シーマン

文戸玲

脳筋


「いい加減,もういいかな?」


 シーマンが大貴に餌付けをされている間に,おれはジンを二杯お代わりし,チェイサーにビールを飲んでいた。マスターに関してはしなしなのポテトチップスのかすを顎に髪の毛に乗せて,カウンターに例のごとく突っ伏している。

 ん? とやっとこっちを向いたシーマンは「おお,そうじゃったの」とさっきのやりとりはまるで頭になかったかのように言った。


「なんで振られたか分かっとるか?」
「そりゃ,オートロックを勝手に解除するストーカーまがいの男が,魚を入れた水槽を抱えた人間を引き連れて現れたんだ。誰だって関わり合いを避けるだろ」


 いらいらしながらシーマンに言った。
 ただ,責任は自分達にはないと考えているようだった。

「違うの」
「何が違うんだよ」
「その言い分じゃったら,まるでインターフォンを押して一人で告白をしていたら報われていたみたいに聞こえるんじゃけど,そういうことでえかったんかの?」


 ぐっ,とくぐもるような声がのどから出た。
 確かに,一般的なマナーを守って思いを伝えていたところで,自分の気持ちは伝わっていなかったと思う。それは間違いない。


「違うじゃろ? つまり,アプローチも考え方もすべて間違うとるんよ」
「どうすれば良かったんだ? あれよりもドラマチックな登場の仕方をしろとでも? ベッドの下から現れるとか」
「発想がまじきもいねんけど」


 お前は黙ってろ,と大貴を一喝してシーマンに続きを促す。


「はっきり言って,清介の恋がどうやっても叶わんのは分かっとった」


 もしおれの右手にハンマーがあったら,今すぐこの水槽をかち割っていただろう。


「清介,振られたとき,なんて言われたんや」
「・・・・・・好きな人がいる」
「誰やそいつは」
「知らないけど・・・・・・女の子らしい」
「それがどういうことか分かるか?」


 シーマンはさっきとは打って変わった真剣な顔つきで問いかけてきた。

 どういうことかだって? それ以上の説明はないじゃないか。美緒ちゃんには好きな相手がいて,しかもそれが女の子だったんだ。もうおれの中では終わっている恋なんだから,思い出させないでほしい。

 涙が浮かびそうになるのを必死でこらえていると,「次は同じ失敗をせんのんじゃけ,大丈夫よ」とシーマンが労ってきた。
 言っている意味が分からず,「適当なことを言うな」とシーマンを一瞥する。


「ええか。まず大前提として,世の中には変えられるもんと,どんだけ頑張っても自分ではどうしようもないもんがある。そのことを痛感したんじゃないんか」
「変えられるものと,どうしようもないもの?」
「ほうよ。自分が好きになった女の子は,性的思考が自分とは違うんじゃろ? でもそれっちゅうんは,自分にはどうしようもないもんじゃ。正しいとか,素晴らしいとかの概念を超えて,すべて受け入れられるべきもんよ。そこで価値観や考え方違うんなら,諦めるしかないじゃろ。自分が影響を与えられないところでいくら頑張っても,無駄な努力で終わるだけじゃ」


 言っていることは,何となく分かる。でも・・・・・・


「それじゃあ,世の中頑張っても無駄なことばかりってことじゃないか」


 子どものように駄々をこねているという感覚はあったが,今のおれには何を言われても受け入れられる気がしない。ましてやそれが,美緒ちゃんへの恋心が無駄なものだったなんて。


「それはちゃうと思うけどな」


 大貴が割って入った。「そういうことが言いたい訳ちゃうやろ?」と大貴がシーマンに問いかけると,「よう分かっとる。脳みそまで筋肉になってしもうた男とは違うの」と口から泡を吹きだしながら答えた。


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