病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その26

 

 次の日、蓮鳥はすどりは、やなからの頼みを快く引き受けた。
 疑いたくなってしまうほどに、あっさりと。・・・・・実際、柳瀬はしばらく、この疑問を頭から振り払うことは出来なかった。
 何故、彼女が自分の頼みを聞いてくれたのか。
 何故、人が変わったかのように、二つ返事で自分の頼みを引き受けてくれたのか、彼には理解できなかった。
 当然だろう。「共感」という気持ちをほんの少しも持てない彼には、蓮鳥の心情の変化を察することなど出来ない。
 そう。共感。
 彼女が感じたのは、そんな感情だった。
 自分のことしか考えられない。何よりも、自分の命を優先してしまう。そんな柳瀬に、自分を重ねた。
 発展途上の国で他人のものを奪いながら生活していた自分の姿を重ね、自分だけが生き長らえるために、人を殺していた自分の姿を重ねた。
 彼の生き方は、自分の生き方に似ている。周りから否定され続けた自分に、彼は似ている。そんな感覚が、彼女の気持ちを少しだけ変化させた。
 小さな違いだったのだ。
 蓮鳥は、自分の生き方を「間違っている」と感じていた。
 柳瀬は、自分の生き方に「正しさ」なんて求めてはいなかった。
 彼女はもう一度、顔を上げる。
 もう「正しさ」なんて、求めない。何が正しくて、何が間違っているかなんて、もう考えない。
 でも・・・目の前の人の助けになることくらいは、自分にも出来る。それくらいのちっぽけな「正しさ」なら、自分の中にもある。
 白いヒーローのように、自信満々に人を助けることは出来ない。
 あの老人のような優しさを持つことも出来ない。


「いいですよ」


 気が付けばそんな風に、彼女は返事をしていた。


「私で良ければ、力になります」


 ようやく、子どもっぽい自分に「さよなら」を言えた・・・・・気がした。




 ・・・・・なかなか寝付けないな。
 ふと時計を見ると、すでに深夜一時を回っていた。いつもなら、ぐっすりと眠れている時間である。
 『白縫しらぬい病院』との交渉は、ついに二日後に迫っていた。明日、ここ『海沿かいえん保育園』を出発し、電車を乗り継いで、あの町へと赴く。僕がマンション暮らしをしていた、あの町へ。明日はホテルに泊まり、明後日の昼頃に『白縫病院』へと向かうはずだ。
 沖さんと、交渉の大まかな流れは確認した。
 蓮鳥さんの協力も、無事に得られた。
 準備は万全だ。
 だが・・・あまり、緊張はほぐれなかった。もう出来ることはないと分かっていても、落ち着かない。まるで、学生のときの試験前日のようだ。
 いや、試験どころではない。これは面接だ。僕の無害性を認識してもらうための、面接。この交渉によって、これからの生活の安全性が変わってくる。なるべく、僕への警戒心を抑えてもらわなければならない。・・・いや、彼らが現在、どれだけ僕を警戒しているのかというのは、正確には分からないのだが。
 すでに、僕なんか眼中に入っていないのなら、儲けものだ。なんなら、僕のことなんて忘れてくれているとありがたい。


(・・・・・喉、乾いたな)


 冷たい飲み物でも飲んで体が冷えたら、少しは寝付けるだろうか?
 僕はそんなことを考えながら階段を下り、厨房の方へと足を向けた。


(・・・・・ん?)


 違和感を覚え、僕は足を止める。
 ・・・・・明かりが点いている。厨房の方から、光が漏れているのが分かった。廊下やホールは真っ暗だというのに、厨房にだけは明かりが灯り、トントントン・・・と、何かを包丁で切るような音が聞こえてきた。
 こんな時間に、一体誰が何をしているんだ?
 いや・・・厨房で出来ることといえば、料理か食器洗いくらいだ。そして、それを主に行っている『海沿保育園』の住人といえば・・・・・。


「・・・・・空炊からたきさん?」
「!・・・ビックリした。柳瀬君かい?」


 驚きと共に、素早くこちらに視線を向けたのは、空炊さんだった。
 空炊ほうさん。
 『海沿保育園』の、腕の立つ料理人である。


「ビックリしたのは僕の方ですよ・・・。こんな時間に、一体何をしているんです?」
「ああ・・・いや、すまなかったね。驚かせてしまって」


 食材を切っていたであろう手を止め、その手を拭きながら、彼は申し訳なさそうに笑った。


「実は、明日の料理の仕込みをしていてね。のんびりとやっていたら、こんな時間になってしまった」
「仕込み・・・?何か、手の込んだ料理でも作るんですか?」
「手の込んだ、という程でもないけどね。ほら、明日は海の日だろう?」
「え?ええっと・・・そう、でしたっけ?」


 「そうだよ」と、空炊さんは頷く。
 ・・・正直、全然把握していなかった。最近、曜日や日にちの感覚が、少しずつ鈍くなってきている気がする。こんな、日常とはかけ離れた生活をしていれば、無理もないけれど。
 確かに、明日は七月の第三月曜日。国民の祝日であるところの、海の日である。学校や仕事が休みになる人からすれば、ありがたい日だ。・・・今の僕には祝日なんて、ほとんど関係ないけれど。


「でも、海の日と料理の仕込みに、なんの関係があるんです?」
「いや、直接的に関係があるわけではないけれどね。せっかくの祝日だから、少し特別な食事を作ろうと思ってさ。夏といえば、お祭りだろう?子供たちをお祭りに連れていけない代わりに、屋台で買えるようなご飯を作ろうと、腕を振るっていたところだよ」
「はぁ・・・なるほど」


 僕は気のない返事を返す。
 しかし、確かによく見ると、調理台には、屋台で使われるような食材や器具が並んでいた。
 お好み焼きや、たこ焼きの粉。段ボールにぎっしりと詰め込まれた蒸し中華麺の袋は、焼きそば用だろう。彼の横に山と積まれたトウモロコシは、焼きトウモロコシ用だろうか?その更に横には、割り箸の刺さったフランクフルトが並べられている。
 隅の方にはかき氷機やたこ焼き器が置かれているし、巨大な鉄板も、何枚も準備されている。こう見ると本当に、お祭り前夜みたいだ。


「どうだい?なかなか揃っているだろう?沖さんが今日、いろいろとかき集めてくれてね。イカ焼きや、スイカもあるよ」


 メジャーな屋台料理は、ほとんど全てコンプリートしているようだ。
 確かに、美味しそうである。


「それに明日は、ちゃんの誕生日だというじゃないか。豪勢なケーキやプレゼントは準備できないけれど、少しは喜んでもらえる食卓を作り上げないとね。料理人としては、努力のし甲斐があるってものだよ」
「・・・・・そうだったんですか」


 莉々ちゃん、明日が誕生日だったのか。そりゃ、沖さんたちも盛り上げようと、気合を入れるはずだ。
 彼女を祝う親は、もういないけれど。
 ここには、彼女が生きていることを祝ってくれる人たちがいるのだろう。
 ・・・もちろんその中に、僕は含まれない。





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