病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その64



「これで良し、と・・・。待たせたわね、やなゆうくん」


 診察を終えた院長は、病室を出ると同時にグッと伸びをした。よほど負荷がかかっていたのか、肩やら腰やらをトントンと叩いている。やはり、動けない患者を診察するというのは大変な仕事なのだろうか。


「いえ。大して待ってはいませんし」


 僕はといえば、木場木院長がそんな一仕事を終わらせるまで、病室前の廊下でボーっと立ちすくんでいた。一応は途中から仕事を手伝おうとも申し出たのだけれど、「着替えもさせなくちゃならないから、むしろ外に出ていてちょうだい」と、病室の外へと追い出されてしまった。


「で?こうして律儀に待っていたってことは、まだ何か聞きたいことでもあるのかしら?」
「そりゃ、聞きたいことだらけですよ。まだ、何一つ説明されていません」


 ほたるは、「白縫しらぬい大病院」へと移される。それは分かった。これほどまでに危険な『やまい』を持つ患者だ、それくらいの対応をとらなければならない段階になってしまったということなのだろう。
 しかし・・・だからなんだと言うのだ。
 彼女がいなくなることで、この病院の中は、多少住みやすくはなるだろう。ここ数週間続いていた不快な寝不足もなくなるだろうし、『ねむ症候群』などという意味不明な『病』(『病』なんて、大概が意味不明だが)に、呪い殺される心配もなくなるだろう。
 ただ、それでも、分からないことだらけだ。
 ここで妥協していては、決して生き残れない。
 なぜ、院内会議に出ているはずの木場木院長が、僕を追ってあの病室に来ることが出来たのか?僕が寝ている間、何が起こっていたのか?どうして木場木院長は、わざわざ僕にアドバイス(とは名ばかりの、ただの呟き)をくれたのか?
 そもそも。
 僕は何故、あの悪夢から・・・眠っても眠っても眠れない、あの悪夢から逃れることが出来たんだ?木場木院長のアドバイスに従ったからか?単に、運が良かっただけか?
 目覚めは良いのに。
 どこか少し、息詰まっているかのような気持ち悪さを感じる。しかもそれらの質問に、目の前の院長様は、気前良く真正直に答えてくれはしないだろう。


「・・・・・一つ、聞きたいんですけれど」
「一つじゃないでしょ、その顔は」


 そう言いながらも彼女は、体のストレッチを継続させる。腕を伸ばし、上半身を右へ左へと交互に倒す・・・いわゆる、「ラジオ体操第一」で言うところの「横曲げの運動」である。
 ・・・・・どれだけ体が凝っていたんだ、この人は。


「もっとあるんでしょ、聞きたいことが。知りたいのなら、聞いてしまいなさいよ。分かってはいると思うけれど、私はこれ以上、ご丁寧に自分から教えてあげたりはしないわよ」


 挑発的な、意地悪を楽しむ子どものような笑顔を、彼女はこちらに向ける。
 ・・・まったく、嫌になってしまう。
 なんで僕の周りには、こうも性格の悪い人間ばかりが集まって来てしまうのだろうか。類は友を呼ぶ・・・・・にしたって、呼び過ぎというものだ。性格の悪い人間だけのパーティーを開こうと思えば、参加者には事欠かないだろう。


「いいえ。あなたへの質問は、一つで充分です」
「ふうん。私も随分と安く見られたものね。これでも一応、ここの院長なのだけれど。もしかして、知らなかった?」
「知ってますよ。だからこそ、院長先生の手をわずらわせたりはしません。今年の夏は暑いですからね・・・長々と話していたら、口の中がカラカラになってしまいます」
「あら、そう。気を遣わせちゃって悪いわね」


 ストレッチも一段落着いたのか、「ふう・・・」と彼女は息を整えた。
 ようやく、お互い面と向かって話が出来そうだ。


「それ、どっちがなんです?」
「ん?それ・・・っていうのは?」
「だからその・・・」


 なるべく、こちらの意図を悟られないように言葉を選ぶ。
 遠回りに遠回りを重ね、オブラートをオブラートで包み込む。


「今の、真面目な性格が素なんですか?それとも、いつもの無邪気な性格の方ですか?」
「ああ、そういうこと・・・」


 この質問の仕方も、多少はマイルドに仕上げたつもりだ。この人のいつもの性格は、無邪気を通り越して
ぶっ飛んでるという感じだし、今の性格だって、真面目というよりは性悪といった感じだ。
 いずれにせよ、あんまりまともな性格とは言い難い。


「何を聞くのかと思えば、そんなこと?なんだか、拍子抜けね」
「そんなことでいいんですよ。それ以外は、ほとんどどうでもいいことです」
「あっそう・・・。君らしい、冷めた考え方ね」


 と。
 トントン、と。
 彼女は人差し指で、自分の頭の右側を軽く小突いた。


「どっちも素で、どっちも私よ。どちらかが演技だとか、建前だとか、そういうことはないわ」
「無理がありますよ、それ」


 彼女の受け答えに、僕はすぐさま意義を唱える。彼女のこのアンサーは、他人の気持ちが分からない僕でも、なんとなく予想できたものだった。
 どっちも素。
 どっちも私。
 良いところも悪いところも含めて、すべて自分だよ。自分の全部を、きちんと受け入れてあげて。
 そりゃまあ、そういう人もいるだろう。多面的な性格を持ち、それらすべてと上手く付き合っていける人もいるのかもしれない。自分の一面一面と、折り合いをつけられるのかもしれない。
 だけどこの人の場合、差が大きすぎるのだ。
 性格の振れ幅が、広すぎる。
 一方は、天真爛漫で元気いっぱい。一方は、生真面目でありながら意地悪。その対照的とも言える二つの性格(さらに細分化することも可能かもしれない)を、少しの演技もなしに「素」として振る舞うなど、逆に異常だ。
 それは・・・・・それは、おかしな話だ。


「『病』・・・なんじゃ、ないですか?」


 根拠があるとはいえ、当てずっぽうな指摘であることは否定できない。まったく的外れかもしれないし、一笑に付されてしまうかもしれない。
 ただ・・・一般的に知られている言葉として、二重人格というものがある。
 全然、詳しくは知らない知識だし、それについて少しでも学んだことがあるわけでもない。目の前の彼女のパーソナリティを考える上で、屁理屈を捏ねる糧として都合が良いというだけのことである。
 彼女のような人を、二重人格と言うのではないだろうか。
 いやホント、全然知らないんだけれど。


「まあ、そうよね。さすがに気付くわよね」


 と、なんともあっさりと、彼女は頷いた。


「多分、君の思っている通りよ。私の精神は、私の中でキッパリと二分割されてしまっている」


 もう一度彼女は、自分の頭を軽くノックする。


「少年漫画とかじゃよくある設定だけれど・・・『もう一人の自分』とか、『裏の自分』とか、そういうもの。そういう正反対の自分が、私の中には巣食っているの。詳しく説明しようと思ったらキリがないから、それで納得しておいて頂戴」
「・・・分かり易いですね、それは。その例えは」
「でしょうね。この説明をすると、男性はほとんど納得してくれるのよ。やっぱり男は、いくつになってもロマンを忘れないものなのかしらね」
「さあ?少なくとも僕は、ロマンチックな男ではないと思いますけれど」
「それは私も賛成だわ」


 「むしろ、君にロマンがあったらビックリ仰天よ」と、彼女は続ける。
 ・・・なんだか、ひどく器の小さい男に成り下がってしまったような気分だ。
 いや、元々か。


「私を最初に診断した医者は、『じゅうのうの病』と名付けたわ。あまりにもネーミングセンスのない病名だったんで、私は『二者択一の病』と呼んでいるけれどね」


 僕は、その『病』の意味を考える。
 『二重脳の病』。
 『二者択一の病』。
 もう少し精査する必要はあるけれど、なんとなく彼女の正体が分かってきた気がする。そして、彼女が『眠り子症候群』の全貌を知っていた訳も・・・。


「その病名を得てしまったのが、一番のきっかけね」


 彼女は眼鏡を外し、髪をかき上げる。
 半分笑っていて、半分苦しんでいるような、そんな中途半端な表情で。


「私が私を失った、一番のきっかけ」





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