めねぇと」
「まぁ、そうなんすけどね……エリクサーとやらはまだ買えないんで?」
「まだだな。けど、半分以上は溜まってる」
カノンは、原因不明の病気を患っている。
それを治すには、全ての体調不良を無くすとされる液体型魔導具万能薬――通称エリクサーが必要だった。
とは言え、それを手に入れるまでに体調が悪化する環境に置いては元も子もないと、清潔さを確保できる状態にすべくかき集めたのが今カノンの部屋にある魔導具という訳だ。
「俺らも余裕があればカンパしやすんで、あんま無茶はせんでくだせえよ。旦那が倒れちゃ嬢ちゃんは立ち直れませんぜ」
「当たり前だろ、まだ倒れるワケにはいかねぇよ。倒れるならエリクサー買ってからだ」
「いや、そういう意味じゃなくてっすね……ま、それは嬢ちゃんが頑張る話か」
「……何だよ?」
小声で呟かれた後半を聞き流したエフォートに、ドラグネスは何でもないと手を軽く振る。
そして、言っても無駄だろうと分かっているような口調で付け加えた。
「旦那、どうせ狩りの後は鍛えるんすよね?あれ人がやっていい訓練じゃないと思うんで、程々にしときやせんか?」
「あ、それ俺も思いました。なんすかあの瓦礫の山を抱えてスクワットするやつ。寝ぼけて見た夢かと思いやしたぜ」
「あとあれな、石柱を小枝みてぇにブンブン振り回して素振りしてるやつ。あれ遠目に見たら軽いホラーっすよ」
ドラグネスをはじめ、男達から口々に出てくるエフォートの訓練法。どれも人間業じゃないと妙な盛り上がりを見せた後、口を揃えて言われる。
程々にして、嬢ちゃんについてやれ、と。
「わ、わかったって」
強面の男達に口を揃えて言われ、エフォートは渋々頷く。
だがその夜、貧困街にいつもの如くブンブンと巨大な風切り音が響くのを耳にして、ドラグネス達は溜息をこぼすのであった。
「そりゃカノンよりは上手く作れるわ。下手くそ」
「なっ、こ、これからだもん!」
「はいはい、いつになるなら」
シチューを嬉しそうに食べるカノンを揶揄いながら、エフォートは水を貯めた桶を火にかけていく。
それを何度か繰り返して溜まったお湯とタオルをカノンのベッドの脇に置き、エフォートは立ち上がった。
「それじゃちゃんと横着せずに体拭いとけよ」
「分かってるもん。……で、でもめんどくさいしなー」
風呂代わりにお湯で体を拭くように言うエフォート。
富裕層ならば大きな浴槽にたっぷりのお湯をはって浸かるのだろうが、貧困層ともなればよくてたまに水で体を拭く程度で、中には洗わない者や泥水で体をこする者も居る。
そんな中にしては贅沢とも言えるのだろうが、それをカノンはどこか棒読みで否定ぎみな言葉を口にしつつ、チラチラとエフォートを見やる。
「あのなぁ。ちゃんと清潔にするのも大事なんだぞ」
「そ、そうだけどそうじゃなくって……」
こうして面倒くさがるのも、それに注意するのもよくある事なので、エフォートは呆れたようにしつつも今更怒る事もなく言う。
それにカノンが口籠もって頬を赤くさせるのもまた、いつもの光景だ。
「うぅ……やっぱりアプローチ失敗だよぅ…」
聞こえぬ音量で呟かれる言葉も、最初の内は聞き出そうとしていたが、今ではスルーだ。というより、こうなれば観念した証拠だとエフォートは思っている、
「よし、んじゃ外出てるから。終わったら先に寝てていーからな」
「あ、うん。気をつけてね」
「ははっ、何にだよ。ちょっと歩くだけだし、危ないもくそもねぇって」
眉尻を下げて言うカノンに、エフォートは可笑しそうに笑いながら部屋を後にした。
建物から出て、だいぶ日が傾いて空が澄んだ蒼の端に仄かに橙色を滲ませるのを見上げていると、数人の男がエフォートの方にまっすぐ歩いてきた。
その足音に気付き、エフォートはその男達に視線を向ける。
男達は全員、貧困街にしてはまともな格好をしていた。
もっとも、それは清潔感という観点ではなく、頑丈そうなという視点での話だ。
もはや骨董品と化したと言えるような、何の魔法陣も刻まれていないただの革鎧や小手、走りやすそうな靴などを身につけている。が、清潔感と言う意味ではやはりというべきか感じられない。
総じて、まるで野盗のような出立ちだった。
とは言え、ここは貧困街。野盗と似たりよったりの行為を生業とする者も珍しくない。
そして、エフォートが佇む後ろにある廃墟の一室には、貧困街らしからぬ光景を作る物がいくつかある。
火や水を産む魔導具や、空気を清浄する魔導具、使用者に微かな体力回復を施すベッドなど、富裕層からすれば大した機能ではないそれらも、貧困街ではお宝だ。
当然、それらを狙う輩は過去にいくらでも居た。
「エフォートの旦那!お疲れ様です!」
「「お疲れ様です!」」
「おー、お互い様」
だが、それは昔の話だ。
「エフォートの旦那、今日は早いっすね」
「あぁ、なんか早く終わったんだ。だからいつもよりたくさん狩れるぞ」
「それは嬉しいんすけど、カノンの嬢ちゃんともう少し居てやってもいいんですぜ?」
エフォートが根城にしている廃墟の入り口に立て掛けていた剣を掴みながら言うと、男の1人が少し困ったような、心配しているような口調で返した。
「ありがとな。でもお前らのおかげでカノンもゆっくり寝れるようになったし、もう子供じゃないから1人で寝れるって」
「いや、そうじゃなくてっすね………はぁ、カノンの嬢ちゃんの苦労が見えるようですわ」
労うように笑うエフォートに、男は溜息混じりに呟く。
それに首を傾げつつも、剣――当然というべきか魔導具ではないただの鉄製――を紐で腰にくくって下げる。
「何言ってんだよ?それより、せっかく日が落ちる前に行けるんだ。急ぐぞドラグネス」
「あっ、へい!」
数人の男のリーダーにあたる男、ドラグネスが慌てたように歩き出したエフォートを追いながら頷く。
随分と格好良い名前の持ち主である男は、この貧困街のリーダー的な立ち位置にいる者である。
貧困街と言えども住むのは一応は国民であり、法律の下に居る。だが、暗黙の了解とばかりにグレーな扱いをされる事も少なくない。
国外の者が奴隷にと人攫いに来たりする事もあれば、酷い時には富裕層が新調した魔導具の試し切りと称した辻斬りや欲を満たす為にと若い女性を攫う事もある。
それを武力で抵抗しているのがこの男率いる一団であり、魔導具こそ持たないながらも戦闘技術は素人とは思えないものも持つ。
そもそも、富裕層の連中も戦闘技術や知識が豊富かと言えばそうではない。
なんせ身につけるだけで人外の力を手に入れるのだ。努力や研鑽などする必要はなく、考えるのはより良い性能を持つ魔導具を手に入れる事だけ。
結果、パンデモニウムの高階層まで登り詰めるような者達でさえ、魔導具という蓋を開ければだらしない肉体を持つ者ばかりだったりする。
それに引き換え、ドラグネス達は屈強な肉体を持ち、戦い方を工夫して魔導具持ちを倒せないまでも追い返すくらいは出来る。
そんな彼らとエフォートは、かつて何度も戦ってきた。
理由は当然、彼の持つ魔導具を狙ってだ。
しかし、幾度も追い返す間にいつの間にか世間話をするようになり、詳細は省くがちゃんとした決闘をする流れの末、エフォートが勝利して今の間柄となったのだ。
それによりエフォートが運び屋をしている間もカノンの安全が確保され、以前よりも格段に安心して仕事ができて、結果収入も増えた。
彼らはカノンとも話すようになり、それ以来妙な気遣いをしてくる事もあるが、エフォートはそれより目的を達成する事が重要である。
また、世話になっている分のお返しとして、こうして貧困層に配るための食料確保として都市外れの山に野生動物を狩りに行く手伝いも定期的にしていた。
「まぁ旦那が手伝ってくれたおかげでかなりの肉を確保出来るんで、俺らとしちゃあ助かってますぜ」
「なら良かった。留守の守りをしてくれてるからな、そんくらいは返さねぇと」
「でもですぜ。おかげで最近は余裕もありますんで、たまにはカノンの嬢ちゃんと一日一緒に居てやってもいいんじゃないですかい?」
またしても出てきた妙な気遣いに内心首を傾げるが、エフォートは首を横に振る。
「今は安定してるけど、いつどうなるか分からないからな。少しでも早く金を溜めねぇと」
「まぁ、そうなんすけどね……エリクサーとやらはまだ買えないんで?」
「まだだな。けど、半分以上は溜まってる」
カノンは、原因不明の病気を患っている。
それを治すには、全ての体調不良を無くすとされる液体型魔導具万能薬――通称エリクサーが必要だった。
とは言え、それを手に入れるまでに体調が悪化する環境に置いては元も子もないと、清潔さを確保できる状態にすべくかき集めたのが今カノンの部屋にある魔導具という訳だ。
「俺らも余裕があればカンパしやすんで、あんま無茶はせんでくだせえよ。旦那が倒れちゃ嬢ちゃんは立ち直れませんぜ」
「当たり前だろ、まだ倒れるワケにはいかねぇよ。倒れるならエリクサー買ってからだ」
「いや、そういう意味じゃなくてっすね……ま、それは嬢ちゃんが頑張る話か」
「……何だよ?」
小声で呟かれた後半を聞き流したエフォートに、ドラグネスは何でもないと手を軽く振る。
そして、言っても無駄だろうと分かっているような口調で付け加えた。
「旦那、どうせ狩りの後は鍛えるんすよね?あれ人がやっていい訓練じゃないと思うんで、程々にしときやせんか?」
「あ、それ俺も思いました。なんすかあの瓦礫の山を抱えてスクワットするやつ。寝ぼけて見た夢かと思いやしたぜ」
「あとあれな、石柱を小枝みてぇにブンブン振り回して素振りしてるやつ。あれ遠目に見たら軽いホラーっすよ」
ドラグネスをはじめ、男達から口々に出てくるエフォートの訓練法。どれも人間業じゃないと妙な盛り上がりを見せた後、口を揃えて言われる。
程々にして、嬢ちゃんについてやれ、と。
「わ、わかったって」
強面の男達に口を揃えて言われ、エフォートは渋々頷く。
だがその夜、貧困街にいつもの如くブンブンと巨大な風切り音が響くのを耳にして、ドラグネス達は溜息をこぼすのであった。
コメント