パラサイトマン

ノベルバユーザー549222

ついに……!

「無事でよかったけど、ほんとに気をつけなさいよ」

 母さんには事後報告で良かった。あの場にいたら卒倒してただろう。

「わかってるつもりだったんだけど……」

 平日の11時過ぎに家にいるなんて。それに利き手を怪我すると本当に何もできない。

「昼ごはん食べる?」

「あ、弁当食う」

 せっかく作ってもらったのに、食べずに早退。おまけに箸が使えない。左手でスプーンとフォークで食べた。

「ちょっと昼寝するよ。ここのところ、寝れなかったし」そう言って俺は部屋へ行った。

 ゲームもできない、ラインも打ちにくい。ああ、どうしよう。何もできないって苦痛だ。TOEFLの勉強する気にもならないし、職探しなんてなおさらする気にならない。読書ならできるか。「路上」を読み直すことにした。

*****

「小川君、病院から1回戻ってきたの?」

 智子は広瀬からそう聞いてショックだった。早退前に部署に寄ってほしかったからだ。

「医者の許可が下りるまでしばらく休みだって。でも指も無事でよかったよな」

「そうね」エリカはそう言ったが、智子は心配で仕方がなかった。

「帰りに寄るか?」

 広瀬の提案はうれしかったが、智子は少しためらった。

「行こうよ、智子」エリカも勧めた。

「うん……」

「ところでさ、犬の話、うそでしょ?」

「え?」

「智子は小川君のことだと嘘つくのよね」

「ごめん……」

「何があったか聞いても答えないんでしょ?」

「何から話せばいいか、わからないの」

「そんなにいろいろあったの!?」

「そういうわけではないけど……」

「一応俺からラインしとくよ。速攻、同期で見舞いに行くってな」

***** 

 昼寝から覚めると広瀬からラインが来てた。

「母さん、同期が今日、仕事終わったら見舞いに来るって」

「あらあら、ちょっとケーキ買いに行ってくるわね」

 母さんは買い物に出てしまった。片づけないと、と思ってるインターホンが鳴った。

 玄関を開けると勢ぞろいだった。青木もいた、良かった。

「痛々しいわね……」

 いつも元気な山本ですら、俺を見てつらそうな顔をしている。

「ああ、痛かったよ」

「今は痛くないの?」

 前川が靴を脱ぎながら聞いた。

「麻酔がまだきいてるからな。痛み止めももらったし」

 とりあえず和室に通した。

「いったい何が起きたんだよ?」

 横に座った広瀬が聞いてきた。青木は一番遠いところに座っていた。

「事故車のドアのために板金やってて、広瀬、右手貸して」

 そう言って俺は、ざっくり切れた箇所を広瀬の右手を使って説明した。

「骨のおかげで指を切り落とさなくて済んだけど、骨も折れたし、ここはひびが入った」そう言って俺は広瀬の手の平を指した。

 明らかに全員ひいている。そりゃそうだよな……

「どうやったら、そんなことになるんだよ? 明らかに集中してなかったよな?」

「うん……」

「お前の後を引き継いだけど、板金の機械にお前の血が飛び散ってて……」

 えええええ? 広瀬には悪いが想像したくなかった。

「主任がきれいにするのを手伝ってくれたけど、俺、血が怖くなったよ」

「ご、ごめん……」

「トラウマになりそうだった」

「ごめん……ああ、でも俺もなりそう」

「もう一生、スプラッター映画見ない」

「俺も救急車で麻酔されて、少し痛みがましになったから見たけど、俺の手が血だらけで、すごい気分が悪くなってな」

 あ、また気分悪くなってきた。

「顔色悪いぞ」安西が言った。

「やっぱり? 主任が適切な止血をしてなかったら、もっと惨事だったって言われたけど、それって輸血だったのかも」

「応急処置の研修、受け直そうかな」広瀬が言った。

「ああ、そうだな。事故の時、すごい大事だからな」

「俺なんて気が動転して、止血しなきゃなんて思わなかったよ」

 俺も受けないと、と思ったが、正直整備の仕事に戻りたくなかった。

 玄関で音がした。母さんが帰ってきた。

「今日はお見舞いに来てくれて、ありがとうございます」

「お邪魔してます」

「ケーキを買ってきたので、召し上がって。みなさん、おなかすいてるでしょ?」

 確かに。俺もすいてる。

「お母様も一緒に食べましょうよ」

 山本が母さんを誘った。誰とも気軽に話せるのは、山本の長所だと思う。

「まあ、良いのかしら?」

「ああ、いいよ、もちろん」

「お茶を入れてくるわね」という母さんの言葉に

「手伝います!」と、女性陣3人が台所へ一緒に行った。

「そんな怪我した瞬間を見たら、トラウマになるよな」

 安西が話を戻した。

「広瀬、ごめん、ごめんな」

「いや、お前のせいじゃないんだけどな。俺こそごめん、変なこと言って。俺たちの仕事は事故多いけど、仲いい同期に起こるとすごいショックで」

 そうだよな。

「職場の雰囲気、悪くなっただろ?」

「ああ、お前が救急車で運ばれてから、みんな暗くなっちゃって……」

 ああ、罪悪感。

 母さんと女性陣が、お茶とケーキを持って戻ってきた。フルーツタルトのホールケーキ? 誰かの誕生日じゃあるまいし。

「8つに切りますね。7つじゃ切りにくいので」

 青木が切り始めた。

「まあ、6つで良かったのに」

「いえいえ、おいしそうだし一緒に食べましょうよ」

 前川が、コーヒーを全員についで回った。

「でもそこは鈴木主任だよな。びしっと引き締めてくれたよ」

「そうなんだ。良かった」

 それを聞いて俺は少し気が楽になった。

「あのさ、聞いてもいいかな、なんで集中できなかったんだ?」

 安西が尋ねてきた。

 俺は覚悟を決めた。

「青木、もう言ってもいいだろ? 俺、今日、主任に話したよ」

 もう2人だけの秘密は終わりだ。

 青木は黙って俺のことを見つめているが、言葉が出てこないようだ。

「何? 何があったの?」

 山本も前川も、知りたくてうずうずしていた。

「青木は毎年出してたのに、冗談で出した俺がグリーンカードに当選したんだ」

「え? グリーンカードってあのアメリカ永住権の?」

 青木以外、驚いている。みんな青木とのことを話すと思ってただろうしな。

「そう。嘘ついて悪かったけど、先々週と先週休んだのは、そのためだった。アメリカ大使館に行ってきたんだ」

「智子も出してたの?」山本が聞いた。

「うん、3年くらい前から。たまたま小川君も出したって聞いて……」

「それで、仲良かったのね?」前川がそう聞いたが、青木は答えなかった。

「小川君、会社辞めるの?」

 山本が寂しそうに聞いた。

「もし行くならな。まだ決めたわけじゃないけど……」

「……どうせ、連れて行ってくれないんでしょ?」

 青木の言葉を聞いた前川が、反応した。

「いつからそういう仲だったの?」

「『そういう仲』じゃないわよ。誘っても絶対、私のマンションに来ないし」

 今ここで、その話を蒸し返さなくても……。それも母さんの前で。正直俺は腹が立ってきた。

「それは……」

 俺が話してるのを青木が遮った。

「私は真剣だって言ったでしょ? もう少ししか一緒にいられないから、来てって言ってるのに……」

 今度は俺が遮った。

「俺だって真剣だよ! だから中途半端なことはしたくないんだよ!」

 こういう日に限って一番離れた席に座ってるから、事実上怒鳴りあいになってしまった。当然のことながら、全員唖然としていた。

「真剣だったらうちに来たって良いんじゃないの!? それとも向こうでアメリカ人の彼女が欲しいとか? そうよね、英語できるんだから、アメリカでも恋愛できるものね!」

「そんな信用してないのか!」

「……そういうわけじゃないけど、でも……」

「あれから毎日、仕事探してるけど、全部落とされてて全然だめなんだよ。昨晩電話に出れなかったのは、ケビンとトーマスに相談に乗ってもらってた。こんな調子では絶対連れていけない!」

「避けたんじゃなかったのね……」

「避けるわけないだろ!」

 このまま言い争いしても平行線は埋まらない。

「主任から、先に1人で行くなら、婚約してから行けって、言われたよ!」 

 ああ、言ってしまった……。全員の視線が痛い。

「……そういう案もあると……思ってるよ」

 ああ、言ってしまった。

 青木が勢いよく抱きついてきた。

「いてえ!」

「あ、ごめんね!」

 青木がすぐ離れたが、マジで痛い。それも手じゃなくて右腕と肩が。

「大丈夫、ごめんね、うれしくてつい……」

 青木が喜んでくれてうれしいが、あまりにも痛くて冷や汗が出てきた……。

「お前、後遺症残ったら責任取れよ……」

「ごめんね、どうしよう! 後遺症残ったらどうしよう?」

「残らなくても責任取ってもらうからな」

 これが俺のプロポーズだったが、青木は動転してまったく気が付いてない。まあ、いいか。

 母さんが痛み止めを持ってきた。今日は痛かったら、1日4回までは痛み止めが飲める。プラシーボ効果かもしれないが、飲んですぐ効いてきた気がした。

「だいぶ、痛みがなくなってきた」

「良かった。ほんとにごめんね」

 久々に青木の明るい顔を見た。

 母さんがそばに来て、小さな箱を俺の前に置いた。

「何これ?」

「お父さんが私にくれた婚約指輪」

 え? 俺は開けてみた。紫色の石だった。

「でも、兄貴が使いたいかも……」

「透はダイヤにしたいんですって。彼女が4月生まれだから」

 母さんが青木の方を向いた。

「私が2月生まれだから、アメジストなの。でももしそれで良かったら」

「こんな大事なもの、いただけません!」

「でも結婚したら、私の義理娘になるんでしょ?」

 ああ、そうだ。結婚って親のこともあるんだった。

「私も2月生まれです」

「決まりだな。もうここで公に婚約しちゃえ!」広瀬が軽く言ってるし。

「そうよ、指輪もあるんだし」前川まで……

「ま、まだだよ、青木の親にも会わないと……」

「青木さんのご両親に断られる理由とかあるの? そんな子に育てた覚え、ないんだけど」

 母さんまで……!

「大丈夫よ、私の両親はもう小川君のこと、知ってるし」

「え?」どういう意味だよ?

「この写真も送ってるし」

 そう言って見せてくれた写真は、俺が酔いつぶれたのだった。

「余計悪いだろ!」

「かわいい寝顔だって言ってたわよ」

 最悪……。

「ベストタイミングじゃん。証人がいる前でちゃんと婚約しろよ。タイミング逃すと俺みたいになるぞ」

 安西の言葉は重かった。

 覚悟を決めて、俺は青木の左手の薬指に指輪をはめた。ちょっときついかもしれないけど、一応いけそうだった。

「ありがとう」青木の目に涙が浮かんでいた。

 拍手が沸き上がった。ああ、恥ずかしい。

「おめでとう! 同期で1番が智子だったとは……!」山本がかなり悔しそうだった。

「同期からついに結婚か。俺もがんばらないと」

 今日暗かった広瀬の顔に笑顔が戻った。

「怪我の功名ってまさにこれよね」

 広瀬と前川もクラゲ事件以降、仲良いし、まさにそうだな。

***** 

 女性陣はケーキの皿もすべて洗ってくれた。

「今日はありがとな」俺はちょっと恥ずかしかった。

「お大事に、それとおめでとう、お2人さん」

「智子も一緒に帰るの? 残って話とかしたいんじゃないの?」前川が機を利かせて聞いた。

「うん、そうしたいけど今日怪我したばかりだし、今度にするわ。まだちょっと顔色悪いものね」

「え、俺、まだ、顔色悪い?」

 貧血というよりかは怪我と血を見たショックだろうな。

「うん、良いとは言えないよね……」

 山本も同意見だった。

「そうだな。今日はゆっくり寝るよ。痛み止めさえ効いてれば寝れると思う」

 そうは言ったものの、職探しもあるし、そんなに休んではいられないが……。

「出社決まったら教えてくれよな」広瀬がそう言って、みんな帰宅した。

 人生においてこんな日ってもうないと思った。大怪我も初めてだったし、救急車に乗ったのも初めてだった。もちろんプロポーズも婚約も初めて。一生忘れられないだろう。

 客間を見ると、母さんが8つ目のケーキを仏壇に供えていた。婚約証人の6人目は父さんだったか。



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