シーマン

文戸玲

セミの死因


 怖くてしばらく部屋の中に入れなかった。セミがうるさく鳴くのを聞いては,「この世界はおれ一人じゃない」と言い聞かせて心を落ち着かせていた。二十段腹ぐらいに割れているのか脂肪なのか分からない体つきをしている生き物に励まされる日が来るなど考えてもみなかった。

 昔,大貴が話していたことを思い出した。「セミがなんで一週間しか持たへんと思う? あいつら,あんなちっさい体で,運命の相手と出会うために全身震わしてるやん。あれ,人間に置き換えてみ? 無理やん,普通。そら死んでまうやろ。そういうことやねん」

 遠い目をしながら,大貴はそう言った。幸せを身体全身を使って求めて,そうして幸せに果てていく場合もあれば,願い叶わず無残な最期を迎える場合もあるだろう。大貴の過去を一度だけ聞いたことがあったおれは,その目に浮かぶ涙に何か深い意味を感じ取った。


「しょうもないことを思い出したな。しかも,あのセミのエピソード,真っ赤な嘘だったんだから,ほんとでたらめな奴だな」


 独り言と同時に,近くで鳴いていたアブラゼミは泣き止んだ。
 それを合図に「よっこらせ」とわざと声に出して重たい腰を上げた。
 仕方ない。なるようになれだ。
 そう自分に言い聞かせ,十分ほど前に大貴が入っていった扉に手を伸ばした。


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