病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その61

 
 生きることに、疲れる。
 その感覚は、不本意ながら理解できるものだった。他人の気持ちを理解できない僕でも、分かってしまう・・・まさに今、僕が抱いている感覚だ。
 少し前にほたるさんと話した話題ではあるけれど、生きるというのは、とても疲れる行為なのだ。人付き合い、仕事、生活・・・・・目に見えない困難なんていくらでも転がっているし、しなければならない努力だって無限に存在する。幸せになりたいならば幸せになろうとしなければならないし、不幸になろうとすればいくらでも不幸になれる。
 そして。
 努力や頑張りが全部報われないこともあれば、ちっぽけな才能で最上級の幸せを手に入れてしまえることもある・・・・・故に、疲れるのだ。
 生きるというのは、地獄のように苦しい。
 意志もこころざしも支えもない人間なんて、簡単に崩壊する。僕のような、中身のない空っぽな人間に成り下がるしかない。


「・・・・・話したくなければ、無理には聞かないよ」


 気を遣う、というのは僕の苦手分野の一つではあったけれど、このときばかりはそうも言っていられなかった。彼女の十年間を知りたくなったとは思ったが、それを語らせることで彼女の笑顔をかき消すのは・・・・・なんだか、忍びなかった。
 らしくもない、とは思う。
 夢の中で、らしさも何もないけれど。


「話すのが辛いのなら、僕は聞かなくてもいい」
「いえ・・・特別、話すのが辛いということはないんです」


 本当に、何でもないことのように彼女は笑う。


「たまにはこうして、誰かに話してみるのも悪くはないのかもしれません。楽しい話ではないかもしれませんが、聞いてもらえますか?やなさん」
「もちろん・・・聞けと言うなら、聞かせてもらうけれど」
「ありがとうございます」


 と、紅茶を一口。
 自身の『やまい』のことを・・・・・自身の『病』で死んでいった人たちのことを語るのが辛くないはずもなかったが、ここは彼女の言葉を鵜呑みにして、聞かせていただくとしよう。


「最初は、お父さんとお母さんでした。夢の世界を訪れた最初の訪問者は、私の両親だったのです」
「両親・・・」
「ええ。私の両親は、二人ともまともな人柄をしていました。真面目なお父さんとお母さんで・・・共働きをしていたので家を空けることは多かったのですが、ときに優しく、ときに厳しい、普通の両親だったのです。・・・・・真面目すぎる上に、普通すぎる両親だったのです」


 真面目で、普通。
 それは確かに子供からして見れば、理想の両親ではある。きちんと働き、きちんとお金を稼ぎ、きちんと子育てをする。当たり前のことではあるけれど、当たり前だからこそかけがえのない両親だと言えるだろう。
 しかし。


「真面目すぎて普通すぎたが故に、私が『病』に伏したとき、あの人たちは大きなショックを受けたようです。幸せになるためには努力を惜しまず、子育てや生活のためには自分の健康や趣味を犠牲にすることを躊躇わなかった両親だったからこそ、私の『病』を受け止められませんでした」
「受け止められなかったというのは・・・・・まさか、自ら命を?」
「いいえ。自殺が『絶対に良くないこと』だと、お父さんとお母さんは考えていたみたいですから、そこまでのことはしなかったようです。その代わりに・・・・・両親は眠りました」


 泥のように。
 すべてを忘れて、眠りたかったのでしょう。


「そして二人は、この夢の世界を訪れました。『もうやめさせてください』、『忘れさせてください』と、懇願するように頭を抱えながら・・・・・・・私が娘だと分かった上で、『許してください』、『もう嫌なんです』と、涙を流しながら許しを請いました」


 「見ていられなかった」と、この前、彼女は言った。自分の親と同じで不甲斐ない僕を、見ていられなかったと。
 それはつまり、こういうことだったのだろう。
 彼女は、真面目に生きすぎた親を、「見ていられなかった」のだ。


「大丈夫、と私は言いました」


 子どもに言い聞かせるように。
 背中を優しく、ポンポンと叩きながら。


「全部許します、もう楽になっていいんです。と、そんなことも言った気がします。両親が消えるまで・・・・・自分だけの幸せな夢の世界に旅立つまで、ずっと」


 それが、彼らの死に顔の理由か。
 満面の笑みを浮かべた死に顔・・・・・娘に抱かれ、幸せな死を迎えた親の、最期の表情。


「今でも、両親の最期の表情は忘れられません・・・全部を捨てて尚、幸せに逝った両親の顔が。だから私は、両親と同じように生きている人を幸せにしたいと、心の底から思うようになりました。病室にかくまわれながらも、そう決心しました。生きることに疲れたお医者さんや病院の職員の方を夢に誘い、幸せにしてあげたい、と」


 つまりそれが、夢の世界に誘われた人間の共通点だったということか。
 誰も彼もが寝たきり状態にされていたわけではなく、「生きるのに疲れた」人間だけが、『眠り子症候群』によって、夢の世界を訪れることが出来た。


「もちろん、夢に溺れることを拒んだ方もいました。夢に甘んじず、現実を生き続けることを望んだ方も、少なからずいたのです。そういった方の意識は、迷わず現実世界に戻っていただきました。現実世界で一生懸命に生きようと決意する人の邪魔をする気は、私にはありませんでしたから」


 ・・・・・そういえば、と僕は思い出す。
 『第二きゅうめい室』のばら室長も、現実の僕と同じ、極度の睡眠不足状態に陥っていたことがあったと、粒槍つぶやりは言っていた。もしもそれが、蛍井さんの『眠り子症候群』によるものだったとするならば・・・・・歯原室長は、選んだということなのだろう。
 生きて苦しむという選択を、自ら選び取ったのだ。


「それが、私のやってきたことです」


 話し終えた彼女はまた一口、紅茶を啜った。それにつられて、僕もティーカップを口元へと運ぶ。少し冷めてしまっているものの、その美味しさは色褪せていない。


「話してみると・・・・・案外、あっさりとしたものですね。随分呆気なく話し終えてしまいました」
「そんなことはないと思うけれど。実際、君がそんな風に十年間を過ごしてきたというなら・・・まず最初に幸せになるべきは、君自身だ」
「まさか。私がしてきたことは、褒められたものではありませんよ。現実から見れば私は、真面目に生きている人たちの命を奪っていった『やまいち』でしかないのですから。現実世界で幸せになれたかもしれない人たちに、都合が良いだけの夢を見せてしまったのです」


 謙遜けんそんと共に、多少の後悔が滲んだ微笑を、彼女は浮かべた。
 その謙遜や後悔が正しいものかどうかということは、僕には判断できない。
 僕みたいな奴が判断するべきではないとさえ言えるだろう。実際のところ、死にたがりの人間なんて、世の中にはごまんといる。生きる希望なんてひと欠片すら持っておらず、すべてをなげうち、すべてを捨てて、無気力に死んでしまいたいという人間は、殺してあげた方が幸せなのかもしれない。僕みたいな奴とは違い、死をまったく恐れない連中だって、いて当然だろう。
 そういう意味では。
 彼女は死神でありながら、救世主でもあっただろう。彼女の両親や、夢の世界へ旅立っていった医師や職員にとっては、彼女は救世主以外の何者でもなかったはずだ。幸せな夢の世界へと導く、まさしく天使のような存在。
 それは僕にとっても。
 同じことが言えるだろうか?


「・・・・・蛍井さん」


 聞いてみることにした。
 また、らしくもないことを聞いてしまうことにはなるけれど、彼女に・・・・・蛍井に聞いてみたかったのだ。
 夢の世界の番人に、ではなく。
 病室で寂しそうに横たわる、蛍井火乃に。


「君はここにいて、幸せなのかい?」
「・・・・・・」


 彼女は、答えなかった。
 思えば、彼女が僕の質問に答えなかったのは、これが初めてのことになる。
 彼女は以前に一度、この夢は本当に幸せだと言った。面白い人と楽しく会話が出来るこの夢が幸せだと、そう言って微笑んだ。
 しかし、そうとは限らない。
 生きるのに疲れた人との会話が、楽しいものばかりであるはずがないのだ。彼女の両親のように、支離滅裂な会話になることだって、絶対にあるはずだ。
 それも含めて。
 この夢は幸せだと、言いたいのだろうか。
 死にたがりの人間に夢を見せ続けることが幸せだと、そう言いたいのだろうか?


「・・・・・本音を言えば」


 と、彼女はもう一度、口を開く。


「現実世界に戻りたいと考えたことは、何度かあります。現実味のある生活に・・・当たり前の幸せに憧れたことも、もちろんあります」


 でも。
 私は、決めたのです。


「ここで、こうしてお茶を飲みながら皆さんとお話をして、その人が望むならば、夢の世界へと招待する。それが私の幸せだと、私は決めたのです。きちんと考えて、悩んで・・・・・自分自身で幸せを掴み取りました」


 たとえそれが。
 永遠の幸せではなかったとしても。
  

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