野良猫は、溺愛する
Act 3:野良猫は鈴をつける(4)
「なんで俺が、伊吹をMen’s Fortの編集部に引っ張ってきたかわかるか?」
いきなりそんなことを訊かれて、困ってしまう。
寺ちゃんのことは話していいのだろうかとか、ぐるぐると考えを巡らせていると、彼は返答が待ちきれなくなったのか「遠慮しなくていいから、言ってみろよ」と促してくる。
私はなんとなく編集長と目が合わせられず、俯き気味で口を開いた。
「……寺嶌さんの口添えがあったからだと、聞いてます」
「ああ、本人からか。んー……まあ、それもまったくなくは、ないかな」
私は驚いて顔を上げた。
「そうじゃないんですか?」
金岡編集長は、嘲笑気味に笑っている。
「俺がそんなもんだけで引っ張るわけないだろ」
「じゃあ、なんで……」
「伊吹は覚えてないか? 一年半ぐらい前だったか、撮影現場で会った時のこと」
そういえば、と思い出す。
一年半程前、以前いた女性ファッション誌とMen’s Fort合同で撮影をしたことがあった。清涼飲料水のCM関連の企画で私がその担当だったのだけれど、思い起こしてみれば確かにその時、金岡編集長も現場に来ていた。
「ありましたね、そんなこと」
「あの時、俺は伊吹の仕事の仕方を見ていて、まだ若いのに随分と優秀なやつがいるもんだと思ったんだよ。周りに対するさりげないフォローや気遣いも凄いなと思ったし」
いつも褒めるようなことを言わない人から褒められると、どうしたらいいのかわからなくなる。
うまく言葉が見つからず「そうでしたか」とだけ言うと、「なんだよ、もっと嬉しがれよ」とまた小突かれてしまった。
「で、欠員が出た時、真っ先に思い浮かんだのが伊吹だったってわけだ。てらしーの言葉はその後押しになったってとこだな」
金岡編集長は、寺ちゃんのことをプライベートでは“てらしー”と呼んでいるようだ。本当に仲がいいのだろう。
「まぁ、そっちの編集長にはあとでブーブー言われたけど」
そう言って笑う。
「……そう、だったんですか」
私は身の置き所に困って、目の前の白ワインを喉に流し入れた。
「だから俺は、伊吹にはかなり期待してる」
「ありがとう、ございます……」
「今回この企画に抜擢したのも、そういう背景があってのことだ」
自分の仕事を、認めてくれている人がいる。しかもそれが、部のトップだという事実。
そう思うと、じわりと心の奥底から温かいものがこみ上げてくる。これまで頑張ってきたことが一気に報われた気がした。
「いつか、伊吹と飲む機会があったら話そうと思っていたんだ。でもその“いつか”に一年もかかってしまったけど」
そう言って、金岡編集長はまた笑った。
嬉しい。本当に、ありがたい。
その一方で、仕事に私情を挟んでしまっている自分が恥ずかしくなる。
それから私たちはお互いにもう一杯ずつお酒を飲んで、お店を出た。
帰る方向を話すと金岡編集長の自宅の通り道だということで、タクシーを相乗りすることとなった。
明日の仕事の話をしているうちに家の近くに着き、私は車が停めやすい、マンション手前の小さな公園の前で降ろしてもらう。
「今日はお疲れ様でした」
私が車内に声をかけると、金岡編集長も「夜も遅いから家の前まで送る」と、いったんタクシーを降りた。一応私も女性扱いしてくれる、ということか。
「遅くまで付き合わせて悪かったな」
「いえ、こちらこそご馳走していただきまして、ありがとうございました」
そう言って私が頭を下げると、金岡編集長は私の頭をポンポンと叩く。
「明日からもよろしく頼むよ」
「驕ってもらったぶん、しっかり働きます」
私が冗談でそう言うと、頭からはずしかけた手が私の頭を小突いた。
「じゃ、また明日」
金岡編集長はそう言って手を上げ、タクシーに向かって歩いていく。彼が乗り込んだタクシーはすぐに、暗闇の中へと消えていった。
私は鞄の中から鍵を取り出しながら、小走りにマンションの入口へと向かう。
と、その時――。
いきなりそんなことを訊かれて、困ってしまう。
寺ちゃんのことは話していいのだろうかとか、ぐるぐると考えを巡らせていると、彼は返答が待ちきれなくなったのか「遠慮しなくていいから、言ってみろよ」と促してくる。
私はなんとなく編集長と目が合わせられず、俯き気味で口を開いた。
「……寺嶌さんの口添えがあったからだと、聞いてます」
「ああ、本人からか。んー……まあ、それもまったくなくは、ないかな」
私は驚いて顔を上げた。
「そうじゃないんですか?」
金岡編集長は、嘲笑気味に笑っている。
「俺がそんなもんだけで引っ張るわけないだろ」
「じゃあ、なんで……」
「伊吹は覚えてないか? 一年半ぐらい前だったか、撮影現場で会った時のこと」
そういえば、と思い出す。
一年半程前、以前いた女性ファッション誌とMen’s Fort合同で撮影をしたことがあった。清涼飲料水のCM関連の企画で私がその担当だったのだけれど、思い起こしてみれば確かにその時、金岡編集長も現場に来ていた。
「ありましたね、そんなこと」
「あの時、俺は伊吹の仕事の仕方を見ていて、まだ若いのに随分と優秀なやつがいるもんだと思ったんだよ。周りに対するさりげないフォローや気遣いも凄いなと思ったし」
いつも褒めるようなことを言わない人から褒められると、どうしたらいいのかわからなくなる。
うまく言葉が見つからず「そうでしたか」とだけ言うと、「なんだよ、もっと嬉しがれよ」とまた小突かれてしまった。
「で、欠員が出た時、真っ先に思い浮かんだのが伊吹だったってわけだ。てらしーの言葉はその後押しになったってとこだな」
金岡編集長は、寺ちゃんのことをプライベートでは“てらしー”と呼んでいるようだ。本当に仲がいいのだろう。
「まぁ、そっちの編集長にはあとでブーブー言われたけど」
そう言って笑う。
「……そう、だったんですか」
私は身の置き所に困って、目の前の白ワインを喉に流し入れた。
「だから俺は、伊吹にはかなり期待してる」
「ありがとう、ございます……」
「今回この企画に抜擢したのも、そういう背景があってのことだ」
自分の仕事を、認めてくれている人がいる。しかもそれが、部のトップだという事実。
そう思うと、じわりと心の奥底から温かいものがこみ上げてくる。これまで頑張ってきたことが一気に報われた気がした。
「いつか、伊吹と飲む機会があったら話そうと思っていたんだ。でもその“いつか”に一年もかかってしまったけど」
そう言って、金岡編集長はまた笑った。
嬉しい。本当に、ありがたい。
その一方で、仕事に私情を挟んでしまっている自分が恥ずかしくなる。
それから私たちはお互いにもう一杯ずつお酒を飲んで、お店を出た。
帰る方向を話すと金岡編集長の自宅の通り道だということで、タクシーを相乗りすることとなった。
明日の仕事の話をしているうちに家の近くに着き、私は車が停めやすい、マンション手前の小さな公園の前で降ろしてもらう。
「今日はお疲れ様でした」
私が車内に声をかけると、金岡編集長も「夜も遅いから家の前まで送る」と、いったんタクシーを降りた。一応私も女性扱いしてくれる、ということか。
「遅くまで付き合わせて悪かったな」
「いえ、こちらこそご馳走していただきまして、ありがとうございました」
そう言って私が頭を下げると、金岡編集長は私の頭をポンポンと叩く。
「明日からもよろしく頼むよ」
「驕ってもらったぶん、しっかり働きます」
私が冗談でそう言うと、頭からはずしかけた手が私の頭を小突いた。
「じゃ、また明日」
金岡編集長はそう言って手を上げ、タクシーに向かって歩いていく。彼が乗り込んだタクシーはすぐに、暗闇の中へと消えていった。
私は鞄の中から鍵を取り出しながら、小走りにマンションの入口へと向かう。
と、その時――。
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