帰らずのかぐや姫

若槻 風亜

其の五 6



「ええい、何と情けないことかっ! あれで我が国の先鋒隊長を担っておったとはおこがましい。何をやっとるかお前たち、早く姫を捕らえんかっ!!」


 喚いたのは長官だ。それに応えるように天人たちが両手を前に出して力を使おうとする。しかしもうかぐやに黙ってそれを受け入れてやる必要などない。向けられんとする力を、殺気を飛ばすことで制した。幻覚すら浮かぶほど強い殺意に天人たちはたじろぎ、ある者は悲鳴を上げ後ろざまに転び、ある者は尻餅をついている。かぐやはそれらを睨みつけた。


「まだやる気?」


 鬼の目のまま脅しかければ数人が後ずさった。これならもう少し脅せば予定通りになりそうだ。かぐやは内心で笑う。しかし、その時だ。


「品のない女」


 涼やかな声が混乱しつつあった場を割った。声の主は天の車の前に立つ青年だ。静かに彼が歩き出すと、長く艶やかな髪を結った紐についた鈴が鳴り、それが命令であるかのように自然と天人たちが左右に分かれ道が出来る。


 そうして青年は、自身よりも年上であろう天人たちが恐れるかぐやの前に立った。


「まあいいか。月の姫としてじゃなくて鬼の手駒として迎えに来たんだものね」


 柔らかに微笑むとまるで花が咲いたかのように周りの空気が華やぐ。その様子にかぐやは気持ち悪さを覚え、地上人たちはそのかぐや自身を思い出した。目の大きさと性別さえ気にしなければ、彼は単衣に身を包み猫を被っている時の彼女に瓜二つなのだ。


 地上がざわめく中、かぐやは眉を寄せ青年に声をかける。


「怖いもの知らずだね。あんた誰?」


 問いかければ青年は腰に下げた美しい刺繍のされた布袋から何かを取り出した。それは細かな彫りのされた横笛であり、目の肥えた者であればそれだけでひと財産が築けるほどのものだと分かるだろう。


 青年はそれを口の近くまで持ってきてから、かぐやにもう一度微笑む。


赫陽かくひ。あなたの弟だよ、赫夜かぐや


 弟、と言われかぐやが動揺したその隙に、赫陽は笛に口をつけて息を吹き込んだ。高く鳴り響いたのは流麗な曲だ。再会を祝していると言われれば納得出来るほどにその音は美しく、宮中で一流の楽の音に囲まれているはずの帝すらも心を奪われたかのように聞き惚れる。


 だが、文字通り天上の音であるそれに、ただひとり、悶絶の悲鳴を上げる者がいた。――かぐやだ。


「がっ、あああっ、うがあああああああああっっ」


 両腕で頭を抱え狂ったように悲鳴を上げ、かぐやは悶え苦しむ。時折逃れるように暴れるが、それらは周囲を壊すばかりで何の役にも立たない。


 この音が何なのか、何故あれほどまでにかぐやを苦しめるのか。地上人たちには分からなかった。だがただひとり、光典だけはその理由をいち早く察する。


 以前聞いたことがある、月の人々が自身よりも遥かに大きく遥かに強靭で遥かに強かった鬼たちに勝利した理由。弱き者の常套手段である団結と、彼ら特有のその不思議な術、そして鬼を操るために作られた、音――鬼操のきそうのね


 光典はこれがその音だと判断するとすぐに行動に出る。近くに落とされていた弓と矢を手に取ると、弦を強く引き青年・赫陽に向けて一呼吸の間に撃ち放った。だが、放たれた矢は落ち着きを取り戻した天人たちの外能力によって途中で止められてしまう。


「無礼者が。おおそうだ、赫陽様。月での本番に備え、この穢れた地上人共でその鬼の操り具合を確認なされてはいかがでしょうか?」


 地を這う虫を見下すような目をしていた長官は、よいことを思いついたというように声の調子を上げる。笛を奏ながら、赫陽はちらりと長官に目を向けてから、屋根を見上げる地上の者たちに視線をやった。光典が目が合ったと錯覚した瞬間、その涼やかな双眸が僅かに細まる。それが、長官の進言を受け入れることを示すと察した光典は腰の刀を抜いた。つられるように帝の兵たちが各々武器を構えだす。





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