病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その48
「そんで・・・ここ『第二究明室』で、働いてくれるって話だったか?」
「え?・・・ええ。まあ・・・そう、みたいですね」
急に話が変わり、戸惑いを隠せなかったが、いよいよ本題に入るようだ。
仕事のお話。
僕がここで働くかどうかという、本筋の話。
「働かなければ拷問する、とまで言われてしまいましたからね・・・。あなたたちの、可愛い院長様から」
「拷問だと?・・・ったく、相変わらず、乱暴な真似をしやがるな、あの院長殿は・・・。そりゃ、散々な目に遭ったな。君も」
「相変わらず?君も?あの院長は以前にも、こんな真似をしたことがあるんですか?」
誘拐に拘束に、拷問まがいの強制労働。
こんな真似、そう何度も出来ることじゃないと思うけれど・・・。
「ああ・・・うん、そうだ。『白羽病院』では、例のない事態じゃない。よくあること、とまでは言わないが、珍しいことってわけでもないな・・・・・」
疲れたように、歯原室長は目を閉じる。
疲労感が、体の表面から滲み出ているようだ。青白い顔色に、ますます拍車がかかる。
「あの・・・大丈夫ですか?なんか、随分と体調が悪そうですけれど・・・」
「・・・・・」
歯原室長は答えない。
片手で軽く頭を押さえ、「ちょっと待ってくれ」と言わんばかりに、もう片方の手の平を、こちらに向けるだけだった。
「・・・大丈夫だよ。柳瀬くん」
と、答えたのは歯原室長ではなく、隣に座る粒槍だった。
身じろぎもせす、静かに、彼は言った。
「大丈夫なんだ。ちょっと、待ってあげてくれ」
「・・・・・ああ」
左右に頭を振ったのち、歯原室長は再び、口を開いた。
「悪い・・・最近、頭痛が酷くてな。たまに、不機嫌そうに黙るかもしれないが、別に機嫌を損ねているとかじゃないから・・・・・そういう面倒くさい奴なんだと、思っておいてくれ」
「は、はあ・・・」
「で、とにかくだ。君は、ここで働くってことに了承してるってことでいいのか?」
「了承・・・は、していますよ。拷問すると脅されても尚、働かないと言い切れるほど、僕はニートではありませんからね」
なるべく皮肉に聞こえないように、皮肉めいたことを、僕は言った。
了承はしている。
納得はしていない。
そういうことだ。
「納得はしてないって感じだな、その顔は」
バレバレだった。
まあ、そこまで本気で隠そうと思っていたわけでもないが。
「しかし、上の連中から、君を働かせろと言われている以上、君には仕事をしてもらわなけりゃならない。俺にも立場とかいう、馬鹿馬鹿しい都合があるからな・・・。無茶はさせないから、最低限、目ぇ付けられない程度には働いてくれ」
「・・・命だけでも保障してくれるのなら、それなりには」
「命か・・・・・こっちで保障するには、重たすぎるもんだな、そりゃ。金と生活は保障するから、命は自分でなんとかしてくれ」
「金と生活・・・?」
てっきり、奴隷の如くこき使われるのかと危惧していたのだが・・・・・もしかすると、ちゃんと給料とかもらえるのだろうか?こんなふざけた業界でも、それくらいのポリシーは持ち合わせているのか?
「そう驚いた顔をするなよ、柳瀬くん。仕事なんだから、それくらいの見返りは、あって当然だろう?この業界に対して、君がどんなイメージを抱いているのかは知らないが・・・・・そこまで非人道的な現場ってわけでもないからな」
そこまで言うと歯原室長は、ポケットから鍵を取り出し、僕の目の前にぶら下げた。
「・・・これは?」
「見ての通り、鍵だ」
言いながら僕に、鍵を受け取るように促す。
「それと・・・これも必要だよな」
今度は、自分の仕事机からクリアファイルを手に取り、またしても僕に手渡す。
「えっと・・・」
「マンション暮らしに必要な書類のコピーが、いろいろと入ってる。基本的にはこっちで管理するが、一人暮らしである以上、必要になるときもあるだろう。持っておいた方が良い。それと・・・家賃もこっちの支払いだから、その辺も心配しなくていい。水道費と光熱費だけ払ってくれりゃ、それで万全だ」
「もしかして・・・住宅手当、みたいなことですか?」
金と生活を保障するとは、こういうことか?
既に、僕の居住地が定められているのか?
まったく、どこまで準備がいいんだ・・・・・どこまで用意して、僕の誘拐を実行したんだ、この人たちは。
本当に、恐れ入ってしまうな。
もちろん、悪い意味で。
「ああ。病院内にも、職員が生活可能な居住スペースはあるが・・・君は、マンション暮らしを望むだろうと思っていた。誘拐を実行するよな組織の中で生活するなんて、まっぴら御免だろう?」
「まあ、それはそうですけれど・・・」
なんか、そこまで用意周到だと、逆に怖くもあるな・・・。マンション暮らしとは言えど、彼らが管理しているマンションなのだ。『海沿保育園』とは違って、組織の外で私生活が過ごせるとはいえ、「安心安心」とはいかない。
「もちろん、住宅手当とは別に、きちんと給料も出る」
有給だって、取れるときは取れるさ。と、歯原室長は付け加える。
手当とか、給料とか、有給とか。
・・・一般企業かよ。
「・・・どうだろう?これで少しは、ここで働くことに、納得がいくか?いや、納得とまではいかなくてもいい。妥協くらいはできるか?テキトーに働こうってくらいの気力は、君の中で生まれるか?」
「・・・・・・・」
ちらりと、受け取った鍵と書類に目をやる。
仕事と、マンション暮らし。
これは言ってしまえば、元の生活に戻るということではないのか?一人暮らしをしながら仕事をこなしていたあの頃に、戻れるということじゃないのか?
・・・いや。
その判断は、やや早急だ。
この業界が、かなりおかしな世界であるということを、忘れてはならない。殺し合いや、命を賭けた交渉が行われる業界であるということを、忘却してはならないのだ。
「こんな業界で働き続けようと考えるほど、君も、馬鹿な奴ではないよな」
「この業界に身を置いている奴は、どいつもこいつも、馬鹿な変人だらけだ」
これは確か、濱江愁子院長の言葉だ。
「・・・とりあえず、働いてみることにしますよ。戦場に送り込まれる、みたいな仕事じゃなければ」
「そりゃ、ありがたい話だ。人手が増えるのは、こちらとしても嬉しいもんだ」
「ふう・・・」と、歯原室長は小さく溜息をついた。
「ちょっと話しすぎたな・・・お喋りが過ぎた。そろそろ、お開きにしよう。柳瀬くん、マンションの住所と部屋番号を教えるから、今日はもう帰ってもらって構わない。ある程度の生活用品は揃っているはずだから、普通に生活する分には、困ることはないはずだ」
「・・・ありがとうございます」
一応、お礼を言っておく。
ここまでお膳立てをしてもらえば、さすがに、礼の一つでも言っておかなければならないだろう。
「粒槍。お前も、今日はもう上がってくれていい。明日も頼むよ」
「ええ。了解です」
僕らは各々立ち上がり、それぞれがパイプ椅子を畳み始める。
・・・やれやれ。
なんだかよく分からないうちに、よく分からない展開になってしまった。
・・・本当に。
本当に・・・・・馬鹿みたいな展開だ。
どうしようもなく。
どんな手出しも出来ないくらいに、馬鹿馬鹿しい。
「疲れたか?柳瀬くん」
杖を突きながら歩き、パイプ椅子を再び壁に立て掛けながら、歯原室長は言った。
「まあ・・・そこそこには」
実際には、滅茶苦茶疲れているけれど。
体力には、自信がない。
「そうかい?俺は、かなり疲れたよ・・・。しかし、これは聞いておかなくちゃならない。もう、口を開く体力も残っちゃいないが、質問しておこう」
「質問・・・?なんですか?」
「君は・・・」
だるそうに、相変わらず無気力そうに、彼は言った。
「西向井由未って名前に、心当たりはあるか?」
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