病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その48
・・・どうするべきなのだろう。
ここまできて、僕もまた、迷ってしまった。
いや、迷うも何もないのだ。僕のやるべきことはただ一つ。
莉々ちゃんを『海沿保育園』へ引き戻すこと。それしかない。
ただ・・・無駄だと分かっていても、他の選択肢を考えるとするならば。たとえば、「莉々ちゃんを諦める」という選択肢。
これは・・・まあ、無理だろう。
ここまできて諦めるというのは、純粋に勿体ないと思うし、彼ら・・・疫芽たちと戦ったことが無駄になってしまうのも御免被る。
何より、氷田織さんのことがある。
そもそも、僕がこうして莉々ちゃんを取り戻しに出向いてきたのは、氷田織さんに脅されたからなのだ。
「戦え」と。
「生きるために戦え」と。
そう、諭されたからなのだ。
この場合の「戦え」というのは、=で「莉々ちゃんを連れ帰れ」という意味でもあるはずだ。ならば、やるしかない。失敗して、氷田織さんに殺されるつもりはない。無事に『海沿保育園』へ帰るためには、やるべきことをやるしかないのだ。
もしくは一旦、話し合いを中断するという選択肢もある。この場で結論を出さず、『海沿保育園』や『シンデレラ教会』の他の面々も交えて、交渉をやり直す。
・・・正直、そうしてしまいたい。
こんな交渉は、誰かに丸投げしてしまいたい。
しかし・・・これも難しいだろう。きっとこの取引は、もうそんな段階ではないのだ。お互いが腹を割って話し合えば丸く収まる、というような話ではない。
『シンデレラ教会』は最初から暴力的な手段を用いているし、こちら側も『シンデレラ教会』のメンバーを一人、殺してしまっている。つまり戦いは、もはや終盤なのだ。こんな状況で、まともに交渉が成立するはずがない・・・。僕らは随分と前から、話し合いの可能性を捨ててしまっていたのだ。
・・・他には、どんな選択肢があるだろう?なんて考えたところで、なにも思いつきはしなかった。
いや・・・僕はもはや、思考を放棄していたのかもしれない。機桐父の話が終わった時点で、僕の気持ちは固まっていたのかもしれない。
もう、たくさんだ。
そろそろ、終わらせよう。こんな不毛な話し合いは、これ以上続けたくない。
機桐父の気持ち?
そんなものは、知ったこっちゃない。
莉々ちゃんの意志?
そんなものは、もうどうでもいい。
僕は、早く帰りたいだけだ。無事に生き残り、無事に『海沿保育園』へと戻り・・・布団の上で、ゆっくりと体を休めたいだけだ。
だから、終わらせよう。こんなことは。
僕は正義の味方でもなければ、少年漫画の主人公でもない。目の前で項垂れる男に、優しい言葉なんてかけてあげられないし、莉々ちゃんや、他の『シンデレラ教会』の面々の気持ちを汲んであげることもできない。
ただただ、自分の都合しか考えていない、冷酷な奴だ。
その辺にいる、何の変哲もない、普通の人間だ。
都合の悪いことは無視して、スピーディーに事を収めよう。氷田織さんの言葉を借りるならば、「雑用は、さっさと済ませるに限る」だ。
「機桐さん」
と、僕は呼びかける。
「機桐さんの気持ちは・・・よく分かりました。痛いほどに」
嘘だ。
僕は、他人の心を慮るような優しさを、持ち合わせてはいない。
「でも・・・同じように、莉々ちゃんは僕らにとって、大切な仲間なんです。彼女に何度も助けられました。これからも、彼女と一緒に生きていきたい。他のメンバーも、同じ『病持ち』として、仲良くやっていきたいと、強く思っているはずです」
嘘。
嘘。嘘。嘘。
僕の言葉は、目の前の男が語った純粋な言葉とは、正反対だ。
嘘まみれ。
誠実さなんて、欠片もない。
「だから、莉々ちゃんは連れて帰ります。大人しく引き渡してくれないというのなら、この屋敷中を、草の根わけてでも探します。暴力的な手段を用いることも、躊躇いません。無理にでも、引きずってでも、莉々ちゃんは連れ帰ります。それが、僕の結論です」
一息に、僕は言う。
「だから、一度だけお願いします。何度も言うつもりはありません。どうか、大人しく莉々ちゃんを渡してもらえませんか?」
僕は返事を待った。
なんとかこれで終わってくれないだろうかと、微かな希望にしがみついて。
待った。
だが・・・いつまでたっても、返答はなかった。機桐孜々が、顔を上げることはなかった。
もう十分だ、と僕は思った。
交渉は決裂した。話し合いは終結した。もう、彼と話すことは何もない。
あとは氷田織さんと合流し、莉々ちゃんを見つけ出し、そそくさと帰るだけだ。
僕は立ち上がる。結局、お茶には一度も口をつけなかった。
祭壇を降りようと、僕は背を向ける。
□ □ □。
その音をなんと表現すればいいのか、僕には分からなかった。そんな音は人生で初めて聞いたし、そんな痛みは、人生で初めて感じた。
分かったことはただ一つ。
撃たれた。
銃声。鳴り響く銃声と共に、僕は、背中から撃たれていた。
(・・・そっか。あまりにも痛いときって、声も出ないんだな・・・)
混乱する頭のまま、とにかく敵から離れようと、テーブルや椅子、急須やら湯呑みやらを巻き込みながら、僕は祭壇から転がり落ちた。その間に、さらに二発三発と、僕の体には銃弾が撃ち込まれる。
結局、こうするのか。
あれだけ誠実に頭を下げておきながら。純粋に、莉々ちゃんのことを語っていながら。
話し合いが上手くいかなければ、最終的にこうするつもりだったのか。何が、君たちを殺さずに済んだ、だ。殺す気まんまんじゃないか。
勢いよく、床に叩きつけられる。同時に転がり落ちた急須や湯呑みが割れたら危険だと思ったが、まったく割れていない。さすが、高級な器は、生半可なことで割れるようにはできていないらしい。
だが・・・今は、そんなことに感心している場合ではない。
朦朧とする頭のまま、僕は機桐父の方を見ようとした。僕に銃口を向ける、敵の顔を捉えようとした。
上手く不意打ちを決めることができ、勝ち誇った顔をしているのだろうか?
莉々ちゃんのことを諦めようとしない僕に対し、憤怒の形相を向けているのだろうか?
それとも・・・ただただ無表情に、無感情に、最初からそうすることを決めていたかのように、僕のことを撃ったのか?
違った。
何もかも、違った。
彼は・・・・・・泣いていた。
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