ボクっ娘の後輩は砂糖と秘密で出来ている

瀬野 或

#5 目五色に迷うⅤ


 中学生の頃から洋楽に手を出していた颯汰郎は、カラオケという文化に親しみがなかった。洋楽には親しみがあるけれど、歌えるかどうかは別である。更に言えば、颯太郎は自身の歌唱力も、平凡を極めたものだ、と自己評価していて、英語の発音においてもカタカナである。つまり、どうしようもない。

「颯汰郎先輩、先に歌いますか?」
「いや、歌う曲がまだ決まらないんだ。先、どうぞ」

 歌える曲が決まらないのではなくて、そもそもJーPOPジェーポップに明るくない。流行りの音楽やアイドルもさして興味がなく、日本のヒットチャートさえ知らない颯汰郎は、苦笑いしてそう答えるのがやっとだ。

 そんな颯汰郎とは対照的に、薫はにこにこ微笑みながら「どれを歌おっかなー」楽しげに曲を選んでいる。颯汰郎も、薫も、音楽は好きだけれど、好みのジャンルは真逆だった。

 颯汰郎は主に洋楽の『パンク』と呼ばれるジャンルが好きで、薫は『JーPOP』を専門としている。最近は『VOICELOIDボイスロイド──歌手の代わりに歌ってくれる音楽合成ソフト。総称はボイロ──』にも手を出し始め、歌える楽曲は日に日に増加傾向にある。

 ──でも、ボイロの曲は引かれちゃうかなぁ。

 ボイロ音楽は年々人気が低迷しているが、それと比例して、世間の認知度が高まっている不思議な音楽だ。企業のCMや、情報番組のアイキャッチとして使われたりする。国内で人気度が高いバンドがボイロとコラボしたのが認知度を高めた要因になっているのかもしれない。

 そのバンドは、薫がずっと追いかけている憧れのバンドでもある。物語性のあるメロディと歌詞に定評があるバンドだ。薫がギターを練習しているのもそのバンドの楽曲で、四苦八苦しながらも数曲弾けるようになった。

 ──やっぱりこのバンドがいいな。

 リモコンにバンド名を入力すると、あいうえお順で曲名が表示される。四〇曲以上もある楽曲数を、薫は全て把握していた。それだけでなく、ボーナストラックからインディーズ時代のCD未収録曲までも網羅する筋金入りのファンである。が、ライブには一度も行ったことがない。

 ──よし、この曲にしよう!

 選択した楽曲が、バンド名と共にモニターに映し出される。映像はカラオケ特有のよくわからない実写映像で、文字のフォントが絶妙にダサい。

「ランプオンブルースか。名前だけは聞き覚えがあるな」

 ハイハットが四度鳴り、勢いよくイントロが流れ始める。

「この曲はドラマの主題歌にもなっているので、お店でもよく流れてましたよ」

 薫の声はマイクを通り、エコーとディレイが掛かっていた。

「そうなんだ」と頷き、薫から渡されたリモコンを膝の上に乗せ、彼女の歌声に耳を傾けた。

 伸びやかな歌声だった。高音が綺麗に出ている。ファルセットも違和感なく、音程も安定していた。ビブラートは若干甘いが、それを抜きにしても上手だ、と颯汰郎は思う。自分もこんな風に歌えたらどんなに気持ちがいいことだろうか、とも。

 なによりも、両手でマイクを持ち、一生懸命歌う薫の姿にきゅんとしていた。デバイスのカメラを使って録画したいところではあるが、そんなことをすれば嫌われてしまう。と、もやもやする気持ちをリモコンにぶつけた。

 薫が選んだ『LAMPランプ ONオン BLUESブルース』の『everエヴァ nothingナッシング meミー』の歌詞を要約すると、なんでもない私は何者にでもなれる、という前向なメッセージが込められていた。それを物語調にして曲にしてしまうのだから、歌詞を担当するボーカルの才能は底知れない。

 日本のJーPOPなんて洋楽の下位互換でしかない、と思っていた颯汰郎には晴天の霹靂だった。まあ、それは薫が歌うから良く感じるのであって、ランブルのファンになったわけではないのだが。

 薫は最後まで音程を外すことなく歌い終えた。

「はぁー……気持ちよかったぁ!」
「歌、上手なんだね」
「エヘヘ、ありがとうございます」

 一人で歌っていた甲斐がありました、嬉しそうに微笑む薫。その言葉を聞き、苦しくて悲しかったときはこの曲を歌って乗り越えていたのか! と、目頭を熱くする颯汰郎の勘違いは、益々深刻化していた。

「颯汰郎先輩は歌わないんですか?」

 次の曲が始まらないことに気がついた薫は、寂しそうな目で颯汰郎を見る。個室に二人きり。全開よりも二度落とされた照明は、燻んだ東雲色の壁を濃くし、なんだか淫らな雰囲気を演出する。

 颯汰郎は瞬発力だけが取り柄だが、恋愛事となるとその持ち味は皆無だった。奥手よりも奥手、奥まった奥の細道を、足音を盗んで歩くような小心さ。こういう人間を『草食系』とは呼ばない──ただの臆病者だ。

「歌いたいのは山々なんだけどね。実は、邦楽がわからないんだ」
「あ、だからバイトしているときに流れている曲にも反応しなかったんですね」
「そうそう。みんなが『あ、この曲知ってる』と声を揃えているときも、全然ぴんとこなくてさ」
「じゃあ、今日はボクが颯汰郎先輩の分も歌います! いろいろ覚えて帰ってくださいね」

 がんばるぞー! と得意げに両手でガッツポーズを決める。

 ──可愛いかよ。

 颯汰郎の心は薫に魅了されていた! おそらく、薫の命令とあらば自爆系魔法を行使するのもいとわないであろう。

 好きな人のために命を投げ出すその勢や見事であるとはいえ、ロールプレイングゲームでの自爆魔法はリスクしかなく、一度も使わないプレイヤーがほぼだ。颯汰郎の立ち位置が若干見えつつあるこの状況に、颯汰郎本人だけが気づいていない。ご愁傷様である。

 ──覚えてくださいって、次もあるフラグなのでは?

 断じて違う。

 薫は『覚えて』と言ったはずだが、頭の中がハッピーセットでハッピーターンの粉を吸引した状態の颯汰郎は、薫の言葉を自分の都合がいいように変換していた。自動変換。新たなスキルを獲得した瞬間だった。

 そのスキルは多用しないほうが得策ではあるけれど、いい感じにキマッてしまった颯太郎の思考は留まることを知らない。お疲れ様である。

 片想いの相手とまたデートできるかもしれないと思った颯汰郎は、帰りの道中でレンタルショップに寄ってランブルのCDを全て借りてやろうと決心した。──唯一といってもいい個性『瞬発力』の使い方がド下手くそすぎな颯汰郎だった。


 

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