シーマン

文戸玲

どうでもよくない


「悩み,解決しちゃろうか」


 予期せぬところから声が発せられたので,危うくグラスを落とすところだった。


「おれの悩みを解決する? お前がか?」


 水槽の目の前まで行き,腰をかがめて目線をシーマンに合わせた。ふつふつと湧きあがる怒りが抑えられそうにない。


「おれの悩みはな,てめえと出会ったことなんだよ!」


 水槽に手を当ててガタガタと揺らしながら叫ぶと,水槽の中で暴れた水が跳ねて顔に飛び散ってきた。
 シーマンは「落ち着け!」と声を荒げながら水槽を泳ぎ回り,大貴は口からポップコーンを飛ばしながら腹を抱えて笑っている。


「清介,お前は勘違いしとる。わしは人の気持ちを読めはせん。そんなん,ちょっと考えたら分かるじゃろうが!」
「じゃあ,なんだあれは! おれの心の中を読んでいたじゃないか。お前はいったい何者なんだ!」
「お前は自分の心の声が全部漏れとるんじゃ! もっと人の声を聴かんかい!」


 その通り,と大貴が合いの手を打つ。バーには一瞬の静寂と,マスターのいびきがかわるがわるにやってくる。


「つまり,全てはおれの勘違いだと?」
「そうじゃ」


 確かに,おれは周りに誰もいないのに突っ込みを入れたり,相手に聞かせるべきではない独り言をつい言ってしまって,周囲から白い目で見られることはあった。
 おれの勘違いか,そう納得しかけた時,一つ腑に落ちないことがあることに気付いた。


「おれの身体はピタゴラスイッチか!! っていう渾身のツッコミ。あれは? あの時は間違いなくいなかったよな?」


 シーマンは水槽の中でバブルリングを作って遊びながら,どうでもよさそうに言った。


「あれだけは別じゃ。まあそう気にすんなや」
「それが気になるんだよ!」


 頭を抱えてうずくまると,大貴が背中を撫でながら「スケベ心が覗かれるんって,気が気じゃないやんな」と優しくいった。その手が小刻みに震えて,顔を見なくても笑いをこらえているのが分かる。


「清介,しっかりせえ。一緒に清介の悩みを解決しようや」
「おれの悩みは他にない」
「嘘こけ。ほんなら,この前ようやくデートにこぎつけた女の子のことはもうどうでもいいってことじゃの? わしならなんとかできそうじゃったのに,清介がそう言うなら,しゃあないわな」


 顔を上げてシーマンを見る。
 こいつ,どこまでおれのことを把握しているんだと薄気味悪く思ったが,もう今さらだ。
 それに,おれはこの不思議な生き物に力を貸してもらえれば,自分一人では成し得なかったことが達成できるような気が沸いてきたのかもしれない。


「どうでもよくない」


 気づけば,シーマンの前でそう返事をしていた。


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