病夢(びょうむ)とあんぱん

ぢろ吉郎

病夢とあんぱん その45



 数分後、僕はテーブルを挟んで、「ご当主様」と向き合っていた。
 「お茶にしよう」と提案した彼は、祭壇に、テーブルと椅子、急須、湯呑みを用意してくれたのだ。
 ・・・過剰なほどに、おもてなしをされている。殺し合いになるかもしれない、と予想していたのが馬鹿みたいだ。
 ちらりと、彼が用意してくれた急須と湯呑みに目を向ける。
 ・・・とても高級で、重厚感溢れる急須と湯呑みだ。
 屋敷の外観に反して、内装はそれほど着飾っている様子はなかったので、日用品は普通のものを使っているのかと思いきや・・・予想が外れた。
 こんな湯呑みでお茶を飲んだら、さぞかし美味しいんだろうな・・・。やはり、高そうな器は、中身のお茶まで高級そうにせる。
 まあ、飲むわけにはいかないのだが。


「・・・毒なんて、入れてはいないよ」


 彼は苦笑を浮かべながら、僕にお茶を勧めてくる。


「いや、そんなこと言われても・・・信じられませんよ」


 誘拐犯に出されたお茶なんて、どんなに美味しそうでも、飲むわけにはいかないだろう。飲んだ瞬間にぽっくり逝ってしまったら、たまったもんじゃない。


「美味しいお茶なんだけれどねぇ・・・」


 彼は悲しそうに肩をすくめながら、お茶をすする。その姿が随分、さまになっていた。教会の中で日本茶を飲むなんてミスマッチもいいところだが、そんなことは気にならないほどに様になっている。


「で?今更、何を話し合おうっていうんです?僕への謝罪はもう結構ですから、話を前に進めましょう」


 お茶をかたくなに断りながら、僕は促す。


「・・・そうだね。その通りだ」


 お茶を飲んでもらえないのを心底残念に思っているのか、少しトーンの落ちた声で、彼は言った。


じま君とやく君は・・・無事、かな?君たちのところへ送り出してから、連絡がつかなくなってしまってね。彼らがどうなったのか、教えてもらえるとありがたいんだけれど・・・」
「・・・あの二人がどうなったかは、分かりませんよ。戦いの後、姿をくらませてしまいましたから。その後どうなったのかは、僕らには分かりません」


 これは半分、嘘だ。
 確かに、あの疫芽という男は戦いの後、どこかへ姿をくらませているが、もう一人の詩島という男は氷田織さんに殺されている。おりさん自身がそう言ったのだから、まあ間違いないだろう。
 だが、正直に言うわけにはいかない。
 「あなたの仲間は、僕たちが殺しました」と、率直に言う馬鹿はいないだろう。


「そうかい・・・。あの二人には、本当に悪いことをしてしまったな・・・」


 僕の嘘を見抜いているのか、いないのか、彼はそんな風に呟いた。この人なりに、彼らについて、何か思うところがあるのだろう。
 しかし、今、話すべきは彼らのことではない。
 話したいことは、別にある。


「それよりも今は、ちゃんのことでしょう?」


 僕は、話を促す。


「そもそもあなたたちは、どういう意図で莉々ちゃんをさらったんです?『じょうやまい』を利用しようとしているのかと、僕らは考えていましたが・・・違うんですか?」
「・・・違う、とは断言できないかな。そういう意図がまったくなかったと言えば、嘘になってしまうからね・・・。ただ、違う、とここでは言い切らせてほしい」


 まっすぐと僕を見ながら、彼は語った。


「私たちは、莉々の『病』が欲しいと思ったわけではないんだ。欲しかったのは莉々自身・・・莉々を、取り戻したかったんだ」
「取り戻す・・・?」


 どういうことだ?
 取り戻しに来たのは、どちらかといえば、僕らの方だと思うが・・・。


「いや・・・取り戻したい、なんて、本当はおこがましいにも程があるんだけれど・・・」
「どういうことなんです?莉々ちゃんは昔、ここにいた、ということですか?だから、取り返そうと?」
「ふむ・・・。そうだね、すまない。説明の順番が悪かった。遅ればせながら、そろそろ自己紹介をさせていただこうかな」


 男は微笑む。
 そして、僕は知ることになる。
 その男の正体を。
 目の前にいる男と、莉々ちゃんの関係性を。
 彼は確かに。
 「取り戻したい」と言っていい立場の人間だったのだ。


「私は機桐はたぎり。『シンデレラきょうかい』のリーダーであり・・・機桐莉々の父親だよ」


 一瞬、笑顔が曇る。


「どうしようもない、父親だ」
「・・・・・え?」


 父、親?
 この人が?
 莉々ちゃんの、父親?


「・・・冗談、じゃありませんよね?」
「もちろん。嘘なんかじゃないさ。なんなら、書類やら記録やらを駆使して、証明したっていい。正真正銘、私はあの子の父親だよ」
「・・・・」


 じゃあ、証明してください。とは、さすがに言えなかった。
 ハッタリ・・・ではなさそうだ。嘘をついているとは思えないほど、まっすぐに堂々と、彼は語っている。


「『お父さんに虐められた』と、言っていました」。


 沖さんのセリフが想起される。ならばこの人が、莉々ちゃんを「虐めた」父親なのか?
 ・・・あまり、そうは見えないが。
 表面的には優しそうでも、家庭内では厳しい父親であるというパターンも、もちろんあり得るけれど・・・。


「ちょうど、一年ほど前だったかな・・・」


 機桐父は、懐かしい記憶を思い出すかのように、目を細めた。


「莉々は、家を出て行ってしまった・・・。莉々は、何も悪くないんだけれどね。私が接し方を間違えてしまったせいで、莉々は居場所を失ってしまったんだ・・・」
「・・・じゃあ、あなたは、一年前に出て行った娘を、無理矢理連れ戻そうとしたんですか?それが、親のやることなんですか?」


 と、僕は知った風なことを言う。
 僕には親がどうあるべきかなんて、知るよしもない。僕は親ではないし、親になりたいと思ったこともない。むしろ、子育てなんて面倒だとさえ、思ってしまう。
 我ながら、人間味のない奴である。
 だから、こんなことを言うのは、ただ単に、莉々ちゃんを返してもらえそうな流れに持っていくためでしかない。親の罪悪感につけこんで、大切な娘を奪おうとしているのだ。
 ただの悪人である。
 まあ・・・仕方ない。
 そうしないと、僕は帰れないし。


「・・・君の言う通りだよ。こんなことは、本当は、親のやることじゃないのかもしれない」


 しかし、機桐父は、僕の言葉をまっすぐに受け止める。
 ただただ純粋に、娘のことを思う。
 ただひたすらに。


「親のやることじゃないし、私はもう、親を名乗る資格はないのかもしれない・・・。ただ・・・お願いだ。いや、お願いします」


 彼はおもむろに椅子を下りると、床の上へと座りこんだ。


「どうか・・・」


 腕を床にぴったりとつけ、額を床に合わせる。
 つまり。
 土下座の態勢である。


「どうか、娘を・・・莉々を、私に返してください」





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