帰らずのかぐや姫

若槻 風亜

其の五 2



 鬱陶しげに十二単を引きずり姿を見せたのは、皆が伏すしかない天人たちの力の満ちる中軽い調子で出て来たかぐやその人。天人たちは一瞬顔を引きつらせたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて一斉に手を前に差し出した。


 またあの不可思議な力を使う気だ、と、翁は慌てて娘を見上げる。しかし、かぐやは軽く振り返って笑うとまた前を向いてしまった。翁はそれきり言葉を失う。絶望からではない。天人たちから見えないように向けられた笑顔は、あまりにも勝ち誇ったもので、唯々諾々と彼らの言うことを聞く様子にはとても見えなかったから。何か考えがあるに違いないと、翁はうなだれて、その顔から絶望が消えつつあることを隠した。


「我らの前においでませ姫君」


 木霊となって重なった声は薄気味悪く夜に溶けていく。その声に応えて、かぐやの体に『力』が巻きついてきた。腕、足、首、胴体、頭。全身にまとわりつくそれを、感覚が優秀なかぐやは嫌気が差すほど明確に感じ取る。


 さすがに月を鎮めた狂気の矛を迎えに来ている一団だけはあった。逃すまいと練られた力は強く、かぐやは水すら漏らさないほど緻密な網に捕らわれているような感覚を覚える。しかしそれでも、鬼の力を得たことで天人としての力も底上げされたかぐやには難なく振り払えるものであったはずだ。


(……今は無理だけどね)


 内心でひとりごち、かぐやは徐々に近付く迎えの一団を油断なく――傍目には諦めたように――見つめた。感付かれてはいけない。彼女の目的は彼らを油断させ近付いて来た時はじめて遂げられるようになるのだから。


 ややあって、完全にかぐやが屋根に上がった。


 対峙するのは皆彼女を侮っていることを隠さない文官服の天人たちだ。大人しくやってきたので、完全にかぐやは力を失っていると思っているらしい。かぐやはそれを認めて静かに行動の時を待つ。


 彼女は気付いていないらしい。天人たちの中で、一際大きな体躯の男がかぐやの動向を窺っていることに。


「さあ姫君こちらへ。陛下たちがお帰りをお待ちです」


 天人の中でも飛び抜けて装束が派手な男――かぐやは長官と判断した――は、片手をかぐやに差し出した。対面したかぐやのみならず、音しか聞こえない地に伏している者たちにすら、それは高慢で尊大な印象を与えてくる。しかしかぐやは物言わずにその手を取ろうと手を伸ばした。


 手が触れる、その直前、かぐやの表情が一変する。彼らが恐れ、危惧した、〝武人〟としての彼女の顔だ。それは正に刹那。この高慢な長官にも、戦線に参加したことがないだろう文官たちにも、見抜き、阻止することなど出来るはずがない。だが。


「ぐえっ!?」


 潰れた蛙の様な声を出しながら長官の体は後ろへと引き倒された。それと同時に襲ってきた掌打を、かぐやは長官を掴むために伸ばしていた手を返して受ける。思いがけない攻撃はまるで岩で殴られたかのように重い。この近距離でいきなり手を交わすのは不利だと感じたかぐやは、爪先を屋根に差し込むように落とすと、引き抜く勢いで瓦を蹴り上げた。


 襲撃者が一瞬怯んだ隙に十歩分ほどの距離を一気に飛び離れ、かぐやはそこでようやく相手の姿を視界に入れる。


 そこにいたのはひとりの男であった。大柄で筋骨隆々、炯々たる眼光に油断の色は一切なく、立ち込める闘気も計り知れない。文官の上着こそ羽織っているが、その立ち居振るまい、文官であろうはずがなかった。


 かぐやは予想外の存在に楽しげに笑う。





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