パラサイトマン

ノベルバユーザー549222

あの時のことを思い出した。

 金曜日。本来なら明日はフィットネスの日だが、安西がどうしても抜けられない用事があるということで、来週土曜になった。確かに運動不足だから、月2回は泳ぎたいと思ってるが、しょうがない。だから明日は青木と映画を見に行くことになった。まあ、いいか、と思ってしまうのが俺の悪いところ。

 「伊豆旅行?」

 いつもの焼き鳥屋で前川が提案してきた。

「そう、会社が契約してる観光旅館に、1泊2食付きで5,000円で泊まれるのよ!」

 そう言って前川はパンフレットを見せてくれた。和風旅館で温泉に海鮮料理……。ここが5,000円なんて、良い会社かもしれない。

「急で悪いけど、ドタキャン出たし、もう予約取ったから! みんな海の日の連休は開けておいてね」

 2週間後か。確かに予定はないけど、もう予約したなんて、気が早いな。

「2泊するから、現地で1万円と消費税、交通費とランチ代と雑費で行けるから、悪くないでしょ。ボーナス出るし、行けるよね」

「楽しみだなあ、同期旅行! 社員旅行ない分、余計楽しみ!」

 広瀬が浮かれてる。社内旅行よりはましだけど、同期旅行ね……。

「温泉で、露天風呂もあるし、リラックスしたいよね」青木と山本もうれしそうだ。

「温泉か、あんまり好きじゃないんだよな」

 俺の言葉にみんなが反応した。え? そんなに変? 正直、気が進まない。

「なんで? あんなに気持ちいいのに!」

「そうだよ、その後、海の幸を食べてビールだぞ!」安西まで反論してきた。

「でもさ、大浴場でってちょっと抵抗が……」

「銭湯に行ったことないの?」前川が聞いてきた。

「銭湯? ないよ」

「でも大浴場でお風呂に入ったことはあるんでしょ? 修学旅行とか」

「ああ、中高は行ったけど、風呂入らなかったし、小学校のは修学旅行前日に父さんが危篤で……」

 そうだ、学校で突然呼び出されて、病院に駆けつけたんだった。

「あ、ごめん……」前川が謝った。

 あの日に、父さんも母さんも嘘をついてたことを知ったんだ。父さんが治るなんて嘘だった。治ったら一緒にイギリスに戻る約束もしてたのに、父さんはあの日……!

「俺、帰る」

 俺はそう言って、財布から2000円取り出して机に置いた。

「え? 帰るって……」みんなが驚いている。

「つりはいらないけど、足りなかったら月曜請求して」

 逃げるように俺は焼き鳥屋を去った。

***** 

「どうしよう! せっかくここまで仲良くなれたのに!」

 めぐみは自分の気遣いのなさに自己嫌悪に陥っていた。

「小6でお父さんが亡くなったときが、ちょうど修学旅行だったのか」安西はため息をつきながらビールを飲んだ。

「ごめん! どうしよう!」めぐみは動揺していたが、智子もショックだった。社内で会っても、また人の顔もみない小川の姿は見たくなかった。

「あと2週間あるし、大丈夫よ。せっかく取れたんだから、キャンセルしないで」 

 智子が励ました。

「そうね、キャンセル待ちでやっと取ったし、なんとか連れて行きたいけど、ああ、自己嫌悪!」そう言ってめぐみはビールを一気飲みした。

「めぐみのせいじゃないわよ」エリカも慰めながらビールを飲んだ。

「俺、グループチャットルーム今作ったから。バラバラに説得するより、旅行の相談をチャットでやって、小川も一緒に行くつもりで話を進めよう」

 広瀬の提案で『同期伊豆旅行』チャット経由で旅行の相談をすることになった。

***** 

「あら、早かったのね。食べてきたの?」

「ああ、少しな」

 俺はそう答えて部屋にこもった。嫌なことを思い出した。当時、俺は父さんの病気を重くとらえてなかった。日本にその病気の名医がいるから、日本で治療ということしか知らされていなかったからだ。だから治ったらイギリスに戻れると思っていた俺は、学校で父さんが危篤だと知らされて信じられなかった。どうせイギリスに戻るんだから、と日本語の勉強も適当だったし、友達も作る気はなかった。家でも母さんに話しかけられても英語で返したし、兄貴とも英語だった。でもそんな俺にクラスメートは優しかった。『駄菓子』を知らない俺に、駄菓子屋に連れて行ってくれたし、国語の宿題も見せてくれた。でも俺の居場所は日本じゃないと思ってたのに、俺は日本で暮らさないといけなくなってしまったこともショックだった。母さんが心配させないために、嘘をついてたのはわかってる。おそらく兄貴も知らなかったはず。でも守れない約束はすべきではない、たとえ親であっても。

 ラインチャットが鳴っているけど、見る気はなかった。

***** 

 土曜日。玄関のインターホンの音が聞こえた。何時だろ? 時間見る気もない。俺はまだベッドにいた。昨日はフォートナイトもせずにふて寝をした。あの時のことを思い出していたからだ。ヒースロー空港で見送りに来てくれたケビンとトーマスは大泣きだったから俺も泣いたけど、今思えば、母さんが二人の両親には本当のことを話してたから、あの二人は知ってたはず。『どうせイギリスに戻ってくるんだから、俺はどっちかの家で待ちたい』と言ったけど、ダメだと言われたのは戻ることなどなかったからだ。

 母さんが俺の部屋をノックして言った。「幸雄、青木さんが見えてるわよ」

 青木!? あ、今日映画に行く約束してたんだった! すっかり忘れてた。おれは急いで着替えて、下に降りたら、青木が父さんの仏壇に手を合わせていた。

「あ、ごめんね」

「いや、いいよ。線香まであげてもらって……ありがとう」

「大丈夫?」

「大丈夫だよ、ごめん、すっかり忘れてた。前売り買ってたんだっけ?」

「うん、でも別に時間指定じゃないから大丈夫よ」

 母さんがお茶を持ってきてくれた。

「ありがとうございます、いただきます」

「何やってるのよ、幸雄は。30分待っても来ないからって、様子を見に来てくださったんだからね」

「あ、ごめん、ラインも見てなかった」

「うん、既読になってなかったものね」

 母さんが客間から出てふすまを閉めたから、2人だけになった。

「今日、別に映画行かなくても良いんだけど、ちょっと心配だったから寄らせてもらったの」

「ああ、ありがとう。幾らだった?」

「え、何が?」

「焼き鳥だよ」

「ああ、小川君は何も食べてないから払わなくていいわよ。それに小川君が残したウーロンハイはエリカが飲んだし」

 そう言って青木が2000円返してくれたが、なんだそれは?

「山本が俺の飲み残しを飲んだ? 何考えてんだよ?」

「間接キスだって」

 バカか、あいつは? バカはほっておこう。俺は2000円を青木に返した。

「これはじゃあ、次回の足しにして」

「じゃあ旅行のおつまみ代に足すわね」

「旅行に行くって決めてないんだけど」

 俺が帰ったあと、雰囲気が悪くなってなければいいが……。

「めぐみがショック受けちゃって」

「そんな、前川のせいじゃないよ」あとで謝らないと。

「話したくなかったら言わなくてもいいけど、どうしたの?」

「……修学旅行前日に父さんが亡くなったんだけど、死ぬなんて思ってなかったから、すごいショックで……」

 青木が優しい目で俺を見つめていた。

「親と言えど、安心させるために嘘なんてついたらだめだよな。治ったらイギリスに戻ろうって言ってたくせに……」

「お父さんは嘘なんてついてなかったと思う。本当に治すつもりだったからそう言ったんだと思う」

 青木……。 良い奴だな、お前って。

「でも小6の子供には、助からない可能性があることは言えないわよね。だから結果的に嘘をついたようになったけど、絶対そんなつもりはなかったと思う」

 そう、わかってるんだけど……

「それに、俺、日本で暮らしたくなかったから、これでイギリスに戻ることもないって思ったら、人生絶望しちゃって」

「そんな!」

「日本語できなかったし、その後、1か月も学校休んだし」

 俺だけ行かなかった修学旅行の話なんて聞きたくなかったし、写真も見たくなかった。

「そうだったのね……」

 そう言って青木が俺の手を握った。暖かい……、やばい……。青木がそっと俺の頭を触った。俺は青木の肩にもたれて、泣いてしまった。いい香りがする。シャンプーなのか、香水なのか……。

***** 

「俺が泣いたって誰にも言うなよ」ああ、恥ずかしい。

「言わないわよ! だいたい今日、家に行ったことも誰も知らないのに」

 最近、カッコ悪い姿ばっかり見せてるな。花やしきもそうだったし。

「……でも、だからグリーンカードに応募したの?」

「そういうわけじゃないよ。中学入ってからあきらめて日本語も勉強したし、グリーンカードは単に好奇心だよ。家を出る口実も欲しかったしな。だいたい、アメリカはまだ行ったことないよ。ただ、東京は住みにくいとは思ってる」

「伊豆は良いところよ。行ったことある?」

「ないけど、良さそうだな」

「旅行用のグループチャットも作ったし。あ? グループ名が変わってる」

「『小川君を伊豆に連れて行く会』? なんだよ、それ」

「昨日は『同期伊豆旅行』だったけど、でも小川君が行かないならキャンセルになるから」

「え? じゃあ行くよ」しょうがないなあ。

「じゃあチャットにそう書いてよ。みんな喜ぶから」

「わかった」

 俺はそう言って「昨日はごめん、旅行行くよ」と書いたら、即「良かった」とか「Yes!」のスタンプが出てきた。

「ありがとう」

 青木がにっこりと笑って言った。

「映画行くか」

「いいの?」

「いいよ、今日は俺がおごるよ」

「ほんと? じゃあ行ってみたかったフランス料理の……」

 フランス料理? おごりだと思って高い店言いやがって。でも食ったことないから行ってみたい気はする。

「予約するね」

 はやっ! じゃあもうちょっとましな服に着替えるか。

*****

 これで映画が悲劇だったら、また泣きそうだったが、ラブロマンスコメディだった。 

 気を遣ってくれたのか、そこまで高い店ではなかったが、庶民の俺には特別な時以外は縁がなさそうなレストランだった。入口からして高級そう。花が飾ってあったが、それも立派な壺にだったし、インテリアも天井高くて昔のヨーロッパの城のような感じだった。

「ここって人気なのか?」

「そうみたいよ、テレビに出てたし」

「そうなんだ」

 一応、Gパンはやめたし、シャツにしたから襟もあるし、良いだろう。暑いからさすがに上着なしでOKだったようだ。

 メニュー見てもどんな料理かいまいちわからんが、好き嫌いはないから大丈夫か。

「ワインとか飲んでも良いけど、俺は飲まないからグラスワインにして」

「ビールにするから、大丈夫」

 なんかこういう上品なレストラン、さっき見た映画でプロポーズしてたな。

「乾杯」

 青木はビールで、俺はオレンジジュースで乾杯したが、何に? まあいいか。さっき泣いたせいもあって、恥ずかしくて青木の顔が見れないな。

「伊豆は海水浴もできるし、楽しみね」

「ああ、そうなんだ。水着買わないとな」

「そうね、競泳用はないかもね」

 ……沈黙。話題探さないと。

「そういや、誕生日っていつ?」

「2月19日。小川君は?」

「11月25日」

 今日のお礼に誕生日に何かをと思ったが、俺の方が先か。

「プレゼント、くれるんでしょ?」

「お前がくれたらな」

「もちろんよ! 何が良いかな」

 同期の中で1番安心できるのは青木かもな。他の奴らが家に来てたら、話さなかったし、泣かなかったと思う。

「お写真を撮りましょうか?」

 ウェイターが話しかけてきた。

「ああ、そうですね、じゃあ記念に」

 俺も青木も携帯を渡した。何の記念? まあいいか。

***** 

 さすがに旨かった。安くなかったけど、まあいいさ。

「今日はありがとう」

「こちらこそありがとう、じゃあまたな」

 俺は最寄り駅で降りて青木の乗った電車を見送った。旅行、ちょっと楽しみかも。水着、買わないとな。



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