シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

東川カンナ

09.どうして?



 一緒にいるのがすごく楽だと、レオンと一つ屋根の下で暮らし始めて莉緒は毎日そのことをしみじみと感じる。
 趣味が合うとか、物の考え方が似ていると言うよりは、呼吸が合うのだと思う。
 何かをするタイミング、声をかけるタイミング、そういうものがとても合う。

 もちろんそれは莉緒だけが感じていることで、合うと言うのもレオンの方が気を遣って合わせてくれている可能性も否めないのだが、とにかく二人の生活は円滑に回っていた。

 そうやってすっかりレオンの元でお世話になっている莉緒だが、少しの衝突もあるにはある。


 家賃の問題だ。
 いくら払えば良いか相談した莉緒に、レオンはきっぱりとノーを突き付けた。そんなものはいらないと。
 けれど莉緒だってタダで置いてもらうのは当然気が引ける。生活すれば光熱費やら何やらだって発生する。そういうものを支払わないのは気持ち的に負担だし、天秤が全く釣り合っていない。
 二人はしばらくの間その問題でお互い一歩も譲らなかったが、そのうちに一つの妥協点を見つけた。


「リオ、向こうから車来てる」
「あ」
 スーパーの駐車場。買い物を終えて店舗を出たところでそう言われる。
「こっちから行こう」
 レオンはさり気なく莉緒を建屋側へ移動させ、するりと手を繋いで歩き出した。
 あまりに自然な流れで繋がれてしまって、驚いてみせる暇すらない。

 二人でスーパーに買い出しに行くのはこれが初めてではない。というか、必ず一緒に行く。
 レオンが車を出してくれて、莉緒はそれに付いて行って支払いを担当するのだ。
 スーパーで買い出しする時の食料、日用品の代金は莉緒が支払う。
 莉緒としてはこの程度では釣り合いが取れていないと思っているのだが、それでもこれが二人の妥協点で、だから行く時はいつも一緒。歩いて行けない距離でもないので莉緒は一人でも大丈夫だと言うのだが、若い女の子がそんなの危ないよとレオンが譲らない。
 そうして毎度二人であれこれ買い込む。


「溶ける前に帰らなきゃね」
「アークティックロールだっけ?」
「うん」
 アークティックロール。
 本日の購入品の一つ、薄くブルーベリージャムの塗られたスポンジケーキで、アイスクリームをロールしたお菓子だ。こちらではそう珍しいものでもないらしいが、食べたことのないスイーツに莉緒の心は踊る。
 異国の地で地元のスーパーを覗くのはすごく楽しい。見慣れないものが沢山あって一向に飽きない。

 一つ、困り事があるとしたら。

「毎度、何でか繋がれちゃうこの手なんだけど……」
 莉緒はレオンの大きな手にがっつり包まれた自分の手を見下ろす。
「リオ、何て?」
「え、いや、なんでも」
 思わず日本語で呟いていたらしい。
 どうして? とは真正面からは訊けず、誤魔化すように首を横に振った。

 問題は手を繋がれることそのものではない。
 いや、どういうつもりで握っているのかそれも大いに問題だけれど、それよりも莉緒が戸惑うのは、自分がそれをさほど嫌だと思っていないことだ。
 レオンに対するセンサーが壊れていると、そう思う。
 あと久々の外国で、その文化と習慣にまだ心身共に馴染めていないのだとも。
 レオンの優しさに絆されてしまっているし、スキンシップの類もついつい外国ってこんなものでは? といつもうやむやにしてしまう。


「いやでも今日のこれはほら、車が来てて危ないよってそういうやつ、子どもにする感覚でやってるに違いない」


 親切とそれ以上の境目はどこにあるのだろう。
 勘違いかそうでないかなんて、どこで判断すればいいのか分からない。


「リ~オ?」
「ごめんごめん、違うの、独り言だから」
 また日本語で話していたらしく、不満げな顔をされた。
「なんか深刻な顔してたよ?」
「大したことじゃないよ」
 あなたが手なんか繋ぐからそうなるんですよ、とは言えずに曖昧に微笑んで誤魔化す。


 それにこの手だって。


「はい、荷物貸して」
「有難う」
 車に着けばするりと解かれる。惜しむような素振りなんてちっともない。
 きっと危なっかしいと思われてるんだ。私がまだ健康じゃないって、レオンはそう思ってるから。
 莉緒はそう結論付けて深く考えることを放棄する。





◆◆◆





「これ美味しい……!」
 帰宅後、さっそくお茶の時間となった。
 アークティックロールを口に含んで、莉緒の頬が緩む。
「アイス気分もケーキ気分も一緒に味わえるなんて」
 帰りの車の中で軽く検索したら、自力でも作れそうだった。
 出来合いのものを使えば、材料も三つだ。日本に帰っても再現できそうなのが更に嬉しいところ。
「ありふれたおやつだけどね」
「そうかもだけど、一般生活に溶け込んだ何気ないものって、ただ観光してるだけじゃ出会えないから」


 名所を巡る典型的な観光も良い。
 華やかのものを沢山目にして、名物料理に舌鼓を打つような。間違いのない、ポイントを抑えた楽しい時間になる。
 でも、スーパーに行ったり、現地の人と仲良くならないとお目にかかれないものも確かにあって。それを一つ一つ見つけるのも楽しいことだ。


「そして今日も紅茶が美味しいです」
「それは何より」


 日に何度も飲む紅茶。
 料理や掃除、買い出しなんかは一緒にする。あるいは莉緒一人にでもできる。
 けれど紅茶に関して言えば、全てレオンにお任せしていた。莉緒が淹れることはない。


「やっぱり本場の人が淹れる紅茶は格別だなぁ」
「僕は別にプロではないんだけどね」
「でもこなしてる数が違うもん」


 日本ではもっぱらティーバッグのお世話になっていた。こちらでもティーバックはふつうに使うらしいが、そのティーバッグで淹れたものだって莉緒が淹れるのとレオンが淹れるのでは味が違ってくる。
 きちんと事前に器具を温めておくとか、余計に動かさないであるとか、抽出時間の見極めとか。
 何もかもレオンがする方が美味しいので、紅茶を淹れるのは彼の仕事で固定なのだ。


「特別なことはしてないんだけど、そうも褒められると嬉しくなっちゃうな。もう一杯いる?」
「頂きます」
 誘われるがまま、二杯目をカップに注いでもらう。
 丁度中身が満たされたところで、玄関から来客を知らせるベルが鳴った。
「お客さん?」
「というよりは、多分……」
 心当たりがあるらしいレオンが玄関の方へ向かい、そして戻って来るまでには一分もかからなかったのではないかと思う。


 彼は何か細長い形のダンボールを抱えていた。短辺は三、四十センチ程度だが、長辺は百六十三ある莉緒の身長よりは短いだろうが一メートルは優に超えている。


「宅配便だったんだ」
「うん、注文してたのが届いた」
 そしてその荷物をそのまま“はい”と渡された。
「うん?」


 持てばいいのだろうか。素直に受け取ると、開けてみてと続けて促される。


「私が開けていいの?」
 形状的に何が入っているのか想像がつかない。抱えた感覚も思っていたよりずっと軽くて、ますます中身の正体は掴めなかった。
 といっても開ける許可は得ているのである。中身はすぐに知れた。

「わ、ウサギ……のぬいぐるみ?」

 で良いのだろうか。
 ダンボールの中には耳だけでなくやたらと胴の長い白いウサギのぬいぐるみ。刺繍された瞳はくりっとしていて、愛嬌のある顔をしている。


「これ、どうしたの」
 この可愛らしいチョイス、莉緒自身に開けてと言ったことを考えると、もしかしなくても――――
「リオにプレゼント」
「えぇ?」
 今日は誕生日でも他のどんな記念日でもない。というか、そもそも莉緒は彼に自分の誕生日など伝えていない。なのにいきなりどうしたのだろう、と思っているとレオンは説明してくれた。
「それ、ぬいぐるみって括りでも間違いないんだけど、抱き枕兼ぬいぐるみで。どっちかと言うと、抱き枕要素の方がメイン」
「確かに、これは全身で抱き締めるのに丁度良い長さ」
 足までぎゅっと絡めることができるだろう。
 しかし何故抱き枕? と思っていると、それにも答えが与えられる。


「リオ、魘されてる時いつもすごく掛け布団巻き込んでるから。ぎゅうぎゅうにしがみついて何かに耐えるみたいに」
「…………」
「せっかくならこういうふかふかした柔らかいものの方が良くない? 伝わる感触が違えば少しは改善するかもしれないよ」


 莉緒は目を丸くしてレオンと抱き枕を何度も交互に見比べた。


 どうして、そんなに気にかけてくれるのだろう。
 どうして、そんなにさらりと優しさを形にしてくれるのだろう。


 莉緒とレオンは別に特別な間柄ではない。昔、少しだけ縁があったというだけ。こまめに連絡を取り続けていた訳でもない。
 それなのに、彼が莉緒にしてくれるあれこれは親切心だけで片付けるにはあまりに手厚い。


 だって、と莉緒は思うのだ。
 もし逆の立場だったら。自分は彼にここまでできるだろうか。
 否、とすぐに答えは出る。彼のようにはできないだろうと。


「……有難う」
 抱きしめると、その力を柔らかく受け止められる。
「今日はぐっすり安眠できそう」
「だといいな」
 レオンの腕が伸びて来て、ウサギの鼻先を突いた。お、想像以上にいい触り心地、と満足そうに笑う。その笑顔のまま彼は続けた。


「抱き枕も良いけどさ、人肌も安心するって言うよね」
「え?」
「添寝でもいいよ、大歓迎」
「!」


 莉緒がぎょっと目を見開けば、更に彼はクスクス笑う。
 その反応を見て、揶揄われただけだと気付いて莉緒は憤慨した。


「ちょっとレオン……!」
 真に受けて反応してしまったりして恥ずかしい。
 動揺した顔を見られたくなくて、ウサギのお腹に顔を埋めて誤魔化した。




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