社長、それは忘れて下さい!?
3-9. Embrace gently
誘われるままに連れてこられた場所は前回とは違うホテルだった。だが背中を押されて足を踏み入れた部屋は、やはり思わず絶句する程度には広かった。
涼花が呆然と立ち尽くしていると、耳元で恥ずかしい質問をされた。慌てて首を横に振ると、にこりと笑った龍悟にバスルームへ放り込まれた。
仕方がないので、熱いシャワーで肌に張り付く汗を流す。意を決してバスルームから出ると、今度は龍悟がバスルームに消えて行った。
「はぁ……もう……」
一人になった広い室内をぐるぐる歩き回りながら、先程のキスを思い出す。
龍悟のキスは力強くて優しかった。大きな腕で強く腰を抱かれると、つま先立ちのように身体が浮き、まるで涼花がキスをねだったような恰好になってしまった。けれど顎先を撫でられてそのまま優しく口付けられれば、抗議の言葉などすぐに何処かへ飛んでいってしまった。
「今日ってエイプリルフールじゃないよね……?」
七月初旬の暑さが更に増す季節に、四月一日が突然やって来ないことは理解している。
広い部屋にはカレンダーが見当たらないので、代わりに壁にはめ込まれた姿見を覗き込む。そこには見慣れないバスローブ姿の秋野涼花がいた。
「夢かな……?」
目の前の鏡に向かって頷きながら話しかけると、鏡の中の自分も頷く。
「うん。やっぱり、そうだよね」
鏡の中の涼花も、そうだと頷いている。だって、こんなに高級なバスローブなんて着たことがない。生地に触れると質感は滑らかで心地よく、涼花が知らない未知の繊維で織られているようにさえ感じる。
あまりに現実からかけ離れすぎている。バスローブも、この広い部屋も、シャワーを浴びる龍悟を待つ時間も、優しい口付けも。
長いキスのあと、龍悟は涼花の耳元に『もう一回言おうか?』と意地悪な台詞を囁いた。顔が火照るだけで何も言えずにその瞳を見つめていると、龍悟は再び笑って『好きだ、涼花。俺はお前が欲しい』と低く甘く囁いた。
思い出してまた耳を押さえる。龍悟の声と台詞が脳と鼓膜の間を行ったり来たりして、何度も繰り返している気がする。まるで涼花の身体の中で永久に反響しているようだ。
「……絶対これ、夢だよね」
そうに決まっている。
だってこんなのは……変だ。
涼花は確かに、龍悟の事を想っている。仕事中はビジネスパートナーとして最良でありたいと思っているが、彼が男性として魅力が溢れる人であることも理解している。けれどたまたま自分は業務上近くにいるだけで、本来龍悟は手の届かない憧れの存在……高嶺の花だ。
だから異動で秘書の任を解かれて物理的な距離をとるか、龍悟が結婚してしまうことで法的に手が届かない存在になるまで、自分の気持ちは隠し通すはずだった。自分の中で諦めがつくか、諦めなければいけない状況になるその時まで、誤魔化し続けていこうと決めていた。
なのにその龍悟が涼花を、好きだと言う。お前が欲しい、と真剣な顔と声で口説かれる。そんな奇跡、あり得るのだろうか。
これが現実なのだとしたら、肌を重ねた事で情が生まれて、少しだけ特別扱いされているだけなのかもしれない。もしくは涼花が知らないうちに何処かに頭をぶつけて、言動がおかしいのか。いや、それよりも今日はパーティーだったので少量だがアルコールを口にしていた。
「社長、もしかして酔ってるのかな……?」
「酔ってねーよ」
「ひゃあっ……!?」
近距離で声が聞こえた気がして視線を上げると、鏡の向こうから龍悟がこちらを見つめていた。黒い瞳と目が合って思わず鏡から飛び退くと、背中に固い何かが当たった。
背後の衝撃に驚いて振り返ると龍悟が涼花の顔を覗き込んでいて、再び似たような悲鳴を発してしまう。
「何してるんだ、鏡の前で」
呆れた顔で問いかけられて、ようやく最初に見たのが鏡に映っていた龍悟で、背後にいたのが本物だと気付く。驚きすぎて心臓が早鐘を打っていることを隠すように、手のひらで胸を押さえて顔を上げる。
龍悟はまだ少し濡れた髪もそのままで、涼花が着ているものと同じ形のバスローブを羽織り、首を傾げながら涼花を凝視していた。
思わず目を逸らしてしまう――目のやり場に困る。
もちろんサイズは違うが、龍悟が着ているものが同じバスローブだとは思えないほど、垣間見えた胸元と首筋からは色気が漂っている。バスローブというより魔性の王の羽織ものにすら見えてしまう。
「あ、いえ……その……ふわぁっ!」
顔や胸元を直視しないように目線を外して言い訳を考えていると、突然屈んだ龍悟に身体を抱き上げられた。視界が反転して天井が見えたと思った瞬間、身体がふわりと浮き上がる。
突然の浮遊感に驚きの声を発すると、すぐに柔らかい布地の上に降ろされた。確認するまでもなく、そこがベッドの上だと理解する。
「社長……」
涼花の身体をベッドに降ろした龍悟は、制止を口にしようとした唇の端に小さなキスを落として、その言葉を遮った。
思わず目を閉じてしまう。すると今度は反対の唇の端に口付けられる。それから指先で前髪を優しく掻き分けられ、晒された額にも唇が寄せられる。優しい触れ合いが恥ずかしくて、もどかしい。
額に寄せられていた唇が離れたと感じて、閉じていた瞳をゆっくり開ける。その視界の先に龍悟が微笑む姿を見る。離れた唇が涼花の唇に重なると同時に、緊張した身体もやわらかなシーツの上にゆっくりと押し倒された。
無言でじっと見つめ合う。バスローブの留め紐にかかる指は、涼花の身体を甘くとかすほどに、熱い温度を帯びていた。
*****
散々と恥ずかしい言葉と行為を繰り返され、すっかり体力を消耗してしまった。日頃から身体を鍛えているらしい龍悟と涼花では、あまりに体力が違いすぎる。それはわかっているつもりだったが、こうして激しく抱かれるとその差を身をもって味わってしまう。
「大丈夫か?」
「……はい」
涼花がぐったりと脱力していると、身体を抱き寄せられた。腕枕の状態で額に張り付いた髪を優しく払われ、さらに頭を撫でられる。汗で髪の中まで濡れているからあまり撫でないで欲しいのに、頭はぼーっとするし、身体はだるいのでうまく言葉に出来ない。
されるがままになっているうちに、徐々に残存していた快感が遠のき、逆に気恥ずかしい気持ちが一気に押し寄せてきた。
「社長、バスローブ……着てもいいですか?」
「いや、だめだ。涼花の身体が気持ちいいから、俺はこのまま寝る」
「!?」
恥ずかしさを解消するために提案したのに、それを上回る恥ずかしい台詞を呟かれた。
きっと赤くなっているであろう顔を見られまいと、シーツの端を頬の傍まで引き上げる。もぞもぞと隠れた涼花の様子を見て、龍悟が笑いながらまた頭を撫で始めた。
目尻を下げ、口元の端をゆるく綻ばせる顔は涼花も初めて見る表情だ。龍悟は仕事中も常に笑顔を絶やさないが、恋仲にある人にはまた違う笑顔を向けるのだと知る。
涼花はただその表情に見惚れていたが、目が合った龍悟は涼花が別の感情を抱いていると解釈したらしい。
「なんだ? もしかしてまだ仕事に支障が出ると思ってるのか?」
考えていた事とは全く違う事を言われて、思わずはっとする。
甘い空気に流されてすっかりと忘れていたが、日曜を挟んで月曜からはまたいつもの仕事が始まる。龍悟とこうして想いが通じ合うとは微塵も想像していなかったので、職場での心配などすっかり頭から抜け落ちていた。
う、と言葉を詰まらせる。週明けからは、この関係を隠すための配慮が必要だ。とりあえず旭には報告しなければならないだろう。そんな報告などしなくても鋭い彼なら察しそうだが、言わずに隠すのは気が引けるし無理があると思う。
それに大変なのは旭よりもその他の人々だ。社内外問わず、社長とその秘書が特別な関係である事を知られて得な事など一つもない。涼花も龍悟も独身だが、一度でも不適切な関係だと噂が立てば、影響が大きいのは涼花ではなく龍悟の方だ。
「問題ないだろ。俺は公私の区別はつけられるし、お前は感情を隠すのが上手いしな」
涼花の青ざめた顔を見ても、龍悟は何でもないことのように笑う。
「……俺は知られても構わないが」
「何を仰るんですか!」
思わず怒りを含んだ声が出る。龍悟は一瞬の間を置いたが、すぐにふっと笑みを零した。涼花は唇を尖らせて引き締まった胸板を手のひらで押し返すが、小さな抵抗は龍悟には全く効かず、伸ばした手首はあっけなく掴まれてしまった。
「お前が秘密の関係を楽しみたいなら、俺はそれでもいいぞ?」
涼花の手のひらの中央に唇を寄せながら、龍悟が悪びれもなく笑う。涼花は『そういう意味で言っているのではない』と思ったが、抗議の言葉を紡ぐ前にふいっと顔を背けられてしまった。
そのまま空いた手で口元を押さえながら静かな息を漏らす。どうやら龍悟は欠伸を噛み殺しているようだった。
「社長、疲れてるんですよ。もう寝て下さい」
「あぁ……そうだな」
怒りの感情を仕舞い込んで頬を膨らませると、龍悟も素直に頷いた。
今日は朝からパーティの準備に追われ、主催としてイベントに臨み、涼花の残業に付き合わせた挙句、体力まで使わせてしまった。疲労を隠しきれていない肩にシーツをかけると、龍悟は涼花の身体を抱き寄せてそっと目を閉じた。
静かになった腕の中で、龍悟の体温と静かな鼓動を感じる。
しばらくは先に眠ってしまった龍悟の睫毛を見つめていたが、そうしているうちに涼花の元にも眠気がやってきた。今のうちにバスローブを着てしまおうかとも考える。だが愛しい人の腕の中から逃れて実行に移す前に、やってきた眠気が涼花を夢の世界へ滑り落とした。
涼花が呆然と立ち尽くしていると、耳元で恥ずかしい質問をされた。慌てて首を横に振ると、にこりと笑った龍悟にバスルームへ放り込まれた。
仕方がないので、熱いシャワーで肌に張り付く汗を流す。意を決してバスルームから出ると、今度は龍悟がバスルームに消えて行った。
「はぁ……もう……」
一人になった広い室内をぐるぐる歩き回りながら、先程のキスを思い出す。
龍悟のキスは力強くて優しかった。大きな腕で強く腰を抱かれると、つま先立ちのように身体が浮き、まるで涼花がキスをねだったような恰好になってしまった。けれど顎先を撫でられてそのまま優しく口付けられれば、抗議の言葉などすぐに何処かへ飛んでいってしまった。
「今日ってエイプリルフールじゃないよね……?」
七月初旬の暑さが更に増す季節に、四月一日が突然やって来ないことは理解している。
広い部屋にはカレンダーが見当たらないので、代わりに壁にはめ込まれた姿見を覗き込む。そこには見慣れないバスローブ姿の秋野涼花がいた。
「夢かな……?」
目の前の鏡に向かって頷きながら話しかけると、鏡の中の自分も頷く。
「うん。やっぱり、そうだよね」
鏡の中の涼花も、そうだと頷いている。だって、こんなに高級なバスローブなんて着たことがない。生地に触れると質感は滑らかで心地よく、涼花が知らない未知の繊維で織られているようにさえ感じる。
あまりに現実からかけ離れすぎている。バスローブも、この広い部屋も、シャワーを浴びる龍悟を待つ時間も、優しい口付けも。
長いキスのあと、龍悟は涼花の耳元に『もう一回言おうか?』と意地悪な台詞を囁いた。顔が火照るだけで何も言えずにその瞳を見つめていると、龍悟は再び笑って『好きだ、涼花。俺はお前が欲しい』と低く甘く囁いた。
思い出してまた耳を押さえる。龍悟の声と台詞が脳と鼓膜の間を行ったり来たりして、何度も繰り返している気がする。まるで涼花の身体の中で永久に反響しているようだ。
「……絶対これ、夢だよね」
そうに決まっている。
だってこんなのは……変だ。
涼花は確かに、龍悟の事を想っている。仕事中はビジネスパートナーとして最良でありたいと思っているが、彼が男性として魅力が溢れる人であることも理解している。けれどたまたま自分は業務上近くにいるだけで、本来龍悟は手の届かない憧れの存在……高嶺の花だ。
だから異動で秘書の任を解かれて物理的な距離をとるか、龍悟が結婚してしまうことで法的に手が届かない存在になるまで、自分の気持ちは隠し通すはずだった。自分の中で諦めがつくか、諦めなければいけない状況になるその時まで、誤魔化し続けていこうと決めていた。
なのにその龍悟が涼花を、好きだと言う。お前が欲しい、と真剣な顔と声で口説かれる。そんな奇跡、あり得るのだろうか。
これが現実なのだとしたら、肌を重ねた事で情が生まれて、少しだけ特別扱いされているだけなのかもしれない。もしくは涼花が知らないうちに何処かに頭をぶつけて、言動がおかしいのか。いや、それよりも今日はパーティーだったので少量だがアルコールを口にしていた。
「社長、もしかして酔ってるのかな……?」
「酔ってねーよ」
「ひゃあっ……!?」
近距離で声が聞こえた気がして視線を上げると、鏡の向こうから龍悟がこちらを見つめていた。黒い瞳と目が合って思わず鏡から飛び退くと、背中に固い何かが当たった。
背後の衝撃に驚いて振り返ると龍悟が涼花の顔を覗き込んでいて、再び似たような悲鳴を発してしまう。
「何してるんだ、鏡の前で」
呆れた顔で問いかけられて、ようやく最初に見たのが鏡に映っていた龍悟で、背後にいたのが本物だと気付く。驚きすぎて心臓が早鐘を打っていることを隠すように、手のひらで胸を押さえて顔を上げる。
龍悟はまだ少し濡れた髪もそのままで、涼花が着ているものと同じ形のバスローブを羽織り、首を傾げながら涼花を凝視していた。
思わず目を逸らしてしまう――目のやり場に困る。
もちろんサイズは違うが、龍悟が着ているものが同じバスローブだとは思えないほど、垣間見えた胸元と首筋からは色気が漂っている。バスローブというより魔性の王の羽織ものにすら見えてしまう。
「あ、いえ……その……ふわぁっ!」
顔や胸元を直視しないように目線を外して言い訳を考えていると、突然屈んだ龍悟に身体を抱き上げられた。視界が反転して天井が見えたと思った瞬間、身体がふわりと浮き上がる。
突然の浮遊感に驚きの声を発すると、すぐに柔らかい布地の上に降ろされた。確認するまでもなく、そこがベッドの上だと理解する。
「社長……」
涼花の身体をベッドに降ろした龍悟は、制止を口にしようとした唇の端に小さなキスを落として、その言葉を遮った。
思わず目を閉じてしまう。すると今度は反対の唇の端に口付けられる。それから指先で前髪を優しく掻き分けられ、晒された額にも唇が寄せられる。優しい触れ合いが恥ずかしくて、もどかしい。
額に寄せられていた唇が離れたと感じて、閉じていた瞳をゆっくり開ける。その視界の先に龍悟が微笑む姿を見る。離れた唇が涼花の唇に重なると同時に、緊張した身体もやわらかなシーツの上にゆっくりと押し倒された。
無言でじっと見つめ合う。バスローブの留め紐にかかる指は、涼花の身体を甘くとかすほどに、熱い温度を帯びていた。
*****
散々と恥ずかしい言葉と行為を繰り返され、すっかり体力を消耗してしまった。日頃から身体を鍛えているらしい龍悟と涼花では、あまりに体力が違いすぎる。それはわかっているつもりだったが、こうして激しく抱かれるとその差を身をもって味わってしまう。
「大丈夫か?」
「……はい」
涼花がぐったりと脱力していると、身体を抱き寄せられた。腕枕の状態で額に張り付いた髪を優しく払われ、さらに頭を撫でられる。汗で髪の中まで濡れているからあまり撫でないで欲しいのに、頭はぼーっとするし、身体はだるいのでうまく言葉に出来ない。
されるがままになっているうちに、徐々に残存していた快感が遠のき、逆に気恥ずかしい気持ちが一気に押し寄せてきた。
「社長、バスローブ……着てもいいですか?」
「いや、だめだ。涼花の身体が気持ちいいから、俺はこのまま寝る」
「!?」
恥ずかしさを解消するために提案したのに、それを上回る恥ずかしい台詞を呟かれた。
きっと赤くなっているであろう顔を見られまいと、シーツの端を頬の傍まで引き上げる。もぞもぞと隠れた涼花の様子を見て、龍悟が笑いながらまた頭を撫で始めた。
目尻を下げ、口元の端をゆるく綻ばせる顔は涼花も初めて見る表情だ。龍悟は仕事中も常に笑顔を絶やさないが、恋仲にある人にはまた違う笑顔を向けるのだと知る。
涼花はただその表情に見惚れていたが、目が合った龍悟は涼花が別の感情を抱いていると解釈したらしい。
「なんだ? もしかしてまだ仕事に支障が出ると思ってるのか?」
考えていた事とは全く違う事を言われて、思わずはっとする。
甘い空気に流されてすっかりと忘れていたが、日曜を挟んで月曜からはまたいつもの仕事が始まる。龍悟とこうして想いが通じ合うとは微塵も想像していなかったので、職場での心配などすっかり頭から抜け落ちていた。
う、と言葉を詰まらせる。週明けからは、この関係を隠すための配慮が必要だ。とりあえず旭には報告しなければならないだろう。そんな報告などしなくても鋭い彼なら察しそうだが、言わずに隠すのは気が引けるし無理があると思う。
それに大変なのは旭よりもその他の人々だ。社内外問わず、社長とその秘書が特別な関係である事を知られて得な事など一つもない。涼花も龍悟も独身だが、一度でも不適切な関係だと噂が立てば、影響が大きいのは涼花ではなく龍悟の方だ。
「問題ないだろ。俺は公私の区別はつけられるし、お前は感情を隠すのが上手いしな」
涼花の青ざめた顔を見ても、龍悟は何でもないことのように笑う。
「……俺は知られても構わないが」
「何を仰るんですか!」
思わず怒りを含んだ声が出る。龍悟は一瞬の間を置いたが、すぐにふっと笑みを零した。涼花は唇を尖らせて引き締まった胸板を手のひらで押し返すが、小さな抵抗は龍悟には全く効かず、伸ばした手首はあっけなく掴まれてしまった。
「お前が秘密の関係を楽しみたいなら、俺はそれでもいいぞ?」
涼花の手のひらの中央に唇を寄せながら、龍悟が悪びれもなく笑う。涼花は『そういう意味で言っているのではない』と思ったが、抗議の言葉を紡ぐ前にふいっと顔を背けられてしまった。
そのまま空いた手で口元を押さえながら静かな息を漏らす。どうやら龍悟は欠伸を噛み殺しているようだった。
「社長、疲れてるんですよ。もう寝て下さい」
「あぁ……そうだな」
怒りの感情を仕舞い込んで頬を膨らませると、龍悟も素直に頷いた。
今日は朝からパーティの準備に追われ、主催としてイベントに臨み、涼花の残業に付き合わせた挙句、体力まで使わせてしまった。疲労を隠しきれていない肩にシーツをかけると、龍悟は涼花の身体を抱き寄せてそっと目を閉じた。
静かになった腕の中で、龍悟の体温と静かな鼓動を感じる。
しばらくは先に眠ってしまった龍悟の睫毛を見つめていたが、そうしているうちに涼花の元にも眠気がやってきた。今のうちにバスローブを着てしまおうかとも考える。だが愛しい人の腕の中から逃れて実行に移す前に、やってきた眠気が涼花を夢の世界へ滑り落とした。
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