パラサイトマン

ノベルバユーザー549222

やってしまった……

「智子、最近元気ないのね」前川が聞いた。

 3人は休憩室で一緒に昼を食べていた。

「ちょっと夏バテかな。エアコン代高くつくから、できるだけ使わないようにすると夜が寝苦しくて」

「そうね、暑いよね、毎日」めぐみも暑さにうんざりしていた。

「そうそう、智子と小川君が行ったあのフレンチレストランに、今週日曜に広瀬君と行くんだけど、おススメメニューとかある?」

 めぐみに聞かれて、智子は余計悲しくなった。

「いいなあ! 行ってないのは私だけか」

「安西君と行けば良いじゃない」めぐみにそう言われたが、

「それこそ小川君にご馳走してもらおうかしら?」

 もしこれでエリカと一緒に行ったら、辞表を出そうと思ったくらい智子は思い詰めていた。

「……どれも美味しかったわよ」

「いつ予約したの? 1か月以上前だったの?」

「さあ、小川君が予約したから知らないけど」

「小川君が予約したの? 智子だって広瀬君が言ってたけど?」

 智子が返答に困ってると、エリカが言った。

「照れ隠しで小川君がそう言ったのかもね。でも何か特別な意図でもあったのかしらね?」

「さあ……」本当はあの日、映画の後に行くつもりでかなり前に智子が予約したものだった。宝くじに当たったことにして自分のおごりで行く予定だったのが、結局ごちそうになった。少し雰囲気の違うところだったら、カップルの気分にもなって、関係を進められるかと思ったからだった。あの時は、小川との距離が縮んでうれしかったのに……そう思うと悲しかったが、そのそぶりは見せなかった。

「ネットでメニューを確認したら、暑いし、冷製フレンチみたいよ」

「わぁ、美味しそうね……」エリカがうらやましそうに言った。

「そうそう、今週、フィットネスよね。暑いからスカッシュより泳ぎたいかも」

 智子はフィットネスに行くより、小川に会いたかった。また一緒に過ごせるなら、あとから呼んでもらう条件を受け入れようと思っていた。フィットネスの後に少しでも2人で話せたら……。

「ちょっと良いかな?」広瀬だった。

「どうしたの?」

「今週土曜、小川がダメなんだって。やっぱり延期? 俺としては小川なしでも行きたいけど」

 智子はショックだった。

「なんで来れないの?」山本が不満そうに聞いた。

「大事な用があるらしいよ。ついに彼女でもできたのかもな。昨日も晩飯誘っても断られたし」

「そんな!」山本はショックを受けていた。

「帰りに待ち伏せして確認しないと。ね? 智子」

「そ、そうね……」智子は行きたい反面、怖かった。避けられてると思ったからだ。

***** 

 ダッシュで仕事を片付けた。仕事が決まるまで残業はしないと決めた。広瀬が何か言ってるが、悪いが帰る。

 そういう時に限って、山本が会社の出口にいた。青木も一緒だった。

「今週のフィットネス、行けないってほんと?」

「ああ、用事がある。今日も時間ないから。ごめん、またな」

 俺は返事も聞かずに帰った。今日も明日も、ケビンとトーマスに相談に乗ってもらうからだ。

***** 

「何よね、そんなに夢中になっちゃうくらい魅力的な女性なのかしら?」

 智子はエリカの言葉は信じていなかった。避けられてると確信したからだ。

「何か食べて帰らない?」エリカが誘ったが、

「ごめんね、夏バテで食欲ないから……」

 そう言ったが、泣きそうなのを耐えるのに必死だった。

***** 

 飯を食ってからパソコンをつけてメールを確認するが、全く連絡なし。落ちたことすらの連絡もない。つまり書類で落とされたということだ。こんな調子じゃ、1人で渡米しても青木を呼べる日なんて来るわけがない。何のコネもないアメリカ。イギリスだったらまだましだったのか? 

 WhatsAppが鳴った。ケビンからだった。

「Are you ready?」

「Sure」

  ケビンがくれたZoomのリンクをクリックした。トーマスも画面に現れた。2人には全部話してるし、全面的に協力もしてくれてる。履歴書もカバーレターも全部チェックしてもらってるのに、書類で落ちてるのは学歴か……。ただ、キャリアゴールが弱いと何度も言われてる。採用してくれるならどこでもいい俺に、キャリアゴールなどあるわけがなかった。

***** 

 智子は帰宅してから、小川に電話したが出ない。そこまで避けられてるなんて。何度電話しても出ない。途方に暮れたが、誰にも相談できなかった。もらったユキオくんを抱きしめた。泣いても仕方がないのはわかっていたが、涙が止まらなかった。

***** 

 ケビンもトーマスも俺の志望動機も弱すぎると言った。採用してくれそうな会社に出してるんだから、志望動機も適当。ああ、わかってる、でもどうすればいいのかわからない。

「Come to England」

 トーマスに言われたが、ビザもないのに? アメリカで採用してくれる会社がないなら、イギリスにもない。そう考えたらビザが要らない分、アメリカの方がましなのか? 

「Don’t be disappointed. Tomorrow is another day」

 「Thanks, guys」

 Zoomを切った。お先真っ暗。渡米をやめてもいいが、青木が移住したがってるのにと思うと、あきらめきれなかった。でもそのせいでけんかになってるのは、バカらしいとも思ってるが、やっぱり移住と同時には連れていけない。ケビンからはもし俺が学歴のせいだと思うなら、オンラインで大卒を目指したらどうだ、と提案された。卒業していなくても今頑張ってると言えば、キャリアゴールも聞こえもよくなるし、志望動機もアピールできる。でもそれにはまず英語のスコアがいる。

 TOEFLならコンピューターでの試験だから、会場が少し遠いが5日後くらいに受けれるが結構高い。何の勉強もせずにいきなり受けても大丈夫なのか?

 携帯を見ると青木からの着信が何度もあった。でももう深夜2時。なんて言えばわからないし、時間も遅いから折り返しの電話はしなかった。

***** 

 金曜日。毎日の寝不足で俺は疲れていた。いつも朝にコーヒーを買う自販に青木がいた。

「おはよう」俺は顔も見ずに言った。

「……昨日何度も電話したんだけど」

「ああ、ごめん、気が付いたのが深夜2時だったから折り返さなかった」

「2時まで何をしてたの?」

「ちょっといろいろと……」あまり詳細は言いたくなかった。見つかる可能性はゼロではないが、期待させておいて失望させるのだけは絶対したくなかった。

「仕事に戻るから、またな」俺はまた顔も見ずに言って、その場を去った。

*****

 集中しないといけないのはわかっていたが、どうしてもできない。寝不足もあるが、絶望感でいっぱいだった。何社出しただろう? 数社ほど、不採用の連絡をくれたが、大変はそれさえ来ない。俺自身を否定されてるような気がしてきた。トーマスもケビンも慰めてくれてるが、正直どん底だった。そういう時に限って、ややこしい整備が来る。板金は特に危ないし、気の緩みが事故につながるから、気をつけないと……

 なんだ、この感覚? 痛いのかなんだかわからない……。思わず俺は膝をついた。

「小川! どうした、すごい血が出てるぞ。誰か救急車呼べ!」

 広瀬が叫んでる。右手が痛くなってきた。ああ、めちゃくちゃ痛い。人が集まってきたけど、痛すぎて周りが見えない。

***** 

 救急車のサイレンが聞こえてきた。鈴木主任が止血してくれて、広瀬と一緒に営業所の玄関に向かった。

「どうしたの?」

 前川だ。

「救急車呼べって言われたけど、小川君なの?」

 玄関口についたが、痛くて立っていられなくてまた膝をついてしまった。

「すぐ、救急車来るからな! しっかりしろ」

「智子を呼んでくるから!」

 呼ばなくていい、と言いたかったけど、声にならなかった。こんな痛い思いをしたことなかった。

 救急車が来た。立ち上がって自分で乗ろうとした。担架なんて恥ずかしすぎる。

「病院付き添うよ」という広瀬に、

「……俺のやっといて……あれ、3時までだから」

 なんとか声を振り絞って言った。

「わかった」

 救急隊員に支えられて、乗ろうとしたら青木と山本が来た。

「小川君!」

「中で治療するので乗ってください」

 救急隊員に促された。ドアが閉まって救急車が発進した。

***** 

 救急車の後姿を見ながら、智子が広瀬に聞いた。

「すごく血が出てたけど、何があったの?」

「わからん。変な音がしたと思ったら、小川が膝をついて痛そうにしてたんだ。結構血も出てた。指を詰めたかも」

「え?」

 智子が泣き崩れた。

「きっと大丈夫よ」

 エリカとめぐみが慰めたが、2人も不安でしょうがなかった。

*****

「痛いでしょう。麻酔しますね」

 自分の手が怖くて見れない。やってしまった。いつもだったらこんなこと、絶対起こらないはずなのに……。

 麻酔が効いてきたのか、痛みが少しましになった。

「俺の手、どうなったんですか?」

「板金か何か鋭いもので、ざっくり切ってしまったんですよ」

 え? 覚えてない。なんでそんなことに……

「太い血管まで到達してたので、出血量が多かったようですね。止血した方が上手だったので、大事に至らなかったようです」

 鈴木主任だ。同じ専門学校卒の大先輩だ。去年、主任に昇進したけど、入社時からお世話になっている、俺が尊敬する整備士の1人だ。

 救急車が病院に着いた。痛みがましになった分、補助がなくても歩けるが、大量の血を見て気分が悪くなってきた。

*****

 右手の指2本、手の平の骨折と12針縫った。全治3か月だった。

「明日もう1度見せてください。今日は入浴もアルコールもだめですよ」

 若い先生だった。俺よりちょっと上くらいだと思う。

「わかりました」

「抜糸の日は経過を見て決めますが、抜糸が終わっても骨折の方がよくならないと職場復帰は無理ですね。整備士ですね?」

「はい」

「痛みが収まってきたら、整備の仕事以外はできますが、労災が下りると思うので、治療に専念してください」

「わかりました」

 右腕を肩から吊って固定もされた、しばらくは動かすのも禁止か。治療が終わって化膿止め、痛み止めと診断書をもらった。

 搬送された病院は村野総合病院で、職場から駅で2つほどだった。財布も携帯も何も持ってない。病院のタクシー乗り場で事情を話して、着いてから財布を取りに行って払うことにした。

 営業所の前にタクシーをつけてもらった。

「お金持ってきますので、ちょっと待っててください」

「メーター止めときますよ。怪我してるんだし、急がないで大丈夫ですよ」

 タクシーを降りて、自分のロッカーに向かう途中で、あまり付き合いのない連中からも声をかけられたが、とにかく急いでタクシー代を払った。

「小川、大丈夫か?」

 広瀬だ。

「ああ、12針縫った」

「12針?」

「骨折3か所だった」

「え?」

「とにかく主任に報告しないと。しばらく勤務できないしな」

 俺が戻ったことに気づいた人が、声をかけてきた。

「あ、大丈夫です。ご心配おかけしました」

「青木が泣いて泣いて、大変だったぞ」

 救急車に乗る前にチラッと見えたが、すでに泣いてたように見えた。

「お前のやりかけ、もうすぐ終わるから」

「ありがとう」

 設備部に着くとみんな手を止めて俺の方を見た。事故は他人ごとではない。

「大丈夫です。申し訳ありませんでした」俺は頭を下げた。

 鈴木主任も出てきた。

「珍しいな、お前が事故なんて」

「すみません」

「ちょっと主任室で話を聞くから」

*****

 怪我のことを報告した。

「12針と3か所骨折か。復帰までどれくらいかかる?」

「たぶん3か月ほど……」

 結構忙しい部署だし、申し訳なさでいっぱいだった。

「主任の止血が上手だったと、救急隊員がほめてましたよ」

「ああ、そうか、研修でやったきりだったけど、覚えててよかったよ」

「ありがとうございました」

「しかし、いったい、どうしたんだ? 仕事も丁寧だし、顧客からの評価も高いのに。何か悩みでもあるのか」

 鈴木主任にすべてを話した。グリーンカードのこと、青木のこと。渡米しようと思ってるけど、決められないこと、仕事も探してるが全滅で落ち込んでいること。

「そうか、なかなか当たるもんじゃないそうだからラッキーだけど、いきなり当たっても心の準備はできてないだろうな」

「はい」

「でも英語はどうなんだ? アメリカに知り合いはいるのか?」

「英語はガキの頃、イギリスに住んでたので一応大丈夫です」

「早く言えよ、それ。履歴書に書いてなかっただろう?」

「TOEICも何も受けたことないので、書くことないですよ」

「営業2課が、外国人の顧客で苦労してるのに」

 営業2課? ああ、安西は1課か。

 話を戻した。

「アメリカに知り合いはいませんし、『生活が安定したら呼ぶ』って言っても納得しなくて」

「まあ、しないだろうな」

「だから今毎日、仕事探してますが全然だめで。これでは一緒に移住なんて絶対無理です」

「せめて婚約してから行けば、納得するかもな」

「婚約!? そんなことできないですよ!」

「どうして?」

「だって、いつ呼べるかわからないのに、縛りつけたくないです」

「お前にとってはそうかもしれないけど、青木にとっては婚約は保証だからな」

 保証……。主任はおととし結婚して、子供も1人いる。

「俺は嫁さんしかしらないけど、女ってそういうもんみたいだよ。確かに俺も『結婚を視野に入れて』って言っただけで『いつ婚約指輪くれるの?』だったよ」

 婚約指輪!

「給料半年分でしたっけ?」

「コマーシャルに乗せられるな。でもな、婚約指輪のイメージがあるみたいで、ダイヤの立て爪で、とか言われて結構高かった」

 婚約指輪か。

「でも、そこまでして渡米しなくても良いんじゃないのか? アメリカでやりたいことがあるなら、まだしも」

「でも青木はずっとグリーンカードを出してたんです」

「そうなんだ?」

「はい、だからせっかく俺が当たったなら、あいつの夢を叶えてあげれると思ったんですけど……」

「なるほどね」

「はい……」

「一度、アメリカ大使館に移住期間を延長できないか聞いてみてもいいかもな。普通は半年以内なんて移住できないだろう。結婚予定してるとか、嫁さん妊娠中とかだってあり得るだろうし」

「ああ、そうですね」

「今回の怪我も理由に使えると思うよ」

「そうですか?」

「完治に3か月かかるんだったら、どう考えても半年以内に移住って無理だろう。後遺症がのこる可能性があるとか言っとけ」

「主任、頭いいですね」

「ははは、ずる賢いんだよ」

 主任と話して少しすっきりした。

「怪我の経過は必ず報告するように。それと医者の許可が出たら、営業2課の補助に入ってもらうと思う」

「え? できるかな?」

「英語の補助ならできるだろう」

「わかりました、努力します」

 主任室を出て、整備部の連中に挨拶をして早退した。

 青木のいる資材部事務に寄ろうかと思ったが、ラインで連絡することにした。今回の一件で、営業所社員全員に俺たちのことが知れてしまった。



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