病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その37
「・・・は?おい!待ちやがれ!」
もちろん、待たない。
真正面からぶつかり合って、勝てるわけがないだろう。
喧嘩は苦手なんだってば。
粒槍伝治との戦いのときのように、不意打ちで相手の裏をかくことくらいでしか、僕の勝機はない。
そういうわけで、僕は逃げる。全力で。
とはいっても、建物の外に出ようとしているわけではい。入口までは距離が遠すぎるし、そもそも外に出てしまえば隠れる場所が少ないので、不意打ちをお見舞いするのは難しい。
だから、目指すはビルの二階へ続く階段だ。二階へ行けば、隠れられる部屋の一つや二つあるだろう。
しかし、そう上手くはいかなかった。
階段まで到達し、上ろうと足をかけたときだった。
僕の足元に、ナイフが飛んできたのだ。
一瞬、ショッピングモールで狙撃されたときのことを思い出しゾッとしたが、正確にはナイフは「飛んできた」のではなかった。
いや、そもそもナイフではなかった
「ちっ・・・」
という小さな舌打ちを耳にし、軽く後ろを振り返る。疫芽はまだ、それほど近くまで迫ってきてはいなかった。
それだけ、不意をつけたということだろうか?
そして、その手元。疫芽の右手に、ナイフは握りしめられていた。
僕と疫芽との距離分の長さのナイフを、握りしめていた。刃渡り数十センチなんてものじゃない。僕の身長の倍以上もある大太刀が、階段に突き刺さっていた。
一瞬驚いたが、それでも怯まずに階段を駆け上がりながら、僕は考える。
あんな長さの刃物を、彼はさっきまで持ってはいなかった。どこかに隠していたという線もないだろう。あんな大太刀を、一体どこに隠すというんだ?
全力で逃げれば、階段を上るのはあっという間だった。
すぐ近くにあった扉を壊すくらいの勢いで開き、中に飛び込む。
部屋の中はオフィスのような形状になっていた。椅子や机がきちんと並べられており、このビルが正常に機能していた頃には、多くの人がここで仕事をしていたのだということを表していた。今となっては、机も椅子もボロボロだが。
ひとまず一台のテーブルの下に滑り込み、身を潜める。
(さっきの大太刀。あれは一体なんだ?)
しばし息を整えながら、思考を進める。
彼が実はマジシャンで、体内からあの大太刀を取り出したのだろうか?・・・そうだったら、どんなに平和的か。
おそらく、彼の持つ『病』による「何か」なのだろう。
(高身長が『病』の影響だと言っていた・・・。何か、関係があるのか?)
たとえば、物の長さを変えることができる『病』・・・とか?もし、そうだとするなら、かなり厄介だ。近づきようがない。
いや、近づくことができたとしても一発で仕留めきれなければ、逃げ切ることができず、あの大太刀の餌食になってしまう。
(それにしても、遅いな・・・)
大太刀による攻撃を外した後、すぐさま僕を追ってくるかと思ったが・・・なかなか部屋に入ってこない。
何をしている?
扉は開きっ放しになっているので、僕がどこに逃げ込んだのかは一目で分かるはずだ。「扉が開きっぱなしになってやがる。馬鹿な奴だな」と油断して入ってきたところに、不意打ちを当てるつもりだったのだが・・・。
しかし。
僕は間違いなく、追い詰められていた。
疫芽は暢気に僕を探していたわけではなかったのだ。むしろ、暢気なのは僕の方だった。
バリン!
と、窓が派手に割れる音が聞こえ、そちらを振り向く。
「よいしょ、と・・・」
という掛け声とともに、疫芽は軽々と二階へと侵入してきた。
え?
なぜ二階に、そんなに簡単に侵入出来るんだ?
しかし、そんな疑問を持っている場合ではない。
マズい。
僕が隠れた机は、部屋の入り口側からは死角になる。
だが。
窓側からは、丸見えなのだ。疫芽から見れば、マヌケに身を屈めている、格好の獲物だ。
僕が机から飛び出すのと、疫芽が手近にあった窓ガラスの破片を僕に向けるのは、ほぼ同時だった。
「!」
今度は、その現象を捉えることができた。
窓ガラスの破片は、僕に向かって、とてつもないスピードで伸び始める。
植物の成長をハイスピードカメラで見ている、なんて比喩では間に合わない。
弾丸のようなスピードだといってしまってもいいかもしれない。
「くそっ・・!」
反応が遅れ、ガラスは僕の肩を掠める。
やはり、彼の『病』は物の長さを変えることができるのだ。
さっきの大太刀も、もともとは短かったナイフか何かを引き伸ばしたのだろう。
と、考察している場合ではない。
疫芽はもう一方の手でも窓ガラスを掴み、僕の方へ向けた。
が、これには何とか対応する。手近にあった椅子を疫芽に向かって投げつける、という形で。
物を伸ばせるといっても、その太さは変わらないのだ。
つまり、薄い窓ガラスは薄いまま。
椅子にぶつかった窓ガラスは、粉々になる。そして、疫芽は椅子をぶつけられないよう、身を躱す。
対して、僕は椅子を投げつけると同時に、部屋を飛び出していた。
駄目だ。
やはり、向こうのリーチがありすぎる。まともに戦っても、距離を詰めることができない。
僕はもう一度、階段を駆け上る。
特に作戦はない。しかし、今は彼から離れなければ。
外から見た感じ、このビルは三階立てだった。だが、今度は三階で立ち止まったりはしない。そんなことをしても、さっきの繰り返しになるだけだ。
「はぁ・・はぁ・・」
と、息を切らせながら、僕は屋上に出た。
普段、階段を駆け上がったりしないので、これだけでも息が切れてしまう。体力がなさすぎだ。
予想通り、屋上には何もなかった。隠れる場所も、逃げる場所もない。完全に追い詰められてしまった。
しかし、何とかしなければ。
ここで決着をつけるしかない。これ以上は逃げられない。残念ながら、屋上から飛び降りて無事でいられる自信は、僕にはない。
「ふぅ・・・」
と、大きく深呼吸をする。
余裕だろうと追い詰められようと、正々堂々と戦う、という選択肢は僕にはない。
そんなの、勝率ゼロパーセントだ。
やはり、不意打ちしかないのだ。
僕は懐から、沖さんから貸してもらった折り畳み式サバイバルナイフを取り出す。僕の武器は、これだけだ。これで何とかするしかない。粒槍のように電子機器を操ることも、疫芽のように物の長さを自由自在に変えることもできない。このナイフ一本で、切り抜けるしかないのだ。
何とか・・・なるのだろうか?
と、しかし、ナイフを取り出すときにもう一つ、別の物を懐に忍ばせていたのに気付いた。
信条さんのアドバイスに従って、炉端さんから借りてきた、自害用爆弾。
「戦うことにも、生き残ることにも嫌になったら、そいつで自殺しろ」
信条さんの言葉が、嫌でも思い出される。
(・・・やっぱり、死にたいなんて思えないな・・・)
首を横に振り、爆弾を再び内ポケットに戻す。
死ぬのなんて、嫌だ。怖い。
僕は生きたい。
ナイフをギュッと握り締める。
少し、手が震えるのを感じた。
もちろん、武者震いなんかじゃない。
殺されてしまうのかもしれない。僕は、ここで死ぬのかもしれない。
ただただ恐怖で、体が震えた。
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