パラサイトマン

ノベルバユーザー549222

俺だって悲しい。

 月曜日。何はともあれ、結果は言わないと。そう思って朝、女子更衣室に立ち寄った。ドアが開いてるから、おそらくもう誰も着替えていないんだろう。ドアをノックしてから、中を覗くといつものメンバーがいた。青木、山本、そして他女性社員。前川は広瀬の言う通りに、皮膚科に行ったようだ。

「連休はお疲れ様」俺はそう言いながら部屋を覗いた。

「小川君、私にお詫びに来たの!?」

 山本はどうやら酒がなくても、いつも酔ってる調らしい。

「いや……。青木、ちょっと」

 そう言って俺は、『用がある』と匂わせて、女子更衣室を後にした。

「何よ、智子に用事なの?」

 山本の怒ってる声が聞こえてきたが、無視。青木は俺についてきていた。

「どうしたの?」

 会社の外に出て、たまに昼を食べる木の下まで何も言わなかった。

「いったい、どうしたの?」

 俺はだまって、当選した紙を見せた。

「え? まさか、グリーンカードに当選したの?」

「……そうみたいだな。お前はどうだった?」

「何にも来てない。外れたと思う」

「まだ、わかんないだろ?」

「ううん、きっと外れたわよ。もう何度外れたことか……」

 そう言って青木はうつむいてしまった。なんか、悪い気がした。本当に行きたい奴が外れるなんて。

 青木が何か言ったが、聞こえなかった。

「ごめん、聞こえなかった」

「……私も連れてって」

「な、何言ってんだよ?」

「帯同の家族分も出るんでしょ?」

「俺と結婚しないと家族にならないだろ?」

「そうよ、そういう意味よ」

「アメリカ住みたいから、俺と結婚したいのかよ?」

「違うに決まってるでしょ! 離れたくないの」

 急なプロポーズもどきに俺は驚いたが、気を取り直した。

「……これ、放棄しようと思ってるから」

「どうして?」

「当選後、半年以内に移住なんてできないよ。だいたい、アメリカに行ったことないし」

「半年以内……」

「そうだよ。無理に決まってるだろ」

「そうかもしれないけど、とりあえず手続きはする方が良いわよ。せっかく当たったのに」

「そうだけど……」

 決められない。始業のベルが鳴った。

「またあとでね」

「ああ……」

 仕事しないと。

*****

「小川君の用事、なんだったの? え? 智子、泣いてるの?」

 エリカが、智子の顔を覗き込んだ。

「ううん、目にゴミが入って……」

「……ほんとね?」

「当たり前じゃない。だいたい、なんで私が小川君に泣かされるのよ」

*****

 まさか逆プロポーズされるとは。でももし真剣だったら、そう言ってもおかしくはない。俺は青木に対して真剣なのか? ずっと先延ばしにしていたことを決めないといけない時期が来ていた。

*****

 翌日、有給を取った。手続きに必要な役所関係のためだ。速攻同期から心配のラインが来た。病欠にして休んだから、山本には約束のデートも延期してもらった。前川とは何も言ってこないから、そのまま自然消滅を狙ってる。広瀬とうまくいってるようだしな。ラインの返事は、みんなには嘘をついて悪いと思ったが、体調不良に答えておいた。来週ももう1回休む。アメリカ大使館で面接だ。

 帰宅して母さんにグリーンカードのことを言った。びっくりされたけど、賛成してくれた。ついにパラサイトシングルから卒業か。うれしいようなさみしいような。でも行くことを決めれば、失うものは大きい。手続きはするが、行くと決めたわけではなかった。

 ラインを確認しても、青木から1通も来ない。この土曜は出かける予定だけど、この調子だとなさそうだな。ほんとに移住するなら、あと何回一緒に出掛けられるんだろう?

*****

 金曜日。恒例の焼き鳥屋。

「もう具合は良いの?」

 前川が聞いてきた。そうだ、仮病で休んだんだった。

「ああ、もう大丈夫だよ、ありがとう」

「大丈夫そうじゃないけどな」

 広瀬まで心配してくれてる。

「そうか? 元気だよ」

「なんか智子も元気ないし」

「2人、なんかあったんじゃないの……」

 山本が詮索してきた。

 俺も青木も何も言わなかったことが、余計疑われた。

「なんかあったのね? どうしたの?」

「どうもしないよ。気のせいだって」

 急いでつくろったが、青木は黙ってる。お前もなんか言えよ。

「カラオケ行くか、今日」

 とっさに俺は提案した。

「カラオケ?」山本が信じられないという顔をして答えた。

「そう、結構好きなんだけど、どう?」

「……いいけど」

 俺のこういう態度でみんなが余計疑い始めた。まずい。

「そうだな、たまには違うことするか」

 安西も賛成してくれた。ちょっと安心。

「じゃあさっさと食って移動するか」

 広瀬が残りを食い始めた。でも実はカラオケなんてやったことない。

*****

 駅前には2つカラオケボックスがあった。「Music 1」はまだ6人入れる個室があった。へー、これがカラオケボックスか。

「じゃあ、小川君から」

「え?」 なんで俺から?

「言い出した人からでしょ」

 山本は俺と青木の仲を疑っていて、それも俺が青木を悲しませてると思ってるようだ。

「わかった」

 洋楽の方から探して入力した。今日はもうしょうがない。

「クィーンの『ボヘミアンラプソディー』?」

 イギリスにいるときに兄貴が聞いてたから、よく一緒に聞いてた。でも歌うのは難しかった。

「発音は良いけど、下手すぎよね」

 前川の言ってる声が聞こえた。しょうがないだろ。

「この曲、難しいだろう。選曲ミスだな」

 広瀬にまで言われてしまった。

「次、誰?」

「じゃあ俺」

 広瀬が歌い、安西が続いた。どうやら男性陣は俺の味方らしい。

「女性陣は歌わないのか?」

 安西が聞いてくれた。

「っていうかさ、バレバレじゃない」

 山本が、いつもの酔った調以外でしゃべるのを初めて聞いた。

「何がだよ?」

 俺がムキになって答えた。

「この間、智子を呼び出してから、ずっと暗いし、あの時小川君が何か余計なことを言ったんでしょ?」

「余計なこと?」

「そうよ!」

「小川君は関係ないから」

 やっと青木がしゃべった。

「次、私が歌うわ」

 青木の後、女性陣も歌い始めてとりあえず落ち着いた。

*****  

 駅でみんなと別れて家までの道のり。俺だって今週は落ち込んでた。うれしいはずのグリーンカードなのに。

 青木からやっとラインが来た。

「明日会えるでしょ?」

「ああ、会えるよ」

「映画見に行かない?」

「いいよ」

 めっちゃうれしかった。俺はやっぱり青木に惚れてることを、認めるざるを得なかった。

*****

 青木と出かけるようになってから、結構映画は見てる。待ち合わせ場所に行くともう待っていた。昨日よりは元気そうに見えた。

「映画のタイトル聞かなかったけど、何見るんだよ?」

「これ」

 と指した映画の看板は恋愛ものだった。1人だったら絶対見ないジャンルだ。

 映画が始まった。長距離恋愛の話だった。青木を見ると、食いつくようにスクリーンを見ていた。俺もいい加減、覚悟を決めないと。邪魔しちゃ悪いと思ったが、青木の手を握った。青木がびっくりして俺の方を見た。俺は手を離して肩に手を回した。青木が俺の肩にもたれかかってきた。でも、青木が左手を俺の太ももに置いた。想定外の態度に、ドキドキして映画に集中できなくなった。一緒に出掛け始めて約5か月。初めて俺から働きかけてカップルらしいことをした。

 映画が終わったけど、見た気がしなかった。でもハッピーエンドだったことは覚えてる。

「腹減ったな。何喰う?」

「良かったらうちに来ない? 何か作るし」

 手作り料理、まだ食べたことないし気になった。それにあのキス以降、部屋に誘われるのを待ってる俺がいたのは確かだったが……

「……いや、それは遠慮しとくよ」

「どうして?」

「……お互い、つらくなるだけだと思うから」

「どういう意味?」

「来週、アメリカ大使館での面接が終わったらグリーンカードが出る」

「……行くのね?」

「ああ、行こうと思ってるよ」

「……私も一緒に行っていいんでしょ?」

「落ち着くまではだめだ」

「どうして?」

「当たり前だろ。知り合いもいないところで2人で行って、結局何もできなくて貯金だけ食いつぶして、帰国することになったらどうするんだよ」

「そんなこと、わかんないじゃない!」

「わかるよ。そんなに甘くない。特に俺は大学出てないし、アメリカみたいな学歴社会だったら苦労すると思う」

 青木は黙っていた。

「……落ち着いたら呼ぶから」

「……いつ?」

「できるだけ早く」

「じゃあなおのこと、今日うちに来て」

「……行かない」

「どうして?」

 俺のエゴかもしれないが、一線を越えたらもっと欲しくなるだろう、あのキスですら、同期がいたからあそこで踏みとどまったけど、ほんとは欲しかった。その時遠距離恋愛だったら、つらいだけだ。

「出発まで少しでも一緒にいたいじゃない」

「そうだけど、遠距離恋愛って、映画で見るようなもんじゃないと思う。どれだけの遠距離恋愛がハッピーエンドなのか」

「まるで渡米後、このまま別れるみたいじゃない」

「そうならない努力はするよ。でもお前だってほかに好きな奴が現れるかもしれないし、そのときはそいつのところに行けばいい」

「バカ!」

 そう言って青木は俺に平手打ちした。痛かった。

「帰る!」

 青木は振り向きもせず帰って行った。これで良かったのかもしれない。いつ呼べるかわからない約束に振り回したくなかった。

 周りの視線が気になった。公衆の面前で振られたバカな男に見えただろう。でも振るより振られる方がいいかもな。俺はそそくさとその場を去ったが、俺だって悲しかった。冗談で出した、家を出る口実のために応募したグリーンカード。当たるなんて思わなかった。でもそれで? 今のままだと失うものの方が多いが、青木を連れてはいけない。移住前に仕事が見つかれば話は別だが。

***** 

 帰宅してパソコンに向かった。アメリカのどこでもいいから仕事を探した。Resume? 履歴書か。英語でなんて作ったことがないが、テンプレートをダウンロードして見よう見まねで作ってみた。カバーレター? 志望動機か。一応、日英バイリンガルで大卒じゃなくてもいいところ……。あるにはあったが、この給料でやっていけるのか? 数社出しては見たが……。

*****

 月曜日、また病欠の振りをしてアメリカ大使館へ行った。無事に面接を終えた。後日、郵送で仮のグリーンカードが送られてくるそうだ。アメリカ入国時にその仮グリーンカードを見せて、移住後正式なものをもらうらしい。また、移住者用の有料サービスの説明も受けた。生活を早く安定させれるよう、サポートしてくれるらしいが、仕事探しも手伝ってくれるわけではなかった。とにかく、ビザ抽選も立派なビジネスなわけだ。結構な金額を取られるが、申し込むつもりで資料はもらってきた。

 また同期から心配のラインが来ていたが、青木からはなかった。

*****

 火曜日。憂鬱な気分で出社した。

「大丈夫か? まだしんどそうな顔してるぞ」

 広瀬がロッカーで声をかけてきた。確かにここのところ眠れない。

「大丈夫だよ」

 仕事に取り掛かった。

***** 

「智子、どうしたの? その目、昨日泣いたんでしょ?」

 エリカは女子更衣室で、智子に声をかけた。

「……実家で飼ってた犬が死んだって昨日、連絡あって……」

「何年飼ってたの?」

「私が短大で、東京に来る前からだからもう10年以上かな」

 犬の話は嘘だったが、昨晩泣いたのは本当だった。

「だから、ちょっとそっとしといてくれる? そんなわけで大丈夫だから」

「わかった……」

 エリカに嘘をついて少し罪悪感を感じたが、本当のことは言いたくなかった。

***** 

 仕事ではしょうもないミスで手を切った。痛かったけど、俺の心の痛みの方が大きかった。だから社内恋愛なんて嫌だったのに。でもはまってしまった俺がいる。なんとかしなくては。

***** 

 ロッカーで携帯からメールを確認した。1社からも連絡なし。そんなすぐには返事がないものなのか、やっぱりだめなのか。

「今日、メシ食って帰らないか?」

 広瀬に誘われたが、悪いが断った。仕事探さないと。

「なんだ、冷たいな。しょうがない、安西に聞いてみるか」

「ごめん、また今度な」

***** 

 フォートナイトもせずにひたすら仕事を探した。LinkedInのアカウントも作った。携帯をまめに確認してるが、青木からは何の連絡もない。俺もしてないが、次するときは仕事が見つかったときだ。そう心に決めて毎晩応募しているが、全くダメだ。



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