病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その24
「・・・あなた自身はどうなんです?」
唐突に、柳瀬は問い掛ける。
粒槍が予想もしていなかった疑問を、投げかける。
「うん?」
「さっき『俺たち』なんて言ってましたけど、あなた自身も恐れてるんですか?『病』が知られることとか、死ぬことを」
「そりゃそうさ。誰だって、死ぬのは怖いだろう?」
「じゃあ、なんでそんなに大人しくしてるんです?」
「・・・は?」
粒槍は気の抜けた返事を返す。柳瀬の言葉が聞こえなかったわけではない。その質問の意図が、分からなかったのだ。
こいつは、何を言おうとしている?
「意味が分かりませんよ。死ぬのが怖いとか言っておいて、あなたは大した抵抗もしていない。足を刺され、組み伏せられたくらいで、死を受け入れている。足掻いたりしない。本当は死ぬことなんて、怖くないんじゃないですか?もういいや、とか思ってるんじゃないですか?」
意味が分からない、と柳瀬はもう一度呟き、頭を振った。
「あなたに刺された左肩、滅茶苦茶痛いですよ。正直、本当に限界です。あなたを押さえつけるのも、やっとって感じです。でも、僕は死にたくない。どんな痛みよりも、死ぬのが怖い。あなたと違って、僕は絶対に生き残りたいんです」
「・・・・今、この局面を切り抜けられても、別の追手が君のことを殺しに来るかもしれない。もっと苦しい戦いになるかもしれない」
それはもしかしたら。
死ぬよりも、何十倍も辛いかもしれない。
「それでも、君は生き残りたいのか?」
「生き残りたいんです。死ぬより辛いことなんて、きっと僕にはない」
柳瀬はコミュニケーションが得意な方ではない。よって、この挑発ともいえるセリフで粒槍を怒らせてしまったとしても、それは柳瀬の自業自得といえるだろう。
しかし、そのセリフに、粒槍が激昂するということはなかった。
図星だったのだ。
粒槍も、もちろん死にたいと思っているわけではない。だが、ここまで追い詰められ、もう助からないと諦めていたのも事実だった。
「失敗続きで、これ以上組織に迷惑をかけられない」。
「ここまでやったんだ、もういいだろう」。
そんな風に言い訳をして、あっさりと自分の命を投げ出そうとしていた。
口では「死ぬのが怖い」とか言っておきながら、生きようとしていなかった。
思えば、粒槍が柳瀬を殺そうとしていた理由だって、勝手なものだった。
「組織の人間を守るため」。
これはもうどうしようもない。そうしなければ、自分たちの命が危ないのだ。この理由は変えようがない。
しかし。
「早く殺してあげなければ、もっと苦しい思いをするから」。
この理由は、完全に粒槍の独りよがりだった。
死ぬより辛いことが世の中にある、だなんて。
勝手な理由で命を決めつけていた。
その程度の決意で、他人の命を、自分の命を。
奪い取ろうとしていた。
だが、柳瀬も、粒槍に反省をさせるためにこんなことを言ったわけではなかった。そんな思いやりは、残念ながら柳瀬の中にはない。
だからこれは、柳瀬がこれからしようとしていることの理由説明でしかないのだ。
柳瀬優はとにかく、自分が生き残れる可能性の高い行動を選ぶのだ、ということの裏付けでしかない。
「あなたは殺しません」
「・・・・殺さない?絶対に生き残るんじゃなかったのか?そのためには、俺の命を奪う覚悟だってあるんだろう?」
「殺したところで、他の追手が来る可能性があるんでしょう?それなら、殺す意味がない。あなたを生かす代わりに、お願いがあるんです」
「お願い?」
「お願いです。あなたの組織やら集団やらの『上の人』に、僕を殺さないように口添えしてほしいんです。僕はあなたたちのことを口外するつもりはないし、殺すつもりもない。だから、頼むから、僕を殺そうとしないでほしいと、説得してください」
「・・・言ったところで、上の人間は聞く耳を持たないかもしれない。逆に、俺が『あいつは危険な奴だ』と進言してしまえば、どちらにしろ追手は来るだろう。その可能性を、君は考慮しているのか?」
「考慮してますよ。でも、それなら、あなたを生かしておくメリットの方が大きい。殺せば、確実に追手は来る。殺さなければ、追手が来ない可能性もある。それなら、後者を取った方がいいでしょう?」
そう言いながら、柳瀬は突きつけていたナイフを懐にしまい、立ち上がった。
粒槍は立ち上がれなかった。右足の傷がかなり深かったのだ。そう簡単には立ち上がれない。
こんなのは得とか、損とか、その程度の話だ。
柳瀬が、人の殺し方を知らなかったというのもあるが。
情けとか、正義感とか、そんな大層な話ではない。そんなものは彼らの間にはない。
生きようとする男、柳瀬優と。
『感電死の病』の男、粒槍伝治の。
ただの、命を賭けた交渉だった。
「・・・・・・もう少し、生きてみるか」
柳瀬が去っていった後、粒槍は組織に連絡した。
失敗したことを情けなく平謝りし、何とか助けてもらえるよう、必死になって懇願した。
かくして粒槍伝治は、もう少しだけ生きることになったのだ。
こうして、彼らの戦いは。
生き汚く、後味も悪く、清々しさなんて欠片もない彼らの戦いは。
どちらも死ぬことはなく、『傍から見れば』、とても平和的に決着したのだった。
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