シーマン

文戸玲

嫌煙家


「いつまで待たせるんだよ」


三杯目のジンが入ったグラスを掲げて,バー・スリラーに入ってきた大貴に声を掛ける。


「お前が飲もうって言ったんじゃねえか。手持無沙汰でポップコーンまでおかわりしたじゃねえか」
「わりいわりい。急な用が入ってん。ってか,ろれつ回ってへんで」


 ろれつが回らず,うまく話せないのが分かる。
 気分転換に,赤マルを取り出してライターに火をつけた。
 マスターに飲み物を頼んでいた大貴が,煙を吐くおれを見て鬼のような形相になりで煙草をむしり取る。


「何すんだよ」
「おれ,煙草が嫌いやねん。頭悪いねんから,健康ぐらい気ぃつかえや」
「ほっとけよ。煙草吸ってそうなビジュアルで何言ってんだ。お前も吸えよ」


 そう言って赤マルを一本取り出して差し出すと,激しく手の甲を打たれた。
 電気が走ったように腕がしびれる。


「何すんだよ」
「見栄張って煙草吸って,カッコ良くなったつもりなんやろ。しょうもな」
「渋い男はみんな煙草吸ってるんだよ。ワンピースのサンジも,ルパンの次元も,フィリップマーロウも,紅の豚でさえ吸ってる」
「お前は飛べない豚だろうが!」


 思いのほか大きな声で怒鳴られ,バーの中も静寂に包まれた。マスターは何事もなかったかのようにグラスを磨きつつも,こちらの様子を伺っている。この時間にしては珍しく酔いつぶれていない姿,一層シリアスな雰囲気にさせている。


 しばらくの沈黙の後,ばつが悪そうに大貴が口を開いた。


「悪かった」
「いや,おれの方こそしつこかったよ」


 おれたちはそれぞれマスターにお代わりを注文した。おれはギムレット,大貴は聞いたこともないショートカクテルの名を口にした。
 どちらもきついお酒だった。その時のおれたちは,どことなく酔いたい気分だったのだ。
 
 マスターがカウンターに置いたカクテルを手元に運びながら,大貴は言った。


「煙草を見ると,思い出すんだよ。親父のこと」


 おれは何も言わなかった。それが,続きを促す合図だった。おれなりの,聞かせてくれというサインを大貴は受け取り,思い出したくなかったであろう少年時代について,ぽつりぽつりと語りだした。


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