【完結】好きな人にされたら嬉しい50のコト

小海音かなた

Chapter.69

 電車を降りてホームを歩いて改札を出て……遠くに学校が見えたら胃が痛くなってきた。
 夏休み中はあんなに嬉しくてドキドキできたのに、いまは心配のドキドキが強い。
 いや、学校は行くよ。つらいからって、休むわけにはいかない。親に無理言って通ってる学校なんだから。でも、由上さんに会ったら、どんな顔すればいいんだろう……。
 考えと一緒に、歩く速度が遅くなっていく。このまま止まってしまいそうなとき、
「天椙」
「っ!」
 背後から急に声をかけられて、身体がすくんだ。
「悪い、驚かせた」
 振り向いた目の前に立っていた私服姿の男性の名を呼ぶ。「津嶋くん……」
「うん。おはよう」
「おはよう……早いね」
「天椙もな」
「うん、ちょっと」
 人にあんまり会いたくないから、なんて理由は言えなくて、濁しつつ歩き始めたら津嶋くんも同じ速度で歩を進めた。
「もう大丈夫なの? 体調」
「うん、一応」
「あんまり無理すんなよ。文化祭の準備とかもあって忙しいんだからさ」
「うん、ありがとう」
 まだ誰もいない通学路を、二人でゆっくり歩く。なんとなく間が持たなくて、口を開いた。
「……偶然だね」
「……そう思う?」
「ちがうの?」
「違うよ」
 即答した津嶋くんの言葉に、思わず立ち止まった。
「心配で、でも一緒に行こうって言っても断られるだろうと思って、来るの待ってた」
 まっすぐな瞳がこちらを見つめている。
「迷惑だろうと思ったけど、止められなくて」
「め……迷惑なんて、そんなこと……」
 私が津嶋くんと同じ立場だったら、同じことしてたと思う。だから、迷惑だなんて思わない。
 津嶋くんはふと駅のほうを見て
「少し、違う場所で話さない?」
 通学路とは違う方向を指した。
「うん……」
 駅から出てくる人影とは別方向へ進む津嶋くんに着いて歩く。秋口の風が心地よくて、無意識のうちにしていた緊張がほぐれていく。
 学校から少し離れた道沿いで、津嶋くんが立ち止まった。このあたりだったらきっと、学校の人は誰も通らないと思う。
「寒くない?」
「うん……平気」
「風邪とかだった?」
「ううん? そういうのじゃなくて……病気じゃなくて……」
 精神的なものです……とは言えなくて
「病気じゃないから、大丈夫」
 結局具体的なことはなにも答えられなかった。
「……なんかあった? ……由上と」
 急に出た名前に、心臓が反応する。
「な、なにもない」
 由上さんとは、なにも……。
 うつむいて黙ってしまった私を、津嶋くんは見守ってくれている。
 どうしてそんなに、優しくしてくれるんだろう。津嶋くんも、由上さんも……。
「なんで……」
 由上さんには言えない言葉を、津嶋くんになら言えてしまう。それはどうしてなんだろう。
「好きだから、まだ」
 津嶋くんから放たれたストレートな言葉にドキリとする。
「“なんで優しくするの?”とかでしょ? 聞きたいの」
「う、ん……」
「優しくしたい相手だから。あとなんか、かまいたくなる。天椙は」
「そ、そういう、もの?」
「うん」
「そう、なんだ……」
 よくわからないけど、ありがたいことなのはわかる。私なんかにそんな感情を持ってもらえるとか、音ノ羽に入る前には考えられなかった。
「好きなんだよ、どうしても。無理だって、わかってても」
 無理……なのかな……。
 一年のときはそう思ってた。私なんかとそういう関係になっても、きっと幻滅させるだけだって。でもこんなに、ずっと想っててくれる人のこと、なんとも思わないままなんて……。
 黙って考えこむ私から津嶋くんは視線を外して、
「あとはきっと、由上がハッキリさせるだろうから、おれはなにも言えないけど……」
 うつむいて少し考えて、またこちらを見た。
「なにかあったら力になるから、連絡ちょうだい」
「……ありがとう……」
「うん。……一緒じゃないほうがいい?」
「え?」
「学校、行くの」
「あ……」
 そうだ、学校、行かなくちゃ……。
 考えた途端、胃がキリキリ痛む。
「できれば……一緒に行って、ほしい、です……」
 痛みに気づかれないように、うつむきがちに言った。背が高い津嶋くんからだったら、顔は見えないはず。
「うん。じゃあ、行こう」
 見上げた先に、津嶋くんの優しい笑顔があった。それだけで少し、安心する。
 ちゃんと自分のことを見て、尊重してくれる人がいるんだって。
 それがとても嬉しくて、ありがたかった。
 津嶋くんは文化祭で自分のクラスはなにをやるのか、自分はどんな役割を担っているか、夏休み中はなにをしてたか、なんて話をしてくれた。おかげで教室に着くころには、自然と笑みがこぼれるようになった。
 私のクラスの前まで送ってくれて、「なんかあったら連絡な」って念押ししてくれて、バイバイした。
 少し軽くなった気持ちと一緒に教室に入ったら、何人かの男子生徒と一緒に由上さんが談笑していた。
 ドキリと心臓が反応する。
 私に気づいた由上さんの口が『あ』と動き、周囲の男子に「ちょっとごめん」と断りを入れて席を立った。
 あっ、こっち来る……? どうしよう、どうしたらいい? でもいまなら教室に私以外の女子いないし、お礼だけ伝えて、あ、ファイル、お返ししないと……。
 急ピッチで動き出した思考に従って、通学バッグの中から慌ててクリアファイルを取り出した。
「天椙さん」
「お、おはようございます。これ、ありがとうございました」
「おはよ。いいのに、別に」
 ふっと笑って、由上さんは私が差し出したクリアファイルを受け取る。
「体調は? 大丈夫?」
「は、はい。もう、大丈夫です」
「そっか。送っていけたら良かったんだけど」
「いえ、そんな。お気になさらず」
 気遣ってくださるのはありがたいのだけど、誰か教室に入って来ないかって、見られたりしないかってヒヤヒヤしてしまう。
 誰かに見られたら、またなにか言われたりされたりするかも……って思ったら、挙動不審になってしまう。
「……なんかあった?」
「えっ……」
 驚いて、思わず顔をあげた。目の前に、由上さんの心配そうな顔。
 また胃が痛む。
 関わったら、どうしたって迷惑をかけてしまう。
 もういっそ、素直に言ってしまおうか。
 あなたと仲良くしてるから、嫌がらせされてます――って……言えるわけがない。
「……ぁ」
 口を開いたと同時に教室のドアが開いた。入ってきたのは恵井エイさんとシイさんだ。
 心臓がギクリと縮む。
「す、すみません」
 由上さんに頭を下げて、私はその場を去った。
 教室を出て、そのまま女子トイレの個室に入る。ここも嫌な記憶が呼び起こされる場所だけど、あのまま教室にいて、由上さんと喋ってるとこを見られるより、いい……んじゃないかな……。
 きしむ胃と胸を押さえてうずくまる。あともう少ししたらチャイムが鳴って、ホームルームや授業が始まる。そうしたら、誰にもなにもされない。だから大丈夫。
「だいじょうぶ……だいじょうぶ……」
 かすれた声が小さな個室に消えていく。
「だいじょうぶ……」
 なにをされても、なにを言われても、それが由上さんに向かわなければ、だいじょうぶ……。
 繰り返し、呪文のように唱えていたら、個室の中にチャイムの音が響いた。重い身体をゆっくりと持ち上げ、ドアの鍵を開けた。

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