病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その28



「一応、確認しておきたいんだけれど」


 『海沿かいえん保育園』を発つ前。
 出発前に確かめたいことがあり、僕はもう一度、蓮鳥はすどりさんのいる畳部屋を訪れていた。沖さんは抜きで、だ。あの人に聞かれたくない会話も、彼女とはしなければならない。
 ちょうど、お昼ご飯を食べた直後である。空炊からたきさんの作ってくれた、豪華なお祭りメニューを食べた後のことだ。
 ちなみに、お昼ご飯は最高に美味しかった。久しぶりに、たこ焼きやお好み焼きみたいな粉物を食べた気がする。
 ちゃんの誕生日会も、簡素ながら行った。誕生日を祝い、おきさんが買ってきてくれたケーキを食べ・・・・・蓮鳥さんは不参加だったし、おりさんに関してはそもそも不在だったけれど、莉々ちゃん本人は喜んでいたようだ。僕も、簡単なバースデーカードくらいは送らせてもらった。
 喜ぶ一方で、小声で「ちょっとケーキが小さいです・・・・・」と呟いてはいたが。
 『シンデレラ教会』にいた頃は、一体どんなケーキを食べていたのだろう?というか、どんな誕生日会だったのだろう?気になるところではある。豪勢な料理と、ウエディングケーキ並みの巨大なケーキで、盛大なバースデーパーティ・・・とかだろうか?まあ、もしもそうだったとしても、『シンデレラ教会』の解散が決定している以上、もう開催されることはないのだろうけど。
 ・・・・・そういえば莉々ちゃんは、父親の死を、すでに知っているのだろうか?


「なんか・・・全然関係ないことを考えてません?」


 蓮鳥さんが目を細めて、こちらを見つめてくる。


「いや・・・考えていないよ。お昼ご飯が美味しかったな、と思い出していただけさ」
「・・・考えてるじゃないですか。全然関係ないこと」


 冷ややかな口調で、彼女は言う。


「悪かったよ。でも蓮鳥さんだって、お昼ご飯には満足しただろう?」
「まあ・・・美味しかったですけど」


 誕生日会には参加しなかったものの、お昼ご飯はしっかりと食べていた彼女である。よほど美味しかったのか、意外とたくさん食べていた。


「で?確認したいことっていうのは、何ですか?」


 肩をすくめながら、彼女は聞き返してきた。


「ああ、そうだった・・・単刀直入に聞きたいんだけどさ。蓮鳥さんは、戻りたいかい?」
「?・・・戻りたい、とは?」
「『白縫しらぬい病院』に戻りたいのかどうか。それを聞きたいんだよ」


 『白縫病院』に乗り込むにあたって、これは聞いておかなければならないことだった。交渉の協力を約束してはくれたものの、彼女が『白縫病院』に戻りたいと思っているのならば、少し状況は変わってくる。結局、彼女が『白縫病院』の味方であろうとするならば、たとえ交渉に協力してくれたとしても、後々面倒なことになるかもしれない。彼女の意志が正確に分からない以上、彼女は「心強い味方」とまでは言えないのだ。
 ・・・最悪、『白縫病院』に戻った時点で、僕らを裏切るというパターンもあり得る。
 最悪の場合は、だが。


「戻りたいか戻りたくないかで言えば・・・どうでしょう。正直、どちらでもいいというのが本音です」
「どちらでもいい?」


 なんだかはっきりしない答えだけれど・・・・・本当だろうか?『白縫病院』に、思い入れとかはないのか?


「『白縫病院』を抜け出してきたことに、後悔とかはないのかい?それとも病院生活は、それほど良いものではなかったのかな?」
「後悔がないわけではありませんよ。何もかも投げ打って出て来ましたからね。後悔も、少しくらいはあります」


 苦笑いを浮かべながら、彼女は答える。


「ただ・・・戻りたいほどの思い出があるかといえば、そうでもないんです。あそこでの生活には不自由はなかったけれど、それほど楽しいわけでもなかった。私みたいな性格の奴には、そこまで馴染める環境ではなかったんです。・・・・分かります?この感覚」
「分からなくはないよ。不自由がないからこその、不自由さ。みたいなものだろう?」
「・・・違うっぽい気もしますけど、多分合ってます」


 ・・・なんだか、微妙な反応をされてしまった。
 だが、彼女が『白縫病院』の生活に、なんとなく物足りなさを感じていたのは本当なのだろう。生活の安定は、イコールで、生活の充実ではないはずだ。生活が安定すれば、それ以上のことを求めてしまうのも、人間なのだろう。


「じゃあ、たとえば『白縫病院』に乗り込んだ際に、昔の知り合いから『戻ってこい』と言われたら、君はどうするんだい?」
「戻りませんよ。かといって、このまま『海沿保育園』に留まるつもりもありませんけどね。準備が整ったら、自分で居場所を探して、自分で生活します。自分の生活に、自分で責任を持つことにします」


 「もう少し、大人になりたいんですよね」と、彼女は言う。
 ほんの少しだけ、微笑んで。


「なるほど・・・『どちらでもいい』とは、そういうことかい?独り立ちの準備を整える上では、『海沿保育園』も『白縫病院』も、環境はそれほど変わらないと?」
「ええ、そういうことです。むしろ、『白縫病院』に戻ったら、また甘えてしまいそうですしね。・・・・・大人に甘えるのは、これっきりです」
「・・・そうかい」


 案外、彼女は立ち直りの早い人間なのかもしれないと、僕は思った。これからの生活についてそこまで考えているとは、思いもしなかった。


「君の意志は分かったよ、蓮鳥さん。僕は君を、全面的に信用することにする」
「嘘つかないでくださいよ。実際は、そこまで信用していないんでしょう?」
「そうでもないよ。少なくとも今の話で、君への信頼はグッと高まった」


 もちろん、信用なんてしていない。信頼なんて、していない。
 僕を殺そうとした人間を、こんな短時間で信用できるようになるわけがない。そんな陽気な性格は、僕は持ち合わせていない。
 それでも、どこかで落としどころはつけなければ。
 少なくとも今回の作戦には、彼女の知識と『やまい』が必要不可欠だ。


「『白縫病院』との交渉にあたって、蓮鳥さんに一つ、お願いがあるんだ。聞いてくれるかな?」


 僕は伝える。
 沖さんには教えられない作戦を、彼女に伝える。交渉を上手く進めるための段取りを、今から整えておかなければならない。
 そして・・・その時はやってきた。その日の夕方、僕と沖さんと蓮鳥さんは、『海沿保育園』を出発した。
 この交渉は、蓮鳥さんの独り立ちの序章になるのかもしれない。
 そしてまた、僕の旅立ちの序章でもあった。
 僕が再び、『海沿保育園』へと帰ってくるのは。
 随分と、先のことになる。





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