野良猫は、溺愛する
Act 7: 野良猫は腕からするりと逃げていく(5)
* * *
こんなぐちゃぐちゃな感情の時でも、一緒の仕事は、容赦なくやってくる。
それが、同じ場所で働く人間同士の宿命だから、仕方がない。
「伊吹さーん、今日はパターンいくつ撮るんでしたっけ?」
ここ最近ではめずらしく、今日は我がMen’s Fortツートップの里見君と遊上君ふたり一緒の撮影日だった。段取りを明るく訊いてくる遊上君の後ろには、里見君もいる。
「……今回は、三パターンだよ」
なるべく自然を装ったつもりだったのに、どうやら気づかれてしまったらしい。遊上君が他のスタッフに話しかけられていなくなったタイミングで、彼が傍に寄ってきた。
「伊吹さん、どうかした……? 体調悪い?」
「えっ……どうして?」
「いや……なんとなく元気がなさそうだから」
「そんなことないよ」
自分でも驚くほど、やけに明るい声が出てしまった。それがかえって不自然さを滲ませてしまう。
里見君は納得いっていなかった様子だったけれど、他のスタッフが近くに来てしまったので仕方なく、といった感じで離れていった。
男性誌にしてはめずらしく、今日のロケ場所は遊園地。今回は冬のデートコーデを裏テーマにしているから、企画会議でここが選ばれた。
天候に恵まれたのは良かったけれど、日差しが強すぎるので、撮影までモデルのふたりには用意したパラソルの下に避難してもらう。
「ねえ、あれ……廉君じゃない?」
「あ、遊上君もいる!」
グループで来ていた女性たちが気づくと、撮影隊はあっという間に人に囲まれてしまった。開園前にある程度撮る予定が、ロケハンが思ったより長引いてしまったために、スタートが開園後になってしまったせいだ。
今日は里見君のマネージャーさんが来れないので、なおのこと編集部のほうで気を配らなくてはいけないのに。
「すみません、スマートフォンでの撮影は絶対になさらないでください! SNSなどに上げるのも禁止です!」
「こちらは通路です! 他のお客様の通行の妨げになりますので、絶対に立ち止まらないでください!」
必死に声を張り上げていると、寝不足のせいか目の前がくらくらしてくる。
撮影も再開させなきゃいけないし、あとは警備の人にお願いしようと振り返ると、足が縺れて転びそうになってしまった。
「……お、っと」
私を受け止めてくれたのは、なんと遊上君だった。ギャラリーからは悲鳴にも似た黄色い声が飛んできて、居た堪れなくなる。
「伊吹さん、今日調子悪いでしょ。ロケバスで少し休んだほうがいいですよ」
どうやら情けないことに、遊上君にも悟られていたようだ。私はしっかり立ち上がると遊上君からすぐに距離を取った。
「ありがとう。ごめんね……もう大丈夫だから」
「いや、俺が一緒にロケバスまで行きますから、今日みたいな日は無理しないほうがいいですって」
大事なモデルさんにそんなことをさせるわけにはいかない。しかも彼はこれから撮影がある。
私は一応飲み物だけ飲んでこようと、こちらの状況に気づいて「どうした?」と駆け寄ってきた寺ちゃんに念のため付き添いをお願いして、遊上君には撮影の準備に戻ってもらった。
「夏バテか?」
「うん……そうかも。最近暑さのせいかあまり眠れてなくて」
「確かに、目の下にクマできてるな」
「……あんまりまじまじと見ないでよ」
恥ずかしくなって目を逸らすと、「俺がコンシーラーで隠してやるから」と小声で言われる。軽口を叩きながらも、なんだかんだ、血の繋がっていない兄貴も優しい。
少し離れた園内に停めていたロケバスの中には高額な商品も置いてあるために、運転手さんが車内で待機してくれている。おかげで車内は冷房が効いていて、天国のようだった。
約束どおり、寺ちゃんは私の目の下のクマをコンシーラーで隠すと「しばらく休んでろ」と言って、ロケバスを降りていった。
「ふー……涼しい」
私だけがここで涼むのも申し訳ないと思いながらも、ひとまず持ってきていたスポーツドリンクを飲む。座席に体を預けて少し休んだら、眩暈はすぐにおさまってきた。もしかしたら、軽い熱中症だったのかもしれない。
体調が落ち着いてきて冷静になると、今度は自分の不甲斐なさに落ちこんでくる。みんなのほうに気を配らなくちゃいけない立場の人間が、いったいなにをしているのだろう。
「集中、集中……」
運転手さんには聞こえないぐらいの小さな声で自分に気合を入れると、私も急いでロケバスをあとにした。
確実に体感温度が三十度は超えているような過酷な状況なのに、モデルのふたりは涼しい顔で冬物を着こなしてくれていた。ふたりのプロ根性には、本当に頭が下がる。それに引きかえ私は……と自分がなおさら情けなくなってしまった。
なんとか滞りなく撮影も終わり、ロケバスの中を片づけていると、園内の建物で着替えをしているはずの里見君が、なぜかロケバスに乗ってきた。
「伊吹さん、大丈夫……?」
「里見君、着替えは……?」
「さっき遊上から伊吹さんが倒れたって聞いて、着替える前に様子見に来た」
ロケバスの中には、当然運転手さんもいる。あまり変な話はできない。
「倒れたわけじゃなくて、単にふらついただけで……それに一時間くらい前の話だから、もう大丈夫――」
「心配した」
私の話にかぶせるように、里見君は真剣な顔でそう言った。
……この雰囲気は、まずい。
私は里見君に目配せをして、ロケバスの外に出るように促した。
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