病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その58



「やぁやぁやぁ。やなさん、お久しぶりですね。三週間ぶりといったところでしょうか。調子はどうです?」
「はろーはろーはろー!柳瀬くん、ひっさしぶりー!元気してるー?酷い顔してるよー?もっと元気出そー!ほらほらー!」
「・・・・・どうもです」


 鉛のように重い体を引きずりながら『白羽しらはね病院』地下三階の廊下を歩いていると、こんなコンディションのときには決して遭遇したくない二人組に出会ってしまった。
 なぐさ院長と、風増かざましきざし副院長の、意味不明コンビである。


(上司、どころか・・・この病院のトップに位置する二人なのに、いまいち威厳がないんだよな、この人たちは・・・)


 できれば、適当に会話を切り上げて立ち去りたいところだけれど、この人たちの話は鬱陶しい上に長い。本当に、どうしてこういうときに限って・・・。


(こう、凄まじく眠いときに・・・。ふぁ・・・)


 危うく大欠伸をしそうになり、慌てて口を覆う。さすがに、この人たちの前での大欠伸はマズいだろう。


「あっれー?柳瀬くん、すっごい眠そうだねー?寝不足?寝不足なのー?駄目だよー、睡眠はしっかりとらないと!おねーさんが寝かしつけてあげよっか・・・?なーんつって!あはははは!超ウケるー!」
「・・・お元気そうですね。木場木院長」


 元気というか、もはやギャルのような口調になってしまっているような気がするけれど・・・この人、一日中ずっとこんなテンションなのだろうか?僕だったら、こんなにハイな状態で過ごしていたら、一日どころか一分も持ちそうにない。


「院長の元気と可愛さは、天井知らずなのですよ。柳瀬さん」


 可愛さ、とは言っていない。
 この人はこの人で、木場木院長のことを溺愛しすぎだろう・・・一体、どういう関係性なのだろうか?単なる上下関係とは到底思えないくらいに、この二人の距離感は近すぎる気がする。
 まさか、恋人同士とかではないよな?
 院長と副院長が恋仲とか・・・笑えない冗談だ。


「さて、院長の可愛さについて三時間ほど語りたい気分ではありますが・・・一瞬だけ、その話題は脇に置いておくとしまして」


 一瞬ではなく、永遠に脇に置いてほしい話題である。
 何を語る気なんだ、三時間も。


「柳瀬さん。この時間帯のあなたは、ばら室長のもとで書類仕事の手伝いをしているはずですが・・・何をしているのです?トイレなら、逆方向ですよ」


 ニコリと笑いながらもほんの少しだけ威圧的な雰囲気を放つ、風増さん。和やかな表情からは、ハッキリとした怒りの感情を読み取れないのが、この人の厄介なところだ。


(そこはやっぱり、上に立つ人間として、感情を表に出し過ぎないようにしているんだろうな・・・)


 木場木院長とは、対極的と言ってしまってもいい。だからこそ、良い関係性が築けているのかもしれないけれど。


「もしかしてもしかして、もしかすると!柳瀬くん、逃げようとしてたの?それは困っちゃうよ!ねー?風増くん」
「困ってしまいますね、院長」


 お互いに顔を見合わせる二人。ホント、仲良過ぎだろこの人たち・・・。


「いや、まさか・・・違いますよ」


 誤解されてはこちらが困ってしまうので、僕は片手を振りながら否定する。


「ちょっと、体調が最悪でして・・・・・すいませんが、早退させていただきます。歯原室長にも、許可はもらっているので」


 これは別にサボるための口実とかではなく、ただの事実である。二週間前から始まった睡眠不足は日に日に悪化し、今日も今日とて、酷い眠気と重い体を引きずりながら研修と向かい合っていた。
 しかし。
 ついに、限界がきた。
 歯原室長の仕事を手伝っている最中にぶっ倒れてしまい、「これでは仕事にならない」と、歯原室長に早退するよう言い渡されたのだ。書類やら筆記用具やら飲み物やらもぶちまけてしまい、さすがにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないと、僕もその指示に素直に従うことにした。
 いや、もう。
 こうして立っているだけでも、結構辛いのだけれど。


「おやおや・・・それは失礼しました。大丈夫ですか?体調管理は、社会人の基本ですよ。たとえここが、陽の当たらない業界だったとしても」
「・・・・・心得てますよ」


 僕だって、好きで体調不良になっているわけではないのだ。本当に何故、これほどの睡眠不足に陥っているのか分からない。寝るたびに睡眠不足になるなんて・・・こんなの、対処のしようがない。


(・・・・・・対処のしようがない、こともないのだけれど)


 原因は、ほぼほぼ分かってはいるのだ。僕の睡眠の質が急激に低下したということでないのならば、時期とタイミングから考えて、あの人が原因としか考えられない。


(ほたる・・・)


 『眠り子症候群』という、死の眠りへと誘う『やまい』が本当にあるのならば、僕はあの人の『病』に影響されてしまっているということなのだろう。二週間前に病室へと導かれたときからずっと、彼女の『病』によって、眠っているのに眠れていないという悪夢を見せられ続けている。
 この先に待つのは・・・・・おそらく、死だ。
 粒槍つぶやりの話がすべて事実ならば、眠れなくなった僕は、眠っている間に死を選ぶことになる。なんだかあべこべで、考えれば考えるほどに奇妙な話だけれど・・・意味の分からない話ではあるけれど。
 死、というものに対しては、僕は敏感なつもりだ。
 これが『眠り子症候群』の影響であろうと、僕の体調不良による睡眠不足であろうと、別の何かであろうと・・・このままでは、僕は死ぬだろう。正直、眠すぎて食事も喉を通らないし、仕事は手につかないし、まっすぐ歩けないこともある・・・・・昨日なんて、湯船に浸かっているときにウトウトしてしまい、危うく溺れかけた。とっくに、日常生活に悪影響は出てきているのだ。


(・・・・・蛍井火乃を、どうにかするしかない)


 あの人の影響であるという、百パーセントの確信はない。ほかに原因はいくらでも考えられるし、理由をこじつけようと思えば、何でもこじつけられる。
 それでも今は、生きるために行動しなければ。
 事は一刻を争う。


「まあ、研修も大変でしょうし、体を悪くしてしまうのも仕方がないことでしょう。今日はゆっくり休んでください。よければ、『白羽病院』の優秀な医師か、カウンセラーでも紹介しましょうか?」
「いえ・・・お気遣いなく」


 多分、診てもらったところで、これはどうにもならないだろう。普通の医師には、「ちゃんと寝なさい」と言われるだけだろうし、たとえ『病』を知る医師の診察を受け、『眠り子症候群』の影響かもしれないと判断されたとしても、あの人を・・・・・蛍井火乃をどうにかしてくれるとは思えない。
 だってここは。
 『病持ち』の人間の人権を、何よりも尊重する組織なのだから。


「それじゃ・・・僕はこれで。帰って、安静にします」
「ええ。それでは、お大事に・・・。院長、行きましょう。もうすぐ、院内会議ですよ」
「はいはーい!OK!OK!それじゃ柳瀬くん、まったねー!」
「はい。それでは・・・」


 僕はまともな挨拶も返さないまま、風増さんの後を追って駆けて行く木場木院長とすれ違うようにして、エレベーターホールの方に向かうことした。
 いや。
 向かおうと、思っていた。


「訪ねて、答えなさい」
「・・・・・え?」


 すれ違おうとした、その一瞬。
 木場木院長の口から小声で発せられた、彼女らしくないその言葉を。
 僕は、聞き逃せなかった。





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