病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その66



「いやしかし、君が『白羽しらはね病院』に所属することになるとはねぇ」
「・・・・・・・」
「正直、こんな展開は予想していなかったよ。何が起こるか分からないから、生きているのは楽しいよねぇ?やな君」
「・・・・・・・・」
「それに、さっそく院内で活躍しているようだし・・・・・・って、聞いてるかい?」
「・・・・・はい」


 パン屋「レトロブレッド」の喫食コーナー(真夏の暑さのせいで屋内の席は空いておらず、テラス席である)で、砂糖とミルクを大量に溶かしたコーヒーをすする男に、僕は渋々と返事を返した。
 おりほとり
 『海沿かいえん保育園』のメンバーであり、僕がこの業界に入るきっかけになった人間の一人だ。相変わらず両手にバイク用グローブをはめ、死ぬほど甘いであろうコーヒーを涼しい顔で飲んでいる。


「おっと、聞いていてくれて良かったよ。この暑さのせいで、頭でもやられたのかい?折角こうして久し振りの会話だというのに、随分と呆けた顔をしているじゃないか、柳瀬君」
「・・・あなたと意気揚々と話せるほど、僕は肝の座った人間じゃありませんよ」
「そうかいそうかい。相変わらずみたいだねぇ、君は。安心したよ」


 氷田織さんは満足げに微笑みながら、アップルパイを口へと運んだ。
 こちとら一瞬だって安心なんて出来ないというのに・・・。


「それで?要件は何なんです?こんな手紙まで寄越して」


 僕は、院長から手渡された水色の封筒をテーブルの上に置いた。彼女の言う通り、僕はこの手紙の差出人が誰なのかは見当がついていた。ただ、その差出人がこともあろうに氷田織さんだというのだから、僕としては辟易へきえきしてしまう。
 やってられない、というものだ。
 この人との会話に応じたところで、ロクなことがない・・・・・かといって無視してしまうと、何をされるか分からない。そうして苦悶した結果が、今の状況である。
 そういえば以前にもこうして一度だけ、この人と食事をしたことがあった。
 粒槍つぶやりと、正体不明の狙撃手に襲われた・・・・・あの時だ。


「ふむ。まずは、暗号解読おめでとうと言うべきだろうねぇ。まさか、きちんと今日中に来てくれるとは思っていなかったよ」
「暗号・・・にしては雑ですよね、これ。見る人が見れば、案外簡単に答えが分かってしまうんじゃないですか?」


 ケッセンノシンデレラ。
 フルキヨキパン。
 グローブ。


 差出人が氷田織さんだと分かってしまえば、ある程度は察しがついてしまう暗号だ。後はこれが「お知らせ」や「伝達事項」ではなく、「待ち合わせ」であることに気付けば、それなりに早く答えは導き出せる。
 「グローブ」はもちろん、自分が氷田織畔だということを語っている。
 「フルキヨキパン」は、そのままではよく分からないが、「古き良きパン」を英訳してしまえば「レトロブレッド」だ。だとすればこれは、僕の身の回りでは店名以外に考えられない。
 「ケッセンノシンデレラ」が一番意味不明だったのだけれど、「フルキヨキパン」が場所であることが分かった以上、これは時間ではないかと連想した。「シンデレラ」という単語で、僕と氷田織さんの共通認識があるのは、『シンデレラ教会』くらいしか思いつかない。そして「ケッセン」・・・つまり、「決戦」となれば、初めて『シンデレラ教会』を訪れたときのことを言っているのだろう。
 ちゃんを助け出すために、初めて『シンデレラ教会』に乗り込んだのは、午前六時くらいだったはずだ・・・・・しかし、今日の午前六時までに僕の手元に手紙が届くのは難しい。そもそも午前六時はまだ、「レトロブレッド」は開店前だ。だからこれは、午後六時と置き換える。
 要するに、「午後六時に、レトロブレッドで待つ。氷田織畔」となるわけだ。
 まあ読み解いたところで、氷田織さんとのお喋りという悪夢が待っているので、むしろ分からない方が良かったのだけれど。


「まあ、あの病院の誰かに気付かれていたとしても、そんなに大きな問題はないさ。それほど重要な話題を話すつもりはないからねぇ」
「・・・・・・」


 ならばいよいよ、「じゃあ呼ばないでください」というセリフが口を突いて出そうになる。大した話題もないのに、貴重な休暇の時間を氷田織さんとの会話に割きたくはない。


「そうだ。ほんの些細な話題・・・・・つまり、君についての話題ということだよねぇ。柳瀬ゆう君」
「僕の話題・・・?」
「君のこと、少し調べさせてもらったよ」
「・・・・・今更ですか?僕のことを調べたところで、物珍しい情報は何も見つからないと思いますけれど」
「そりゃそうだろうねぇ。何せこれは、君も知らないことだろうから」


 ・・・一体、氷田織さんは何を勿体ぶっているのだろう?僕も把握していない出生の秘密でも見つかったのか?だとすれば、僕の人生もだいぶドラマチックになってきたと言う他ないが。


「君の病歴・・・詳しく言えば既往歴に、奇妙な病気がある」
「・・・・・は?」
「君は過去に、『やまいち』だった可能性があるということだ」
「・・・突拍子もないことを言いますね。一体、何を根拠に?」
「『白縫しらぬいグループ』の中核を担っている、『白縫大病院』。この病院の中にはもちろん、『白縫グループ』に属する病院の患者のデータがすべて詰まっているわけだけど・・・そのデータベースに、君の病歴に関する記録が見つかったんだよねぇ」
「そりゃ・・・僕は、『白縫病院』に数日間入院していたことがありますからね。記録があったとしても、おかしくはない」
「おいおい、目を背けるなよ柳瀬君。たかが数日間入院した記録があったとして、その程度の情報をわざわざ君に伝えに来るとでも思うのかい?」


 ニヤリと不快な笑みを浮かべる氷田織さんに対して、僕は無表情を崩さないように努めた。
 『病持ち』だったことがある?
 僕が?
 奇妙な病気にかかった経験なんて、僕は記憶にない。記憶にないし、そんな事実を両親から聞いたこともない。


「・・・確かなんですか?その情報は。何かの間違いなんじゃ?」
「いつにも増して往生際が悪いねぇ。この僕が、誤った情報をのこのこ持ち帰って来るとでも思うのかい?」
「『この僕が』とか言われても・・・」


 別段、氷田織さんに情報収集が得意というイメージはない。むしろ、その好戦的な雰囲気から、情報収集には向いていなさそうなイメージがある。『シンデレラ教会』の構成員の二人と戦ったときだって、「交渉役は君に任せる」みたいなことを話していたし。


「この情報は確かだよ。もともとは、『ねむ症候群』について調べるのが本筋だったんだけれどねぇ。あの『病』の全貌を把握できているのは、木場木慰院長だけみたいだ・・・・・『白縫大病院』のデータベースを覗いたのは、少々的外れだったようだねぇ」


 『眠り子症候群』について調べていた、だって?
 何故、『白羽病院』の外部の人間である氷田織さんがそんなことを?とは思ったものの、言いかけて口をつぐんだ。変に『眠り子症候群』の話題について話してしまうと、余計な情報まで、氷田織さんに与えてしまいかねない。ここは、黙るのが吉だろう。


「で、そのついでに、君に関しての情報を探ったわけだけれど・・・・・こっちは期待以上の情報だった。少なくともこれで、リスクにつり合うだけのリターンはあったよ」


 そこまで言われてしまうと、やはり気になってしまう。氷田織さんに「期待以上の情報だった」と言わせるほどの、僕に関する情報とは何なんだ?


「さて、ここからが本題だよ。柳瀬君」


 と、氷田織さんは隣の椅子に置いていたビジネスバッグから、一枚の紙を取り出した。なんの変哲もない、ポストカード程度の大きさの紙だ。そのままテーブルの上に紙を伏せ、表側が透けて見えないように手を置く。


「交渉といこう。この紙には、君の『病』に関する記録の一部が書かれている。もちろん、知っておきたいだろう?」
「そりゃあ・・・」


 知りたいと思っているのは確かだ。
 それが例えば・・・・・今も僕の中に根付いている「何か」ならば。
 僕の知らない、僕の『病』ならば。
 知らずにはいられない。


「なら、教えてほしいねぇ。君の知っている、『眠り子症候群』に関する情報のすべてを」





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