病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その49

 
 ガラリ、という効果音が響くほどではないけれど、若干、空気が変わったのを、僕は敏感に感じ取っていた。
 ばら室長の表情に、特に変化はない。相変わらず、青白く、弱々しそうな表情だ。
 しかし、粒槍つぶやりの方は、そうではなかった。苦虫を噛み潰したような顔・・・・・と、言えばいいのだろうか。苦しそうに、不味いものでも口にしてしまったかのように、表情を歪ませた。
 つまりこの質問は、テキトーに答えていい類のものではないということだ。変に、軽い受け答えをしてしまったら、どうなることやら分からない・・・・・真横に立つ男の顔つきが、それを物語っている。
 にしむかいよしみ?
 なんだか奇妙な・・・というか、珍しい苗字だ。名前の方は、まあ、一般的な気がするけれど。
 出来る限り記憶をさかのぼってみるけれど、そんな名前に覚えはない。苗字にも名前にも、聞き覚えがないのだ。『やまい』に関わってからはもちろん、『病』のことを知る前の一般社会でも、そんな名前に縁があった覚えはない。


「心当たりは・・・ありませんね。『白羽しらはね病院』の関係者か何かですか?」
「ああ。関係者も関係者。もともとは、ここ『第二きゅうめい室』のメンバーだったんだが・・・・・いや、心当たりがないというならば、それでいいんだ。念のために、聞いておいただけなんでな」


 だるそうに片手を振りながら、歯原室長は言う。


「近いうちに、君たち『海沿かいえん保育園』のおりほとりに、聞くとしよう」
「?・・・氷田織さんに?」


 氷田織さんと、何かしらの関係がある人物なのだろうか?・・・まあ、関係があったとしても、もちろん、親しい関係ではないだろうけど。あの人に友人とか・・・ちょっと、想像が難しい。


「そんな機会が巡ってくれば、だが・・・・・。粒槍、酷い顔になってるぞ。そう硬くなるなよ。リラックスしろ、リラックス」
「・・・失礼しました」


 少しだけ肩の力を抜き、「ふう・・・」と軽く息を吐く、粒槍。
 ・・・どうも、モヤモヤする。
 その西にしむかさんとやらは、一体、何者なんだろう?


「フワッとした質問をしてしまって悪かったな、やなくん。なに、君が気にすることじゃない。実際、もう過ぎたことなんだ・・・・・気に留める意味のない、思考する意味もない、過去の事象だ」




 パタン。
 と、室長室を出た僕らは、無言で、来た道を戻った。
 再び粒槍と共に歩きながら、先ほどの質問の意味を考える。気にするなと言われようと、考える必要はないと言われようと、あんな雰囲気で質問されてしまえば、それを気にしない方が難しいというものだ。
 とはいっても僕は、氷田織さんの人間関係に詳しいわけでもないし、ましてや、『白羽病院』のスタッフの人間関係ともなれば、知識は皆無に等しい。よって、いくら考えたところで、「西向井さん」とやらがどんな人なのかは、全然まったく分からないのだけれど・・・。
 しかし、一つだけ。
 一つだけ、思い当たる節があった。
 粒槍から、三度目の襲撃を受けたあの日。あのときの戦いに直接関わったのは、僕と粒槍だけではない。もう二人、関係者がいたのだ。一人は、僕の買い物に付き添っていた、氷田織さん。僕を助けるとか言っておいて、あんまり頼りにならなかった氷田織畔も、あの件における直接の関係者だ。


 そして、もう一人。


 狙撃手。


 コンパスやらナイフやらを撃ち込んできた狙撃手が、あの場にはいたのだ。そいつがどんな顔だったのかは僕の知るところではないし、名前すら、知る機会はなかった。唯一知っている情報はといえば、その狙撃手を、氷田織さんが殺しているということだけだ。その情報だって、百パーセント正確なものとは言えないのだけれど・・・。
 あの狙撃手が、関係あるのか?
 というか、僕の持っている限られた情報からでは、そういう考えにしか至らない。それ以外に、考えられる可能性なんて・・・。


「これ」


 と、唐突に、粒槍が何かを差し出してきた。


「返しておくよ。君を誘拐するにあたって、一応、取り上げさせてもらったけれど・・・もう、その必要もないだろう?」


 粒槍の手に乗っていたのは、昔懐かしいガラケーと、折り畳み式のサバイバルナイフだった。両方ともおきさんに借りていたものだが、もう返すことは出来ないだろう。僕はそれらを受け取り、内ポケットの中にしまい込む。


「携帯電話、随分と古い型じゃないか。いつから使ってるんだい?」
「・・・ただの借り物ですよ。使っていたスマートフォンは、どこかの誰かさんのせいで、粉々になりました」
「そうかい・・・弁償代くらいなら、請求してもらって構わないよ」
「冗談です・・・そんなことまで根に持つほど、僕は性格悪い奴じゃありませんよ」
「どうだかね・・・」


 エレベーターに乗り、今度は地下一階へ。一体、いつになったら地上に出られるのだろうかと思っていたが、どうやら、この地下一階にある別のエレベーターから、地上階へと行けるらしい。


「あのエレベーターから、地上一階へ行ける」


 地下一階の小ホールにあるエレベーターを指差しながら、粒槍は言った。


「逆に、地上階から地下へ来るときも、あのエレベーターを使用する・・・というか、あのエレベーターでしか、地下には来れない。『白羽病院』の地下施設については、『病』に関わる職員しか知らないんだ。一般病棟の患者や職員はもちろん、表向きの院長でさえ、ここのことは把握していない・・・・・はずだ」
「徹底した機密保持・・・ってやつですね」
「ああ。だから、ここを出たら、基本的には『病』の話題は厳禁だ。『やまいち』の患者を守るため・・・そして、俺たち裏職員を守るためにね」
「・・・・・」


 「俺たち」、ね。
 この人の中では、僕はもう、『白羽病院』の職員ということとになってしまっているらしい。
 僕が逃げ出すかもしれない、とか考えないのだろうか?
 こんなところで好き好んで働きたいなんて、どこのどいつが考えるっていうんだ。


「粒槍・・・さん」


 地上へと昇るエレベーターに乗り込みながら、僕は口を開く。


「呼び捨てでも構わないけど」
「・・・粒槍さん」


 と、僕は繰り返す。


「僕はどうも、こんなところで働くということに意味を見い出せないんですけれど・・・粒槍さんは一体、何のためにここで働いているんです?」
「・・・・・」


 少し考えるような素振りをした後、彼は言った。


「表向きには、『病持ち』の人たちを守るためだ。『病』に苦しみ、一人では生きられなくなった人たちを・・・・・世間の隅っこに追いやられてしまった人たちを、支えたいと思ったからだ」


 言いながら、エレベーターパネルの「上」と書かれたボタンを押す。


「裏向きには・・・・・いや、裏なんてないな。やっぱり、それが本音だ。しかし、それに付け加えて言うならば・・・・・自分を守るため、だよ。居場所を作り、友人を作り、当たり前の人生を、普通に送るため」


 世間の目という恐ろしい脅威から、自分を守るため。
 一般人という怪物に、食われないようにするため。


「そのために、俺はここで過ごしてる・・・・・ここ以外に、俺の居場所はない」
「そんなこと・・・分からないじゃないですか」


 あのときのように、僕は言う。
 知ったような口を利く。
 何も知らない僕は、何も知らないままに、口を開く。


「逃げ出そうとか、思わないんですか?外の世界のどこかには、あなたの居場所だって、あるかもしれませんよ?」
「ないよ」


 即答。
 同時に、粒槍は小さく、顔を横に振った。


「他に居場所なんて、ない。だから、逃げ出す必要もない。逃げて死ぬより、ここで細々と生きていく方が、俺は幸せだと思う」


 だから君も、逃げ出そうなんて考えない方がいい。
 死にたくないなら。
 生きることが幸せなら。
 ここにいることを、お勧めするよ。


「・・・そうですか」


 どこぞのジャージ女も、そんなことを言っていた気がするな。
 そんなことを考えながら。
 僕らは、地上の世界へと繰り出した。





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