パラサイトマン
縁ってこういうことなのかもな。
安西は営業の自分の席でため息をついていた。小川の出向が決定し、エリカもこれで諦めがつくなら自分との関係を進められると思っているが、もしこれでも進まなかったらもうあきらめるつもりだった。そのために自分から動くべきか、向こうが動いてくるのを待つべきか……。
「ここで悩んでもしょうがない、帰るか」
広瀬にラインして夕飯でもと思ったが、整備部はすでに電気が消えていた。きっとめぐみと一緒だろう。
最寄り駅の西友で弁当を買って帰宅すると、ドアの前でエリカが待っていた。
「遅かったのね? 残業?」
安西は自分が見ているものが信じられなかった。
「……どうしたんだよ?」
「来たら悪い?」
「……悪くないけど……」
うれしい反面、安西はここからどうすればいいかわからなかった。家へ入れるべきなのか、それともとりあえず外で話すべきなのか。
「平日に会うことってほとんどないものね」
「そうだな」
「夕ご飯、まだなんでしょ?」
「まだだけど……。食べに行こうか?」
「そうね」
2人は繁華街の方へ向かって歩き始めた。
「話すのって久しぶりね」
「……そうだな」
もう来てくれることはないと思って、掃除をしていなかった。でももしまた一緒に片付けをしてくれればうれしいが、失望されたくなかった。でも何度失望させられただろう。理解のある男の振りをすることに疲れていた。
「どこで食べる?」
「気に入ってるラーメン屋があるんだ。でもスープが終わってたら閉店してるけど、見てみる?」
「そうね」
駅の反対側のラーメン屋で、小川がマッサージに来てくれた日におごった店だった。
「あ、まだ開いてるな。いい? ここで」
「もちろんよ」
席についてから、エリカが中を見渡していた。
「こだわりの店って感じね」
「そうだな、小川とここに来たことがあるよ」
「ほんと? いつ?」
「腰のマッサージをしてくれた後だよ。懐かしいな」
「……そうね。おススメは?」
「俺は醤油ラーメンが好きだけど、どれも旨いよ」
「じゃあ私もそうするわ」
「餃子もつける?」
「そうね、おなかすいてるしね」
その後、沈黙になった。
「どうしたんだよ? 何か話でもあるとか」
「用がないと来たらいけないの?」
「そういうわけじゃないけど……」
安西はせっかくトッド会で教えてもらったが、毎回エリカのムードが読み取れず、どうすればいいか全くわからなかった。
「部屋、また汚くなったよ」
「どうして?」
「……まあ俺は気にならないし。ゴキブリ嫌いだけど、殺せばいいし」
「もう来ないと思ってた?」
「……思ってたよ。だから部屋は汚くなったよ」
  エリカは黙ってラーメンを食べ始めた。
「智子と小川君がいなくなったら、さみしくなるわね」
「そうだな、広瀬も来年にはもういないし、この営業所も寂しくなるな」
「安西君は転勤ないの?」
「そろそろだろうな、希望はしてないけどね」
また沈黙になった。エリカは沈黙が嫌いだったが、どうしても話を続けられなかった。
「サンディエゴ、遊びに行ってみたいわね」
「そうだな。同期会をアメリカでって良いかもな」
また沈黙になったが、エリカは黙ってることにした。安西はエリカのムードを知ろうとした。おそらくもう小川のことは諦めがついたはず。でもそれで? 黙ったまま、2人は食べ終わった。
「1人で夕食が嫌だったんだけど、おいしいラーメン、食べれてよかったわ」
「ああ、そうだな。俺も1人は嫌だったから……」
「……今日は帰るわね」
「わかった」
2人はラーメン屋を出て、駅に向かった。
「じゃあまた明日ね」
「ああ、おやすみ」
安西はため息をつきながら、エリカの後姿を見送った。エリカも重苦しい気分のまま帰途についた。どうして『一緒に食べてくれてありがとう』と言えなかったのかと考えていた。安西が家で食べるつもりで買った弁当に気が付いたのに、結局言えぬまま別れてしまった。あとでラインで言おうか悩みながら、地下鉄で帰宅した。いつもならJRで降りて買い物をするが、安西の家からだと地下鉄の方が早いからだ。駅に着いて明日の弁当の買い物をしていた。
「エリカちゃん?」
誰かに呼ばれて振り向くと、透がいた。
「透さん! どうしたんですか?」
「帰宅途中だけど? エリカちゃんは?」
「え? 私もこの辺に住んでます」
「あ、そうなんだ? JRだと思ってたけど?」
「通勤はJRの方が便利なんですけど、家はこの地下鉄の方が近くて……。定期もあるからこの駅はあまり利用しないんですけど、今日は寄り道したから地下鉄で帰ってきたんです」
「そうだったんだ? こっちの方が近いってどれくらい?
「ここから歩いて10分くらいです」
「俺はそこなんだけどね」
透が指したマンションは駅前だった。
「良いところに住んでますね!」
「会社が借り上げてくれてるからね。助かるよ」
透の元カノの一件から会っていなかったが、エリカは会えてうれしかった。
「もしまだ夕飯食べてないなら、付き合ってよ」
「あ、食べたんですけど付き合います」
「ありがとう! この辺りまだよく知らないから、おススメがあればそこが良いな」
「あ、じゃあ、良い感じのカフェに行きましょうか? 良く休みの日に1人で行ってるんですけどね」
「女性1人で入れる店って良いよね。そこにしよう」
夜はカフェバーになる店だったが、週末の昼間しか入ったことがなかった。昼間だとログ造りでアウトドア派に人気の店だったが、夜は隠れ家的な感じに変わっていた。
「へー、良い感じの店だね」
「そうですね、夜は初めて来ました」
透は注文してから切り出した。
「この間はごめんね。もっと早くちゃんと謝らないといけなかったんだけど、転勤してから大忙しでね。歓迎会やら引き続きとかね」
「いえ、良いんです。大丈夫ですよ」
「こんな男、呆れたんだろう?」
「そ、そんなことないですよ!」
エリカは幸雄に言われたことを思い出していたが、やっぱり好みのタイプには変わりはなかった。
「透さん、素敵だからモテてるでしょうしね」
「ははは、ありがとう。幸雄と違って甘いから、痛い目にもあってるけどね」
エリカには『甘い』の意味はわかっていた。
「まあ、小川君は智子一筋ですから」
「そうだね、驚いたよ。あんなに惚れてるんだったら、智子さんは幸せだよ」
「そうなんですか?」エリカはちょっとショックだった。
「え? 気付いてなかったとか?」
「そうですけど、あんまりそういう素振りを見せないから……」
「すぐ『恥ずかしい』って言うからね」
笑顔でそう言った透の頬にえくぼができるのを、エリカは初めて気が付いた。エリカの視線に気づかぬまま、透は注文した焼肉定食を食べ始めた。
「美味しいね! 今後通うかも。ありがとう、教えてくれて」
「いえ、またここで会うかもしれませんね」
「そうだね、ぜひ。……嫌じゃなかったら」
「嫌なことないですよ!」
エリカはチョコタルトを一口食べた。
「京都弁、出ないね?」
「小川君にも言われました。実家に帰ったら出ますよ」
「京都、良いところだったなあ。機会があればまた住んでみたいけどね」
「私と結婚したら、年に1回は行けますよ」
透は食べるのをやめて、エリカを見つめた。
「……それ、冗談? それとも思わせぶり?」
上目遣いで透に見つめられてドキッとした。これがトッド会で言ってた目力かと思ったが、エリカは一度も安西からこういう目で見られたことがなかった。透は幸雄ほどまつげは長くなかったが、十分魅力的なエリカの好きな色気のある目をしていた。
「……どういう意味ですか?」
「『どういう意味』って、俺が聞いてるんだけど?」
「……冗談ではないですけど……」
「エリカちゃん、面白いね。そういうこと言うと、本気にする男もいるんじゃないのか?」
「小川君は本気にしませんでしたよ」
「それは智子さんがいたからだろう? 彼女募集中の人にそう言うこと言うと、誤解されるよ?」
照れ隠しで、気になる人にはこういう発言をしてきたが、真剣に取られたことはほとんどなかった。安西はもしかしたら、と思う節はあったが、エリカの方が真剣にとらえてなかった。むしろ幸雄からは『駆け引き』と呼ばれたが、駆け引きにすらならなかったから、どう透に返事をしていいかわからなかった。
「……彼女募集中なんですか?」
「もちろん」
「私も彼氏募集中です」
「じゃあ、付き合おうか?」
エリカは予想外の展開に驚いて、無言で透を見つめていた。初めて好みの人から付き合いを申し込まれたが、頭は真っ白だった。
「……嫌だったらいいけど」
「嫌じゃないです! 驚いてしまって……」
「ただ、先に言っておきたいのは、俺は女友達もいるし、仕事の付き合い上、女性のクライアントと飲みに行くこともある。ひろみはそういうのが気に入らなくて、『同期と寝たから別れる』って言われて別れたんだけど……」
「そうだったんですか!?」
「そう、寝取られたと思ったけど、この間抱いたときに嘘だったって確信したね。本人も『気持ちを試すための嘘だった』って言ったけど、抱いてみるまではほんとに寝取られたと思ってたよ」
「……そんなこと、わかるんですか?」
「わかるよ。幸雄も同じこと聞いてたけどね」
「まさか、だから寝たんですか?」
「それもあるけど……」
「どうしてわかったんですか?」
こんな会話を男性としたことがなかったエリカは、焼きもち以前に興味津々だった。
「抱かれくせって言うのかな? 抱かれ方が同じだったからね。他の男と寝てたら、ああいう抱かれ方はしないと思うね」
「そういうもんなんですか?」
「意見はいろいろあると思うけど、俺はそう思ってる。だって男によって抱き方が違うんだから、抱かれ方も違うだろう」
エリカは透の考え方は面白いと思いながらも、この人はどういう抱き方をするんだろうと考えていた。
「幸雄も智子さんに浮気されて、戻ってきた時に抱いたらわかるだろうけど、『智子は絶対浮気しないから』の一点張りだったよ」
笑いながら言う透を見て、付き合ってみたいと思った。
「会社が違うんだし、お付き合いもあるでしょうから、そんな些細なことで焼きもちは焼きませんから」
「じゃあ、決まりだね」
そう言って透がエリカの手を取った。少し驚いたが、婚約指輪をはめてくれる日がいつか来てくれればと思った。
「小川君に言うんですか?」
「渡米前で忙しいだろうから、どうだろうね? 機会があったらかな。エリカちゃんは言いたかったら同期に話しても良いよ」
「たぶん、話すと思います」
「良いよ、やましいところもないしね」
透に見つめられて、エリカも透を見たが、初めてこんなにちゃんと顔を見たと思った。確かに幸雄に似てる部分もあるけど、似てない部分の方が多かった。透の方が眉毛が細いし、優しそうな眼をしてるし、えくぼは幸雄にはなかった。幸雄の面影を追っていない自分を信じることにしたエリカだった。
*****
「送ってもらっちゃってすみません」
透がエリカのマンションまで送ってくれたが、家に入れる気はなかった。
「もう遅いからね。ちょっと心配だったけど、地下鉄からだとそんな暗い道を通らないんだな。JRからだったらどうなの?」
「自転車なので、大丈夫ですよ」
「でも雨の日は?」
「バスに乗ります」
「じゃあ、大丈夫か」
「……そういう心配をしてくれるんですね」
「当然だよ」
エリカはこんな扱いを男性から受けたことがなかった。
「じゃあ、おやすみ。土曜にどこに行きたいか、考えておいて」
「はい、おやすみなさい」
エリカは部屋に入って、即めぐみと智子に報告した。
「え? 透さんと?」
最初に返信してきたのはめぐみだった。
「安西君は?」
「うん……やっぱり同期以上にはなれないかな」
「そうなのね……。でもおめでとう。透さん、素敵だものね」
「ありがとう。こういうときめきが安西君には感じられなかったの。だからこれで良かったと思う」
智子からは返信がなかった。既読にはなってるから、幸雄に話してるんだろう。反対はされないだろうけど、エリカは少し複雑だった。
*****
「兄貴と山本が? なんでそうなったんだろ? 平日だし、待ち合わせて会ったってことか?」
「電話してみるね」
智子が電話してるのを見ながら、俺は安西のことを考えていた。
「あ、エリカ? ちょっとびっくりしたんだけど、どういう展開だったの?」
俺は智子の携帯に耳を澄ませた。智子がスピーカーにしてくれた。
「地下鉄の最寄り駅が同じだったの! それで夕食を一緒に食べてたらそう言う話になってね……!」
久々に聞く山本の元気な声。安西には気の毒だが、山本にとってはこれで良かったのかもな。
「すごい偶然ね。じゃあこれからは地下鉄経由で通うの?」
「そこまではしないと思うけど、縁があるってこういうことなのね!」
山本、舞い上がってる……! 俺はスピーカーボタンを押してオフにした。
「2人で話せよ。とりあえず俺はいいから」
「うん、わかった」
俺は書斎へ行った。兄貴の言ってた『気になる女性のクライアント』はどうなったんだよ? 二股はかけないだろうけど……。俺は兄貴に電話した。
*****
電話を切ってすぐに智子が部屋に来た。
「お風呂入るでしょ?」
「ああ、そうだな」
明日は会社だが、思い出したトッドテクを試してみるか。
「ここで悩んでもしょうがない、帰るか」
広瀬にラインして夕飯でもと思ったが、整備部はすでに電気が消えていた。きっとめぐみと一緒だろう。
最寄り駅の西友で弁当を買って帰宅すると、ドアの前でエリカが待っていた。
「遅かったのね? 残業?」
安西は自分が見ているものが信じられなかった。
「……どうしたんだよ?」
「来たら悪い?」
「……悪くないけど……」
うれしい反面、安西はここからどうすればいいかわからなかった。家へ入れるべきなのか、それともとりあえず外で話すべきなのか。
「平日に会うことってほとんどないものね」
「そうだな」
「夕ご飯、まだなんでしょ?」
「まだだけど……。食べに行こうか?」
「そうね」
2人は繁華街の方へ向かって歩き始めた。
「話すのって久しぶりね」
「……そうだな」
もう来てくれることはないと思って、掃除をしていなかった。でももしまた一緒に片付けをしてくれればうれしいが、失望されたくなかった。でも何度失望させられただろう。理解のある男の振りをすることに疲れていた。
「どこで食べる?」
「気に入ってるラーメン屋があるんだ。でもスープが終わってたら閉店してるけど、見てみる?」
「そうね」
駅の反対側のラーメン屋で、小川がマッサージに来てくれた日におごった店だった。
「あ、まだ開いてるな。いい? ここで」
「もちろんよ」
席についてから、エリカが中を見渡していた。
「こだわりの店って感じね」
「そうだな、小川とここに来たことがあるよ」
「ほんと? いつ?」
「腰のマッサージをしてくれた後だよ。懐かしいな」
「……そうね。おススメは?」
「俺は醤油ラーメンが好きだけど、どれも旨いよ」
「じゃあ私もそうするわ」
「餃子もつける?」
「そうね、おなかすいてるしね」
その後、沈黙になった。
「どうしたんだよ? 何か話でもあるとか」
「用がないと来たらいけないの?」
「そういうわけじゃないけど……」
安西はせっかくトッド会で教えてもらったが、毎回エリカのムードが読み取れず、どうすればいいか全くわからなかった。
「部屋、また汚くなったよ」
「どうして?」
「……まあ俺は気にならないし。ゴキブリ嫌いだけど、殺せばいいし」
「もう来ないと思ってた?」
「……思ってたよ。だから部屋は汚くなったよ」
  エリカは黙ってラーメンを食べ始めた。
「智子と小川君がいなくなったら、さみしくなるわね」
「そうだな、広瀬も来年にはもういないし、この営業所も寂しくなるな」
「安西君は転勤ないの?」
「そろそろだろうな、希望はしてないけどね」
また沈黙になった。エリカは沈黙が嫌いだったが、どうしても話を続けられなかった。
「サンディエゴ、遊びに行ってみたいわね」
「そうだな。同期会をアメリカでって良いかもな」
また沈黙になったが、エリカは黙ってることにした。安西はエリカのムードを知ろうとした。おそらくもう小川のことは諦めがついたはず。でもそれで? 黙ったまま、2人は食べ終わった。
「1人で夕食が嫌だったんだけど、おいしいラーメン、食べれてよかったわ」
「ああ、そうだな。俺も1人は嫌だったから……」
「……今日は帰るわね」
「わかった」
2人はラーメン屋を出て、駅に向かった。
「じゃあまた明日ね」
「ああ、おやすみ」
安西はため息をつきながら、エリカの後姿を見送った。エリカも重苦しい気分のまま帰途についた。どうして『一緒に食べてくれてありがとう』と言えなかったのかと考えていた。安西が家で食べるつもりで買った弁当に気が付いたのに、結局言えぬまま別れてしまった。あとでラインで言おうか悩みながら、地下鉄で帰宅した。いつもならJRで降りて買い物をするが、安西の家からだと地下鉄の方が早いからだ。駅に着いて明日の弁当の買い物をしていた。
「エリカちゃん?」
誰かに呼ばれて振り向くと、透がいた。
「透さん! どうしたんですか?」
「帰宅途中だけど? エリカちゃんは?」
「え? 私もこの辺に住んでます」
「あ、そうなんだ? JRだと思ってたけど?」
「通勤はJRの方が便利なんですけど、家はこの地下鉄の方が近くて……。定期もあるからこの駅はあまり利用しないんですけど、今日は寄り道したから地下鉄で帰ってきたんです」
「そうだったんだ? こっちの方が近いってどれくらい?
「ここから歩いて10分くらいです」
「俺はそこなんだけどね」
透が指したマンションは駅前だった。
「良いところに住んでますね!」
「会社が借り上げてくれてるからね。助かるよ」
透の元カノの一件から会っていなかったが、エリカは会えてうれしかった。
「もしまだ夕飯食べてないなら、付き合ってよ」
「あ、食べたんですけど付き合います」
「ありがとう! この辺りまだよく知らないから、おススメがあればそこが良いな」
「あ、じゃあ、良い感じのカフェに行きましょうか? 良く休みの日に1人で行ってるんですけどね」
「女性1人で入れる店って良いよね。そこにしよう」
夜はカフェバーになる店だったが、週末の昼間しか入ったことがなかった。昼間だとログ造りでアウトドア派に人気の店だったが、夜は隠れ家的な感じに変わっていた。
「へー、良い感じの店だね」
「そうですね、夜は初めて来ました」
透は注文してから切り出した。
「この間はごめんね。もっと早くちゃんと謝らないといけなかったんだけど、転勤してから大忙しでね。歓迎会やら引き続きとかね」
「いえ、良いんです。大丈夫ですよ」
「こんな男、呆れたんだろう?」
「そ、そんなことないですよ!」
エリカは幸雄に言われたことを思い出していたが、やっぱり好みのタイプには変わりはなかった。
「透さん、素敵だからモテてるでしょうしね」
「ははは、ありがとう。幸雄と違って甘いから、痛い目にもあってるけどね」
エリカには『甘い』の意味はわかっていた。
「まあ、小川君は智子一筋ですから」
「そうだね、驚いたよ。あんなに惚れてるんだったら、智子さんは幸せだよ」
「そうなんですか?」エリカはちょっとショックだった。
「え? 気付いてなかったとか?」
「そうですけど、あんまりそういう素振りを見せないから……」
「すぐ『恥ずかしい』って言うからね」
笑顔でそう言った透の頬にえくぼができるのを、エリカは初めて気が付いた。エリカの視線に気づかぬまま、透は注文した焼肉定食を食べ始めた。
「美味しいね! 今後通うかも。ありがとう、教えてくれて」
「いえ、またここで会うかもしれませんね」
「そうだね、ぜひ。……嫌じゃなかったら」
「嫌なことないですよ!」
エリカはチョコタルトを一口食べた。
「京都弁、出ないね?」
「小川君にも言われました。実家に帰ったら出ますよ」
「京都、良いところだったなあ。機会があればまた住んでみたいけどね」
「私と結婚したら、年に1回は行けますよ」
透は食べるのをやめて、エリカを見つめた。
「……それ、冗談? それとも思わせぶり?」
上目遣いで透に見つめられてドキッとした。これがトッド会で言ってた目力かと思ったが、エリカは一度も安西からこういう目で見られたことがなかった。透は幸雄ほどまつげは長くなかったが、十分魅力的なエリカの好きな色気のある目をしていた。
「……どういう意味ですか?」
「『どういう意味』って、俺が聞いてるんだけど?」
「……冗談ではないですけど……」
「エリカちゃん、面白いね。そういうこと言うと、本気にする男もいるんじゃないのか?」
「小川君は本気にしませんでしたよ」
「それは智子さんがいたからだろう? 彼女募集中の人にそう言うこと言うと、誤解されるよ?」
照れ隠しで、気になる人にはこういう発言をしてきたが、真剣に取られたことはほとんどなかった。安西はもしかしたら、と思う節はあったが、エリカの方が真剣にとらえてなかった。むしろ幸雄からは『駆け引き』と呼ばれたが、駆け引きにすらならなかったから、どう透に返事をしていいかわからなかった。
「……彼女募集中なんですか?」
「もちろん」
「私も彼氏募集中です」
「じゃあ、付き合おうか?」
エリカは予想外の展開に驚いて、無言で透を見つめていた。初めて好みの人から付き合いを申し込まれたが、頭は真っ白だった。
「……嫌だったらいいけど」
「嫌じゃないです! 驚いてしまって……」
「ただ、先に言っておきたいのは、俺は女友達もいるし、仕事の付き合い上、女性のクライアントと飲みに行くこともある。ひろみはそういうのが気に入らなくて、『同期と寝たから別れる』って言われて別れたんだけど……」
「そうだったんですか!?」
「そう、寝取られたと思ったけど、この間抱いたときに嘘だったって確信したね。本人も『気持ちを試すための嘘だった』って言ったけど、抱いてみるまではほんとに寝取られたと思ってたよ」
「……そんなこと、わかるんですか?」
「わかるよ。幸雄も同じこと聞いてたけどね」
「まさか、だから寝たんですか?」
「それもあるけど……」
「どうしてわかったんですか?」
こんな会話を男性としたことがなかったエリカは、焼きもち以前に興味津々だった。
「抱かれくせって言うのかな? 抱かれ方が同じだったからね。他の男と寝てたら、ああいう抱かれ方はしないと思うね」
「そういうもんなんですか?」
「意見はいろいろあると思うけど、俺はそう思ってる。だって男によって抱き方が違うんだから、抱かれ方も違うだろう」
エリカは透の考え方は面白いと思いながらも、この人はどういう抱き方をするんだろうと考えていた。
「幸雄も智子さんに浮気されて、戻ってきた時に抱いたらわかるだろうけど、『智子は絶対浮気しないから』の一点張りだったよ」
笑いながら言う透を見て、付き合ってみたいと思った。
「会社が違うんだし、お付き合いもあるでしょうから、そんな些細なことで焼きもちは焼きませんから」
「じゃあ、決まりだね」
そう言って透がエリカの手を取った。少し驚いたが、婚約指輪をはめてくれる日がいつか来てくれればと思った。
「小川君に言うんですか?」
「渡米前で忙しいだろうから、どうだろうね? 機会があったらかな。エリカちゃんは言いたかったら同期に話しても良いよ」
「たぶん、話すと思います」
「良いよ、やましいところもないしね」
透に見つめられて、エリカも透を見たが、初めてこんなにちゃんと顔を見たと思った。確かに幸雄に似てる部分もあるけど、似てない部分の方が多かった。透の方が眉毛が細いし、優しそうな眼をしてるし、えくぼは幸雄にはなかった。幸雄の面影を追っていない自分を信じることにしたエリカだった。
*****
「送ってもらっちゃってすみません」
透がエリカのマンションまで送ってくれたが、家に入れる気はなかった。
「もう遅いからね。ちょっと心配だったけど、地下鉄からだとそんな暗い道を通らないんだな。JRからだったらどうなの?」
「自転車なので、大丈夫ですよ」
「でも雨の日は?」
「バスに乗ります」
「じゃあ、大丈夫か」
「……そういう心配をしてくれるんですね」
「当然だよ」
エリカはこんな扱いを男性から受けたことがなかった。
「じゃあ、おやすみ。土曜にどこに行きたいか、考えておいて」
「はい、おやすみなさい」
エリカは部屋に入って、即めぐみと智子に報告した。
「え? 透さんと?」
最初に返信してきたのはめぐみだった。
「安西君は?」
「うん……やっぱり同期以上にはなれないかな」
「そうなのね……。でもおめでとう。透さん、素敵だものね」
「ありがとう。こういうときめきが安西君には感じられなかったの。だからこれで良かったと思う」
智子からは返信がなかった。既読にはなってるから、幸雄に話してるんだろう。反対はされないだろうけど、エリカは少し複雑だった。
*****
「兄貴と山本が? なんでそうなったんだろ? 平日だし、待ち合わせて会ったってことか?」
「電話してみるね」
智子が電話してるのを見ながら、俺は安西のことを考えていた。
「あ、エリカ? ちょっとびっくりしたんだけど、どういう展開だったの?」
俺は智子の携帯に耳を澄ませた。智子がスピーカーにしてくれた。
「地下鉄の最寄り駅が同じだったの! それで夕食を一緒に食べてたらそう言う話になってね……!」
久々に聞く山本の元気な声。安西には気の毒だが、山本にとってはこれで良かったのかもな。
「すごい偶然ね。じゃあこれからは地下鉄経由で通うの?」
「そこまではしないと思うけど、縁があるってこういうことなのね!」
山本、舞い上がってる……! 俺はスピーカーボタンを押してオフにした。
「2人で話せよ。とりあえず俺はいいから」
「うん、わかった」
俺は書斎へ行った。兄貴の言ってた『気になる女性のクライアント』はどうなったんだよ? 二股はかけないだろうけど……。俺は兄貴に電話した。
*****
電話を切ってすぐに智子が部屋に来た。
「お風呂入るでしょ?」
「ああ、そうだな」
明日は会社だが、思い出したトッドテクを試してみるか。
コメント