野良猫は、溺愛する
Act 5: 野良猫はなにを考えている?(6)
「ショックを受けても、納得はしてくれなかったのか?」
兄は眉根を寄せた。
「ちゃんと納得されていたら、俺もBijouxの仕事を降りたりしてない」
夢見心地でいた彼女が、現実を真正面から突きつけられた気持ちはどんなだろう。
おそらく話の流れから想像すると、受け入れられなくて、寺ちゃんからの言葉は心の中で『なかったこと』にしたのかもしれない。
それから池尻ありさは偶然を装い、寺ちゃんと会うようになったらしい。最初は本当に偶然だと思っていた寺ちゃんも、数回目からおかしいと気づいて再度本人に問いただすと、メイクルームの時のように逆上されてしまった、と。
その後、モデル仲間に寺ちゃんに関するあることないことを吹聴して回られ、さすがに見過ごせなくなってしまった。
「彼女のマネージャーの話によると、悪い噂を流したのは自分以外の女性を俺に近づけないためだったらしいけど、名誉毀損だし、営業妨害以外のなにものでもなかった。実際実害も出たし、正直、一部ではまだ引きずってる。でも訴えるとか大ごとにはしたくなかったから、向こうの所属事務所とうちとで話して、ありさを俺に近づけないという約束を取りつけたんだ。で、Bijouxの編集長にも大体の事情を説明して、仕事を降りたってわけ」
兄も私も、想像以上の内容に絶句してしまっている。
寺ちゃんの話を聞く限り、池尻ありさは悪質なストーカーだと言っても過言ではない。
前にヒロコちゃんが『彼女はいわゆる天然とかそんな感じでもなくて、計算してやってるような気がするんだよね』と言っていたけれど、それはある意味では当たっていて、ある意味ではそうではなかった、ということか。
「なら今回のことも、メイクさんのことがあった時にBijouxの編集長がいてくれてたら……」
「本当にそう思うよ。スタジオに戻ってきて、スタッフから事情を説明されていた時にありさの叫び声を聞いたらしく、慌ててメイクルームにすっ飛んできたよ。でも結局、彼女でもどうにもならなかったけどな」
だから私が駆けつけた時にはすでに、Bijouxの編集長が部屋から出てきたところだったのか。
では、あのことは……。
私は意を決して、寺ちゃんに尋ねた。
「あの……あの時さ。ありさちゃんが、里見君になにか頼んだとか、言ってたけど……」
「……ああ。俺がなっつと本当につき合ってるのか探らないと画像をばら撒くって、脅してた話な」
ひとしきり話して少しすっきりしたのか、寺ちゃんは「ちょっとだけ待って」と言って冷えたハムカツを美味しそうに頬張り、ぬるくなったビールでそれを流し込んだ。さっきまでは、食べる気も起きなかったのだろう。
「里見と言えば、このことがあるまで俺は、ありさは里見とつき合ってるもんだと思ってたんだよ」
どくり、と心臓が鈍い音を立てた。
今、目の前には聡い兄がいる。なにかを勘づかれないようにと、私は側にあったビールに手を伸ばし、喉に流し入れる。
苦味が、シュワリと音を立てて口内に迸った。
「里見、って誰?」
「里見廉って、なっつのいるMen’s Fort専属のモデルだよ。最近の大きな仕事は時計の有名ブランド、アリストの広告かなー。今度ありさと一緒に、深夜ドラマに出るよ」
ふうん、とあまり興味がなさそうな返事をしながら、兄もハムカツに箸を伸ばしている。兄はファッション誌は読まないから、アリストの広告もおそらく目にしたことはないだろう。
「……私も、ありさちゃんは里見君の元カノだって聞いてたけど、ふたりはつき合ってなかったの……?」
寺ちゃんは口をぎゅっと結んで、こくりと頷いている。
「どうもそうらしい。俺もつき合ってるって噂で聞いてたし、なにより実際仲良さげに一緒に歩いているところを何度か目撃してたからさ」
「目撃……」
ふと、ある考えが頭に浮かぶ。
まさか……でも。
「あの、さ……それは、寺ちゃんが彼女と一緒に仕事し始めてから……?」
「どうだったかな……ああ、初めて彼女のヘアメイク担当になった時に、銀漢社近くの中華の店がうまいって話で盛り上がって、それからその店の前で初めて目撃したから……うん、そうだな」
自分の中で立てた仮説が現実味を帯びていく。
「もしかしたら、だけど……」
「意識させようとしたのかもな、てらに」
どうやら兄も同じことを考えていたらしい。兄を見ると、先に言ってやったと、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「……どういうことだよ」
「他の男と一緒にいるところをてらに見せて、嫉妬心を抱かせようとしたんじゃないかってことだよ」
「はぁ? ふたりともそれなりには忙しいんだし、そもそもそんなにタイミングよくいくか?」
言ってから、寺ちゃんは渋い顔をする。
「……いや、ありさならありえる、か……」
「さっき、偶然を装って待ち伏せされてたって言ってただろ?」
「私も、その可能性は高いと思う」
寺ちゃんは「まじかー……」と言いながら、頭を抱えて大きくため息を吐き出した。
「でも本当にそうだとしたら、里見はありさにどこまで利用されてたんだよ……あんな画像なら、事務所の力でいくらでももみ消せただろうに」
「…………あの、さ」
知りたい知りたくない知りたい知りたくない。
「ん?」
「あの、どんな画像だったの……? 里見君の……」
相反する気持ちがせめぎ合って……結局、訊いてしまった。
鼓動が、どくどくと煩い。やっぱり、耳を塞ぎたくなってきた。でも、もう遅い。頭を抱えていた寺ちゃんは、こちらに視線を向けた。
「……里見のために、ここだけの話にしといてくれよ。ありさが持っていた画像は――」
ヤッパリ、キカナケレバヨカッタノカモシレナイ。
兄は眉根を寄せた。
「ちゃんと納得されていたら、俺もBijouxの仕事を降りたりしてない」
夢見心地でいた彼女が、現実を真正面から突きつけられた気持ちはどんなだろう。
おそらく話の流れから想像すると、受け入れられなくて、寺ちゃんからの言葉は心の中で『なかったこと』にしたのかもしれない。
それから池尻ありさは偶然を装い、寺ちゃんと会うようになったらしい。最初は本当に偶然だと思っていた寺ちゃんも、数回目からおかしいと気づいて再度本人に問いただすと、メイクルームの時のように逆上されてしまった、と。
その後、モデル仲間に寺ちゃんに関するあることないことを吹聴して回られ、さすがに見過ごせなくなってしまった。
「彼女のマネージャーの話によると、悪い噂を流したのは自分以外の女性を俺に近づけないためだったらしいけど、名誉毀損だし、営業妨害以外のなにものでもなかった。実際実害も出たし、正直、一部ではまだ引きずってる。でも訴えるとか大ごとにはしたくなかったから、向こうの所属事務所とうちとで話して、ありさを俺に近づけないという約束を取りつけたんだ。で、Bijouxの編集長にも大体の事情を説明して、仕事を降りたってわけ」
兄も私も、想像以上の内容に絶句してしまっている。
寺ちゃんの話を聞く限り、池尻ありさは悪質なストーカーだと言っても過言ではない。
前にヒロコちゃんが『彼女はいわゆる天然とかそんな感じでもなくて、計算してやってるような気がするんだよね』と言っていたけれど、それはある意味では当たっていて、ある意味ではそうではなかった、ということか。
「なら今回のことも、メイクさんのことがあった時にBijouxの編集長がいてくれてたら……」
「本当にそう思うよ。スタジオに戻ってきて、スタッフから事情を説明されていた時にありさの叫び声を聞いたらしく、慌ててメイクルームにすっ飛んできたよ。でも結局、彼女でもどうにもならなかったけどな」
だから私が駆けつけた時にはすでに、Bijouxの編集長が部屋から出てきたところだったのか。
では、あのことは……。
私は意を決して、寺ちゃんに尋ねた。
「あの……あの時さ。ありさちゃんが、里見君になにか頼んだとか、言ってたけど……」
「……ああ。俺がなっつと本当につき合ってるのか探らないと画像をばら撒くって、脅してた話な」
ひとしきり話して少しすっきりしたのか、寺ちゃんは「ちょっとだけ待って」と言って冷えたハムカツを美味しそうに頬張り、ぬるくなったビールでそれを流し込んだ。さっきまでは、食べる気も起きなかったのだろう。
「里見と言えば、このことがあるまで俺は、ありさは里見とつき合ってるもんだと思ってたんだよ」
どくり、と心臓が鈍い音を立てた。
今、目の前には聡い兄がいる。なにかを勘づかれないようにと、私は側にあったビールに手を伸ばし、喉に流し入れる。
苦味が、シュワリと音を立てて口内に迸った。
「里見、って誰?」
「里見廉って、なっつのいるMen’s Fort専属のモデルだよ。最近の大きな仕事は時計の有名ブランド、アリストの広告かなー。今度ありさと一緒に、深夜ドラマに出るよ」
ふうん、とあまり興味がなさそうな返事をしながら、兄もハムカツに箸を伸ばしている。兄はファッション誌は読まないから、アリストの広告もおそらく目にしたことはないだろう。
「……私も、ありさちゃんは里見君の元カノだって聞いてたけど、ふたりはつき合ってなかったの……?」
寺ちゃんは口をぎゅっと結んで、こくりと頷いている。
「どうもそうらしい。俺もつき合ってるって噂で聞いてたし、なにより実際仲良さげに一緒に歩いているところを何度か目撃してたからさ」
「目撃……」
ふと、ある考えが頭に浮かぶ。
まさか……でも。
「あの、さ……それは、寺ちゃんが彼女と一緒に仕事し始めてから……?」
「どうだったかな……ああ、初めて彼女のヘアメイク担当になった時に、銀漢社近くの中華の店がうまいって話で盛り上がって、それからその店の前で初めて目撃したから……うん、そうだな」
自分の中で立てた仮説が現実味を帯びていく。
「もしかしたら、だけど……」
「意識させようとしたのかもな、てらに」
どうやら兄も同じことを考えていたらしい。兄を見ると、先に言ってやったと、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「……どういうことだよ」
「他の男と一緒にいるところをてらに見せて、嫉妬心を抱かせようとしたんじゃないかってことだよ」
「はぁ? ふたりともそれなりには忙しいんだし、そもそもそんなにタイミングよくいくか?」
言ってから、寺ちゃんは渋い顔をする。
「……いや、ありさならありえる、か……」
「さっき、偶然を装って待ち伏せされてたって言ってただろ?」
「私も、その可能性は高いと思う」
寺ちゃんは「まじかー……」と言いながら、頭を抱えて大きくため息を吐き出した。
「でも本当にそうだとしたら、里見はありさにどこまで利用されてたんだよ……あんな画像なら、事務所の力でいくらでももみ消せただろうに」
「…………あの、さ」
知りたい知りたくない知りたい知りたくない。
「ん?」
「あの、どんな画像だったの……? 里見君の……」
相反する気持ちがせめぎ合って……結局、訊いてしまった。
鼓動が、どくどくと煩い。やっぱり、耳を塞ぎたくなってきた。でも、もう遅い。頭を抱えていた寺ちゃんは、こちらに視線を向けた。
「……里見のために、ここだけの話にしといてくれよ。ありさが持っていた画像は――」
ヤッパリ、キカナケレバヨカッタノカモシレナイ。
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