縁の下の勇者
72.事故
マルティーナとの対話の後、特に予定のなかったケントとミランダは王都の冒険者ギルドを覗いてみることにした。
フロスティは用事があるとのことだったので別行動だ。
ランドン伯爵家の屋敷がある貴族区には貴族の屋敷と貴族専用の商会、一部国家機関の施設などがある。
いずれも高等な教育を受けている人物が居住し、勤めているためか貴族区は非常に静かだ。
通りで大声で商品を売る露店商や、昼間から酒を飲んでばか騒ぎをする冒険者の姿など当然見られない。
静かな空間が嫌いと言うわけではないが、ケントとしては平民区のような活力溢れる街並みの方が好きだ。
同じ人混みでも現代のような通勤、通学のためにただ人が多く車や電車の騒音が響いているというのは苦手だったが、この世界のように日々を精力的に生きる人々から生じる音は不思議と不快ではない。
目的のギルドは平民区にあり、王城からは少し距離があったので路線馬車を使おうかと思ったが、時間に追われているわけでもないので散歩がてら歩いていくことにした。
「ミランダも気がついていたの?」
「ハッキリとは見えなかったけど、なんとなくいることはわかったわ。」
今話しているのは、マルティーナと対話していた部屋にいた隠密騎士のことだ。
ケントの創るレベルⅥゴーレム程ではないが、それに近いレベルの隠密であったと思う。
ミランダがケントと共にゴーレム相手に日々特訓をしているとはいえ、まだ数ヵ月だ。
少なくとも出会ったばかりのミランダでは、今日会った隠密騎士に気がつくことはなかったはずだ。
わずか数ヵ月で王族に仕える国内有数の実力者であろう騎士の隠密を、完璧ではないとはいえ看破してしまうミランダの才能は底知れないものを感じる。
「彼女はいざというときに、敵の不意を突くために隠密をしていたのかな。
もしくは相手に気がつかれないように、部屋の中で交わされた会話の内容を外部に伝えるための要員か。」
「マルティーナ殿下の敵のスパイという可能性はないかしら?」
「俺が魔法を使おうとしたときに姫様を庇えるよう構えていたから、敵っていうことはないんじゃないかな。
もっとも姫様にも知らされていない、秘密の護衛という可能性はあるけど」
彼女の正体はわからないが、既に氷魔法は見せてしまった。
今更慌てても仕方が無い、なるようになれだ。
そんなことを話していたときだった。
「キャー!!」
通りに女性の悲鳴が響いた。
何事かと反射的に悲鳴の聞こえた方向を見ると、立ち往生している馬車と、その前方に倒れる子供の姿があった。
状況から察するに子供が馬車にはねられたようだ。
子供はうずくまったまま動く気配がない。
悲鳴はたまたまその様子を見ていた通行人のものらしい。
ケントは突然起こった目の前の出来事に思考が追いつかず、しばし呆然としてしまった。
しかし、その間にも状況は動いていた。
止まっていた馬車の窓が開き、そこから顔を覗かせた男が突然怒鳴り始めた。
「何を止まっている!
早く進まぬか!」
「そ、それが突然子供が飛び出してきまして……。
慌てて馬車を止めたのですが間に合わず……。
ど、どうしましょう……。」
怒鳴られた御者は子供をひいてしまって気が動転しているのであろう、言葉を詰まらせながら怒鳴る男へと返事をした。
「平民のガキをひいたくらいでいちいち馬車を止めるな。
平民のガキの命と私の時間、どちらが大切かなど言うまでもなかろう。」
「で、ですがこのままでは死んでしまうかも………。」
「くどいぞ!
私に同じことを言わせる気か!
早く馬車を出せ、さもないとお前を首にするぞ!」
首という言葉に動揺したのか、あろうことか御者は子供がまだ馬車の前にうずくまっているのにも関わらず手綱に手をかけた。
「ケント!!」
ミランダの声にはっとする。
そうだ、今の自分ならあの子を助けられる!
ケントは隠密を発動させると馬車に向かって氷魔法を放ち、車輪と地面を凍らせて固定した。
「おい、何をモタモタしている!」
「す、すみません。」
手綱を引いているにも関わらず、一向に進まない馬車で騒ぐ2人を尻目にケントは子供へ近づいた。
出血はそれほどではないようだが、意識はないようだった。
頭を強く打ったのかもしれない。
急いで子供に回復魔法をかける。
即死だったらどうしようかと思ったが、幸いにも魔法の発動に手応えがあった。
回復魔法が発動するということは、まだ生きているということだ。
生きてさえいれば、ケントの魔法ならどんな状況からでも回復することができるはずだ。
勝手に覗き見ることを心の中で謝罪しながら鑑定を発動し、ステータスをモニタリングしながら回復魔法をかける。
HPが全快したところで魔法をかけるのを止め少し様子を見るが、時間経過による持続ダメージのようなものは無さそうだった。
まあ、ステータスを見れば異常がないことは一目瞭然だったが、念のためだ。
回復はしたものの、未だに目を覚まさない子供を抱えあげると通りの端まで運び、建物の壁へともたれかけさせた。
治療院のようなところへ運んで休ませてあげるべきなのかもしれないが、残念ながらケントには場所がわからない。
目を覚ますまでは近くで見守っているつもりなので、それで妥協する。
どうにか助けることができてホッとしていると未だに騒いでいる2人の声が聞こえた。
正直馬車に乗っている奴にはムカついていたのでこのまま放置しておくのも良いかと思った。
ブクブクと太った顔に薄くなった頭。
人を見た目で判断するのは良くないが、どうやら中身もろくでもなさそうなようなので、嫌悪することに良心の呵責はない。
だが、いつまでも怒鳴られている御者の人が可愛そうだったので馬車の氷を溶かすことにした。
突然動くようになった馬車にホッとしたような顔をして、そのまま手綱を引く御者。
馬車の前方に倒れていた子供がいなくなっていることに気がつく様子もない。
立て続けに起こったハプニングで混乱しているのかもしれないが、自分が馬車でひいた子供のことを忘れるのはどうなんだと思わなくもない。
まあ仕方ない。
ケントに人を裁く権利はない。
気に入らないからという理由であの2人に嫌がらせをするようでは、自分の都合で子供を見殺しにしようとする彼らと大差ない。
ひかれた子供には悪いが、所詮は赤の他人であり、自分の倫理観を無視してまで仕返しをしようとは思えない。
走り去る馬車を見送りながらそんなことを考える。
壁にもたれかけて眠る子供に気がついた女性が、慌てて駆け寄ってきた。
どうやら知り合いのようで、悲鳴をあげたのもこの人だった。
ケントは回復魔法をかけているときも、運んでいるときも子供ごと隠密を発動していたので周囲の人には突然目の前で子供が消えたように見えたのだろう。
そのせいで壁にもたれかかる子供に気がつくのに遅れてしまったようだ。
女性の呼び声で意識を取り戻したのを確認してから、未だに騒然としている人混みの間を縫ってミランダの元へと向かった。
「ただいま。」
「おかえりなさい。
あの子を助けてくれてありがとうね。」
泣きながら抱きしめる女性に困惑しているのか、状況が呑み込めないのかおろおろしている子供に視線を向けながらミランダが呟く。
「ミランダが声をかけてくれたお陰だよ。
もし声をかけてくれなかったら、ただ呆然としているだけで、助けられる命を見殺しにして後悔するところだった。
ありがとうね。」
こちらを向いたミランダと視線が重なる。
どちらともなく自然と笑みがこぼれた。
フロスティは用事があるとのことだったので別行動だ。
ランドン伯爵家の屋敷がある貴族区には貴族の屋敷と貴族専用の商会、一部国家機関の施設などがある。
いずれも高等な教育を受けている人物が居住し、勤めているためか貴族区は非常に静かだ。
通りで大声で商品を売る露店商や、昼間から酒を飲んでばか騒ぎをする冒険者の姿など当然見られない。
静かな空間が嫌いと言うわけではないが、ケントとしては平民区のような活力溢れる街並みの方が好きだ。
同じ人混みでも現代のような通勤、通学のためにただ人が多く車や電車の騒音が響いているというのは苦手だったが、この世界のように日々を精力的に生きる人々から生じる音は不思議と不快ではない。
目的のギルドは平民区にあり、王城からは少し距離があったので路線馬車を使おうかと思ったが、時間に追われているわけでもないので散歩がてら歩いていくことにした。
「ミランダも気がついていたの?」
「ハッキリとは見えなかったけど、なんとなくいることはわかったわ。」
今話しているのは、マルティーナと対話していた部屋にいた隠密騎士のことだ。
ケントの創るレベルⅥゴーレム程ではないが、それに近いレベルの隠密であったと思う。
ミランダがケントと共にゴーレム相手に日々特訓をしているとはいえ、まだ数ヵ月だ。
少なくとも出会ったばかりのミランダでは、今日会った隠密騎士に気がつくことはなかったはずだ。
わずか数ヵ月で王族に仕える国内有数の実力者であろう騎士の隠密を、完璧ではないとはいえ看破してしまうミランダの才能は底知れないものを感じる。
「彼女はいざというときに、敵の不意を突くために隠密をしていたのかな。
もしくは相手に気がつかれないように、部屋の中で交わされた会話の内容を外部に伝えるための要員か。」
「マルティーナ殿下の敵のスパイという可能性はないかしら?」
「俺が魔法を使おうとしたときに姫様を庇えるよう構えていたから、敵っていうことはないんじゃないかな。
もっとも姫様にも知らされていない、秘密の護衛という可能性はあるけど」
彼女の正体はわからないが、既に氷魔法は見せてしまった。
今更慌てても仕方が無い、なるようになれだ。
そんなことを話していたときだった。
「キャー!!」
通りに女性の悲鳴が響いた。
何事かと反射的に悲鳴の聞こえた方向を見ると、立ち往生している馬車と、その前方に倒れる子供の姿があった。
状況から察するに子供が馬車にはねられたようだ。
子供はうずくまったまま動く気配がない。
悲鳴はたまたまその様子を見ていた通行人のものらしい。
ケントは突然起こった目の前の出来事に思考が追いつかず、しばし呆然としてしまった。
しかし、その間にも状況は動いていた。
止まっていた馬車の窓が開き、そこから顔を覗かせた男が突然怒鳴り始めた。
「何を止まっている!
早く進まぬか!」
「そ、それが突然子供が飛び出してきまして……。
慌てて馬車を止めたのですが間に合わず……。
ど、どうしましょう……。」
怒鳴られた御者は子供をひいてしまって気が動転しているのであろう、言葉を詰まらせながら怒鳴る男へと返事をした。
「平民のガキをひいたくらいでいちいち馬車を止めるな。
平民のガキの命と私の時間、どちらが大切かなど言うまでもなかろう。」
「で、ですがこのままでは死んでしまうかも………。」
「くどいぞ!
私に同じことを言わせる気か!
早く馬車を出せ、さもないとお前を首にするぞ!」
首という言葉に動揺したのか、あろうことか御者は子供がまだ馬車の前にうずくまっているのにも関わらず手綱に手をかけた。
「ケント!!」
ミランダの声にはっとする。
そうだ、今の自分ならあの子を助けられる!
ケントは隠密を発動させると馬車に向かって氷魔法を放ち、車輪と地面を凍らせて固定した。
「おい、何をモタモタしている!」
「す、すみません。」
手綱を引いているにも関わらず、一向に進まない馬車で騒ぐ2人を尻目にケントは子供へ近づいた。
出血はそれほどではないようだが、意識はないようだった。
頭を強く打ったのかもしれない。
急いで子供に回復魔法をかける。
即死だったらどうしようかと思ったが、幸いにも魔法の発動に手応えがあった。
回復魔法が発動するということは、まだ生きているということだ。
生きてさえいれば、ケントの魔法ならどんな状況からでも回復することができるはずだ。
勝手に覗き見ることを心の中で謝罪しながら鑑定を発動し、ステータスをモニタリングしながら回復魔法をかける。
HPが全快したところで魔法をかけるのを止め少し様子を見るが、時間経過による持続ダメージのようなものは無さそうだった。
まあ、ステータスを見れば異常がないことは一目瞭然だったが、念のためだ。
回復はしたものの、未だに目を覚まさない子供を抱えあげると通りの端まで運び、建物の壁へともたれかけさせた。
治療院のようなところへ運んで休ませてあげるべきなのかもしれないが、残念ながらケントには場所がわからない。
目を覚ますまでは近くで見守っているつもりなので、それで妥協する。
どうにか助けることができてホッとしていると未だに騒いでいる2人の声が聞こえた。
正直馬車に乗っている奴にはムカついていたのでこのまま放置しておくのも良いかと思った。
ブクブクと太った顔に薄くなった頭。
人を見た目で判断するのは良くないが、どうやら中身もろくでもなさそうなようなので、嫌悪することに良心の呵責はない。
だが、いつまでも怒鳴られている御者の人が可愛そうだったので馬車の氷を溶かすことにした。
突然動くようになった馬車にホッとしたような顔をして、そのまま手綱を引く御者。
馬車の前方に倒れていた子供がいなくなっていることに気がつく様子もない。
立て続けに起こったハプニングで混乱しているのかもしれないが、自分が馬車でひいた子供のことを忘れるのはどうなんだと思わなくもない。
まあ仕方ない。
ケントに人を裁く権利はない。
気に入らないからという理由であの2人に嫌がらせをするようでは、自分の都合で子供を見殺しにしようとする彼らと大差ない。
ひかれた子供には悪いが、所詮は赤の他人であり、自分の倫理観を無視してまで仕返しをしようとは思えない。
走り去る馬車を見送りながらそんなことを考える。
壁にもたれかけて眠る子供に気がついた女性が、慌てて駆け寄ってきた。
どうやら知り合いのようで、悲鳴をあげたのもこの人だった。
ケントは回復魔法をかけているときも、運んでいるときも子供ごと隠密を発動していたので周囲の人には突然目の前で子供が消えたように見えたのだろう。
そのせいで壁にもたれかかる子供に気がつくのに遅れてしまったようだ。
女性の呼び声で意識を取り戻したのを確認してから、未だに騒然としている人混みの間を縫ってミランダの元へと向かった。
「ただいま。」
「おかえりなさい。
あの子を助けてくれてありがとうね。」
泣きながら抱きしめる女性に困惑しているのか、状況が呑み込めないのかおろおろしている子供に視線を向けながらミランダが呟く。
「ミランダが声をかけてくれたお陰だよ。
もし声をかけてくれなかったら、ただ呆然としているだけで、助けられる命を見殺しにして後悔するところだった。
ありがとうね。」
こちらを向いたミランダと視線が重なる。
どちらともなく自然と笑みがこぼれた。
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