病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その63

 

 僕は、暗い病室の中で目を覚ました。
 相変わらず、地味で生活感のない部屋である。ベッドで眠る女性以外に人気はなく、ときどき、彼女を取り囲む医療機器が機械的な電子音を鳴らしている。
 ・・・どうやら無事に、戻って来ることができたようだ。
 今までどこにいたのか、眠っている間に何が起こっていたのかは、よく分からないけれど。
 椅子に座ったまま寝ていたせいか、多少の体の痛みはあるものの、今回はぐっすり眠ることが出来たらしい。ここ最近は感じていなかった、スッキリとした目覚めだ。だるい眠気は、バッチリと吹き飛んでいた。


「・・・・・おはよう」


 なんとなく、そんな言葉を口にしてみた。おはようも何も、彼女はここ十年間眠ったままのはずなので、「おはよう」も「おやすみ」も言う機会はなかっただろう。
 けれど、言っておきたかったのだ。
 たまにはこうして声をかけてもらうことで、彼女も喜ぶかもしれない・・・・・彼女を喜ばせる義理は、特にないけれど。


「終わったみたいね」
「うわっ・・・」


 人気のない病室、ではなかった。
 僕と患者のほかにももう一人、人がいたのだ。僕の座っている椅子の隣にいつからか、女性が立っていた。
 慌てて立ち上がり、女性の顔をよくよく見てみれば・・・・・それは見知った顔だった。
 なぐさ
 『白羽しらはね病院』の院長様である。


「木場木院長・・・・・いつからここに?」
「君がここに入って、すぐよ・・・随分のんびりと眠っていたようね。個人的に、君が私のアドバイスに従ってくれるかどうかは、五分五分だったのだけれど」
「アドバイス・・・?あれ、アドバイスだったんですか?」


 「訪ねて、答えなさい」というあの言葉。
 アドバイスと言うには、少々抽象的すぎる気がする。一体、何を答えられたのか、結局分からないままだし。


「もちろんよ。君が素直に従ってくれて、助かったわ。もしも君がこの子に手を出そうとしていたら・・・・・そのときは優秀な職員を一人、始末しなければならなかったから」
「優秀な職員って・・・僕みたいな厄介者を、随分と評価してくださっていますね」
「厄介者だろうがなんだろうが、使える人材は大切にしないとね。君はちょっと、自己評価が低すぎるのよ。長生きしたいのなら、自分にしっかりとした価値を与えてあげないと。他人からもらえる評価だけじゃ、生き残れないわよ」
「は・・・はぁ」
「それと、そこちょっとどいてくれる?君がそこに立っていたら、彼女を診察できないのよ」
「・・・分かりました」


 僕が場所を空けると、木場木院長はベッドの周りを歩きながら、ほたるを観察し始めた。時折、彼女の肌の状態を触って確かめたり、医療機器が正常に作動しているかを確認したりと、真剣な面持ちだ・・・・・院長の真顔を見たのは、これが初めである。


「この子を診察する機会は、多分もうあと数回しかないの」


 手を動かし続けながらも、彼女は口を開く。


「?・・・回復の兆しが、見えてきたってことですか?」
「いいえ。この子はね、一級保護対象に指定されることになったのよ。少し前の院長会議で決定したの」
「一級保護対象って・・・・・なんですか、それ」
「君・・・講義を受けているはずでしょ?研修中の講義で、絶対に教えられているはずだけど。その様子じゃこれまでの研修も、あんまり効果はなかったと見るべきね」


 そんなこと、講義で教えられたっけ?最近の講義は寝不足が酷すぎて、まともに聞いていられなかったので、忘れてしまっているのだろうか。
 仕方ない。
 眠いものは、眠いのだ。


「一級保護対象・・・つまりはね、この子はとびっきりの危険人物に認定されてしまったということなのよ。近々、『白縫しらぬい大病院』に移されることになるわ」


 『白縫大病院』。
 『白縫グループ』の中核を担う病院・・・だったはずだ。おきさんから名前を聞いたことはあるものの、その実態を詳しくは知らない。


「大病院の方に移されるってことは・・・もっと高度な医療による治療を受けられるってことですか?」
「その逆」


 と、木場木院長は残念そうに首を振る。


「この子はもう、患者としては扱われなくなるわ。どころか、人間としてまともな扱いをしてもらえるかどうかも微妙なところね」
「患者として扱われないって・・・」
「保護っていうのは建前で、この子は研究対象になるのよ。ほかの『やまいち』患者を治すための、研究のかてになってもらうってわけ。ネズミやモルモットと同じね」
「いや、でも・・・『白縫グループ』は、『病持ち』の人間の命を最優先にする組織なんでしょう?それを研究対象にしてしまったら、本末転倒なんじゃないですか?」
「最優先にするからこそ、よ」


 そろそろ診察も終わりに近づいてきたのか、彼女の作業も段々と落ち着いてきたようだ。


「医療の進歩のためには、実験と研究が必要不可欠なの。そして研究を進めるためには、被検者が必要になる。百人の患者を救うために一人の患者を被検者にするなら、損とは言えないでしょう?」


 どうなのだろう、と僕は考える。
 もしも僕が患者ならば、たまったものじゃないと思うだろう。他の誰かが犠牲になろうが知ったことではないが、自分が人柱になるのはお断りだ。自己中心的に言わせてもらえるならば、自分の命を損得勘定で数えないでほしいと憤慨することだろう。
 そんなことを恥じらいもなく考えているろくでなしは、さっさと犠牲になった方がいいのかもしれないが。


「もしかして、あわれんでくれているのかしら?この子のこと、可哀想だとか思ってくれてる?君がそんなに優しい人だったなんて、意外ね」
「・・・・・そんなわけないじゃないですか」


 自分がこの『病』にかからなくて良かったと思うばかりだ。自分の代わりに誰かが犠牲になってくれて、心底ほっとしている。


「こんな危険人物には、もう二度と近づきたくないです」


 さよなら、蛍井火乃。
 一応、心の中でそんな風に呟いておいた。





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