パラサイトマン

ノベルバユーザー549222

俺には兄貴がわからない

 兄貴のマンションは、うちから5駅ほど行ったところにある。家賃を半額会社が負担してるから、駅前のいいところだ。俺はインターホンを押した。

「はい?」

「俺だよ!」

「幸雄?」

 ドアを開けた兄貴を殴りそうになったが、まずは話を聞かないと。部屋にあがってすぐ家の中を全部見た。

「何やってんだよ?」

「ひろみさんは?」

「……なんで知ってるんだよ?」

 やっぱり!

「山本が泣きながらうちに来たよ!」

「エリカちゃんが?」

「そうだよ! ヨリを戻したことをひろみさんに言わせるなんて、最低だな!」

「どういう意味だよ? エリカちゃんとひろみが会ったのか?」

「そうだよ! どういうことなんだよ!?」

 落ち着け、俺。とりあえず兄貴の言い分も聞かないと……

「……金曜に部の連中と飲んで帰宅したら、ひろみがマンションの入り口で待ってたんだよ……」

「住所言ったのか?」

「いや、言ってないけど、総務で聞いたんだろう。この寒空の中、たぶん3時間は待ってたと思う……。お前の言う通り、着信拒否にしてたしな。社内メールも来てたけど、読まずに削除してたし」

「それで、泊めたのかよ?」

「家に入れたよ。唇も青くなってたし……。でも風呂には入れなかった」

「当たり前だ!」

「『ヨリを戻したい』って言われたけど、断った」

「それで泊めたのかよ?」

 兄貴は深くため息をついた。

「ホテルへ行くように言ったら、『帰る前にトイレを貸して欲しい』というから、貸したんだけど、出てきたら下着姿で」

 色仕掛けか……!

「それで、まさか……」

「……ああ、寝たよ。仮にも5年付き合ってたんだし、あんな姿で迫られたら欲しくなった」

 ああ、最悪……!

「それでヨリを戻すのかよ?」

「戻さないよ。朝はっきり言って、帰ってもらったはずなんだけど」

「山本に会うことは言ったのか?」

「『予定がある』としか言わなかったけど、ついてきてたのかもな」

 ストーカー行為かよ……

「ヨリを戻さないなら、なんで寝たんだよ?」

「お前が俺だったらどうなんだよ? 智子さんが浮気して、泣きながら『愛してるの』ってセクシーな下着で迫られたら断れるのか?」

「智子は浮気しないから!」

「そういう問題じゃなくて!」

「未練があるんだろ?」

「ないと言えば、嘘にはなるけど……。ただ本人の言う通り、中川とは寝てなかったと思う」

「どういう意味だよ?」

「俺の気持ちを確かめるために、中川が名前を貸したらしい」

「そんなのわかんないだろ?」

「わかるよ。中川とは寝てない」

 なんだ、この確信は……?

「とにかく、俺は反対だからな。あんな人が義姉なんて! 父さんも許さないだろうな」

「……そうだろうな」

「今からうちに来い。山本は今日泊まるし、父さんの仏壇の前で、ひろみさんとはヨリを戻さないって言ってもらうからな」

「え?」

「父さんにサポートしてもらいたいんだろ?」

「そうだけど、まだエリカちゃんと結婚とかまで考えてるわけじゃないし……」

「わかってるけど、山本の誤解は解くべきだろ?」

「そうだけど……」

「あと、山本の前でひろみさんに電話もすること」

「え?」

「ヨリを戻さないんだろ? それとも俺が言ってやろうか?」

「……自分で言うよ!」

「着替えろよ。すぐ出るぞ」

 俺は兄貴を連れて帰ることを、智子にラインした。

***** 

 家の前まで帰ってきた。

「余計なことを言うなよ」

「言わないよ」

「後から智子さんにも言うなよ」

「言うよ」

「なんでだよ!?」

「隠しごとする気ないから」

「いいね、ラブラブで!」

***** 

「ただいま」

 智子がすぐに出てきた。兄貴を見て少し固まった。

「……おかえりなさい」

「エリカちゃん、いるんだよね?」

「和室にいます……」

 俺が兄貴に続いて和室に入ろうとすると、智子が止めた。

「2人だけにする方が良いんじゃない?」

「……わかった」

「兄貴、2人でちゃんと話すように」それだけ言って、俺と智子はリビングに行った。

「どうだったの? ヨリを戻したの?」

「兄貴は断ったけど、ひろみさんは納得してないみたいだな」

 和室で話してるのはわかるが、話してる内容まではわからなかった。智子をスパイにするのは悪いが、ちゃんと兄貴が言ったか確認しなくては。

 10分ほどして、兄貴が出てきた。

「ちゃんと話したから」

 山本を見ると泣き止んでるし、落ち着いたようだ。

「で、ひろみさんには電話したのかよ?」

「これからするよ」

 そう言って俺の前で電話をし始めた。

「スピーカーにしてもらいたいんだけど」

 兄貴が嫌そうな顔をした。

「わかったよ」

 呼び出し音が数回なって、ひろみさんが出た。

「もしもし」

「俺だけど、エリカちゃんに余計なことを言ったようだね?」

「だってうちたち、ヨリを戻したやん……」

「戻さないって言ったはずだけど?」

「ほな、なんでうちを抱いたん?」

「誘惑に負けたことは謝るけど、もうこれっきりだから」

 そう言って兄貴は電話を切った。

「これで良いだろ?」

「着信拒否になってるよな?」

「してるよ」

「もうマンションの前で待ち伏せされても、無視しろよ」

「昔、お前が前の彼女に待ち伏せしたときも、冷たかったもんな」

「期待を持たせる方がむごいと思うけど」

「余計なことかもしれないけど、しばらく週末はうちに来れば?」

 母さんが提案した。その方が無難かもな。

「いや、大丈夫だよ。もう来ないと思うよ」

 そうだと良いけどな。

「じゃあ帰るよ。エリカちゃん、今日は本当に悪かったね」

「……いえ、大丈夫です……」

 兄貴が帰った。

「ほんとに大丈夫か?」俺は山本に声をかけた。

「うん、だいぶ落ち着いたから……」

「まあ、明日日曜だし、ゆっくり女同士語り合えば良いと思うよ」

「そうね、ありがとう」

「じゃあお休み」

 そう言って俺は部屋へ行った。しかし……安西には言えないな。でも来週の焼き鳥でバレそうだけど。

***** 

「智子、ごめんね。私、1人でここで寝れるけど」

「いいのよ、一緒に寝るなんて伊豆以来だし」

「……ありがとう。小川君にも明日お礼を言わないと」

「ね、邪魔どころか助けてくれてるでしょ?」

「そうね、疑ったことを反省しないとね」

 エリカは伊豆のことを思い出していた。

「ねえ、もし小川君に彼女がいても、あきらめずにがんばった?」

 智子はアンケートを渡したときのことを思い出していた。名前を呼んで久々に目が合ったときのこと。会話の都合上、彼女がいないことがわかってうれしかったこと。でももしそこで、いるって言われたら大ショックだっただろうけど、諦めることができたのか……?

「たぶん、諦めきれなかったと思うけど、でも略奪はね……」

「そうよね」

「だからきっと諦めてお見合いしたと思う」

「お見合い?」

「うん、去年中に婚約しなかったら会社辞めて、実家でお見合いする予定だったの」

「だから必死だったんだ?」

「それもあるけど、初めてディズニーシーに行ったとき、口は悪いけどすごく優しくて、思った通りの人だったからもっと好きになっちゃったの。そのときに絶対あきらめたくないって思ったの」

 ディズニーシーの日は初夏で暑かった。アトラクションの順番待ちが外の時は日差しがきつかったが、20cmは身長差があるから、智子の顔に日が当たらないように立ってくれていたさりげなく優しかったことを思い出していた。

「ああ、悔しい! それでほんとに射止めたもんね」

「まあいろいろあったけど、なんとかね……」

「今だから言うけど、智子と婚約した後でも伊豆での約束を果たしてもらおうと思って、1回デートしてもらえないかお願いしようとしたけど、最後まで聞かずに断られたの」

「そうだったの!?」

 智子はエリカがそこまで幸雄のことを思っていたと知らなかったので、驚いた。

「でもそれがきっと小川君の優しさだと思うの。だってそれで好きになっちゃったら、つらいのは私だもの」

「……そうね」

「だから透さんが、色仕掛けのせいとはいえヨリを戻す気がないのに、元彼女と寝たのは良くなかったと思うのよね」

「そうね。ヨリが戻ったと思ってたし、そういう優しさは人を傷つけるわよね」

「でももし小川君がそういう状況に置かれたら、抱いちゃうのかしらね?」

「きっと幸雄さんだったら『自分がホテルに行くから』ってマンションを出たと思う」

「……そうね、きっとそうだったでしょうね」

***** 

 パソコンを寝室に置かなかったことを初めて後悔した。今日は俺の書斎で母さんが寝てるし、1人で部屋にいて時間を持て余していた。寝れそうもないしな。しかし、兄貴のことは気になるな。俺に言わせれば、ひろみさんを家に入れたり、抱いたりしたのは優しさじゃなくて兄貴のエゴだと思う。ひろみさんも気の毒だと思った。兄貴の愛情を確認する方法はほかにもあったはずなのに……。それに兄貴のあの確信。なんでひろみさんが中川さんと寝てないって思ったんだろ? 知りたい気はするが、自分の体験を通じては絶対いやだ。

 今晩、イチャイチャしたかったのに延期か。しょうがない。平日でもやれるけど、やっぱり母さんいるからたとえ週末でも気になるんだよな。時差ボケと欲求不満でますます寝れなくなった。

***** 

 翌朝。明け方まで寝れなかった俺は、目が覚めたら10時過ぎていた。下に行くと、智子と山本はリビングでお茶を飲みながら話していた。

「おそよう、やっと起きたわね」智子がコーヒーを入れてくれた。

「ああ、なんか寝れなかったしな」

「1人で寂しかったのね?」

 どうやら山本は元気になったようだ。

「まあな」俺はコーヒーをすすった。

「……認めるのね?」

「認めるよ。なんで?」

「家だと素直なんだ?」

「そうだよ、やっと出張から帰ってきて、いちゃいちゃしようと思った週末だったのに」俺はにやりと笑って答えた。

「……朝からごちそうさま。悪かったわね」

「で、もう落ち着いた?」俺は山本の隣に座った。

「うん、ありがとう」

「ま、人口の半分は男だから。安西もいるし」

「そうね」

「朝ごはん、食べるでしょ?」

「うん」智子は目玉焼き他を作り始めた。

「良いわね、新婚さん」

「そうだな。思ったより悪くない結婚生活だな」

「『思ったより悪くない』? 何か不満があるみたい」智子に突っ込まれた。

「揚げ足とるなよ、不満なんてないよ」

「じゃあ、なんで結婚したくなかったの?」

「別に早くしたくなかっただけで、いずれは、って思ってたよ」

「そっか……。私も結婚したいなあ」山本がため息交じりに言いながらお茶を飲んだ。

「安西も視野に入れてあげろよ」

「入れてるわよ! でも社内だし……」

「『社内だから』って気にしてる間は、それくらいの感情なんだと思う。私はむしろ社内だからチャンスはあるって思ったもの」

 あ、そうだったんだ? 俺は社内の女性陣は女と思ってなかったんだが、そう言うと怒られそうだから、黙ってた。

「それはあるかもね……。歯止めが効いてる間は、やっぱりその程度なのかも」

「でも安西とデートするだろ?」

「しようと思ってるけど、誘ってくれないだもん」

 安西の『思わせぶり』作戦はやっぱり失敗だったようだ。それは言っておくか。でないとまた失敗しそうだからな。

「ねえ、トッドから習ったことで広瀬君がめぐみにしたことを、私にもしてほしいんだけど」

 俺が食い終わったとたんに、智子が言った。

「何それ?」

「私もよくわからないの。先々週の焼き鳥でめぐみに言われたんだけど」

 そう言って智子は詳細を話した。

「それだけではよくわからんが、目力のことかな?」

「目力?」

「そう、トッドはすごい目力だった話はしたけど」

「それかもね。広瀬君のめぐみを見る目つきのことを言ってたのかも」山本が同意した。

 今の広瀬だったら、こういう目つきで前川を見るか……『お前が欲しい』まさに今の俺だが。俺は少し上目遣いで肘をついて、やや斜め向きで智子を見つめた。

「……よくわかんない」

 何だよ! 人が頑張ってやってるのに!

「じゃあ、ちょっと私にやってよ」

 気は進まないが、智子が鈍感ならしょうがないか。

「私は結構好きかも。ゾクゾクしちゃう! 携帯の待ち受けにするわ」そう言って山本が俺の写真を撮った。

「ダメよ!」智子が止めようとしたが、遅かった。

「あ、写真はもう目つきが変わってる! 残念」

 見せてもらうと『何バカなことを言ってるんだ』顔になっていた。確かにその通り。俺は削除した。

「何するのよ!?」

「安西にやってもらって待ち受けにしろよ」

「……デートに誘ってくれたらね」

 誘うように安西に言わねば。

「そろそろ失礼するわ」

「あ、もう帰るの?」

「うん、邪魔しちゃ悪いし」

「じゃあ、明日ね」

「駅まで送るね」智子が言ったが、

「いいわよ、通いなれた道なんだから」

 山本が帰った。ま、ちょっと一人になりたいかもな。

***** 

 エリカは駅へ向かう道で泣きそうになっていた。智子がうらやましくてしょうがなかった。
「やっぱり良いよね、小川君……」



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