病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その19



 『白縫しらぬい病院』での生活に、それほど不自由はなかった。
 思いがけず、故郷である日本に帰って来てしまったけれど、発展途上の国で何かを奪いながら過ごす日々は、終わりを迎えた。あの国での生活に比べれば、『白縫病院』は天国のような所だった。
 食べるものがある。
 生活に必要なものが揃っている。
 もう、奪わなくていい。殺さなくていい。
 そう思うと、蓮鳥はすどりの心は、ほんの少しだけ軽くなった。
 少し大きくなってくると、蓮鳥は「正しさ」というものに疑問を持つようになった。あの国にいた頃は、みんなが私のことを悪人と言っていたけれど、本当にそうだったのだろうか?
 みんなが正義で、私が悪だったのだろうか?必死になって生きることは、悪いことだったのだろうか?
 蓮鳥は、周りの大人たちに聞くことにした。医者に、看護師に、ときには正常な患者に、質問することにしたのだ。


「正しいって、何?」


 大人たちは言った。


 「うーん・・・どういうことなんだろうねぇ?」と、苦笑を浮かべた。
 「そんなことを考えてるなんて、はとちゃんは賢いわねえ」と、話題を逸らした。
 「きっと、大人になったら分かるよ」と、はぐらかした。


(なんだ)


 と、蓮鳥は肩を落とした。


(みんな、知らないんだ)


 あの白い人なら、知っているのだろうか?私を助けてくれた、あの白いヒーローなら、「正しさ」が何かを知っているのだろうか・・・?
 ある日、噂を聞いた。『白縫病院』の職員たちが噂しているのを、聞いてしまった。
 やなゆう、という男の噂だった。


「暴走するエレベーターや、燃え盛るマンションの中で、人命救助を行った。」
「暗殺者に命を狙われながらも生き残った。しかも情けから、その暗殺者を生かした。」
「子どもを助けるために、命を賭けて戦った。」
「暴力的な父親の手によって誘拐されそうになった子どもを、助け出した。」


 今思えば、偏った噂だったのだろう。尾ひれ背びれのついた、根も葉もない噂だったのだろう。
 しかし、蓮鳥は信じた。
 この人だ、と彼女は思った。


(この人ならきっと、「正しさ」を教えてくれるはず・・・) 


 正義を体現するような、そんな行動をとる人ならば、「正しさ」が何なのかを知っているはずだ。


(その人に会いたい。柳瀬優さんに会いたい・・・)


 蓮鳥は、お世話になった『白縫病院』を抜け出した。自分に食べ物と居場所をくれた人たちと別れるのは、惜しい気がしたけれど。
 それを差し引いてでも、柳瀬優と会いたかった。会って、「正しさ」を知りたかった。
 それを知ることが出来たならば死んでもいいとまで、彼女は思い詰めていた。
 「柳瀬優」の名前を名乗り、マンションに火を放ち、少女を誘拐し、柳瀬の気を引こうとした。
 派手な事件ではない。死人が出るような、大事件ではない。だが、それで充分だと思った。柳瀬に関係ある事件を起こせば、彼が目の前に現れると思っていたのだ。
 しかし・・・彼は現れなかった。


(もっと大きな事件を起こせば・・・もっと、「正しくないこと」をしなきゃ。あの国での生活を思い出して、「間違ったこと」をすれば・・・)


 彼の関係者を殺すことが出来れば、あるいは。
 殺した。
 生きるためではなく、ただただ自分の私利私欲のために、人を殺した。・・・・欲を満たすために。
 柳瀬優に会うためという、ただそれだけのために、『シンデレラ教会』のリーダーである、機桐はたぎりを殺した。
 『シンデレラ教会』への侵入も、機桐孜々の殺害も、難しいことではなかった。盗人時代の知識と経験があれば、容易たやすいことだった。
 殺して、満足した。
 殺して、納得した。
 自分はやっぱり「悪」なのかもしれないと、そう思った。
 「正しく生きること」。
 それは自分にとって、人を殺すよりもよっぽど難しいと感じた。
 そうして・・・・・ようやく、彼に会えた。
 ようやく、会えたというのに・・・・・。


(結局・・・)


 蓮鳥は死んだ目で、柳瀬を見つめる。


(結局、この人も駄目だった・・・・・)


 柳瀬は、蓮鳥の期待には応えなかった。
 いや、それどころの話ではない。
 彼ははっきり、「知らない」と言ったのだ。誤魔化すでもはぐらかすでもなく、はっきりと「正しさ」を否定した。
 蓮鳥を失望させるくらい、はっきりと。


(誰も・・・誰も「正しさ」なんて知らない)


 ならば、なぜ私は否定されなければならなかったんだろう?
 盗んだくらいで、殺したくらいで・・・・・生きようと必死になったくらいで。
 なんで、「お前は正しくない」と、後ろ指を指されなければならなかったんだろう?


(もういいや。・・・・もう、悩むのはやめた)


 「正しさ」を教えてくれる人なんて、どこにもいない。
 私が探していた「正しさ」の答えなんて、どこにもない。
 正しさを知らない奴なんて、死んでしまえばいい。間違えている奴なんて、生きていちゃいけない。
 まず、目の前の男を殺そう。
 「正しいこと」が何なのかも知らずに「正しさ」を装う、目の前の男を殺そう。
 ゆっくりと歩を進める。焦る必要はない。彼に、私の姿は見えない。
 先ほど数歩進んだ時点で、蓮鳥は『海沿かいえん保育園』の建物の影に入っていた。つまり、『とりやまい』はすでに機能している。
 機桐孜々と同じだ。わけも分からず、理解も出来ないままに、柳瀬優は死ぬ。


「・・・・・すまなかったよ」


 蓮鳥が柳瀬の目の前まで進んだとき、彼は呟いた。視線は、相変わらず定まっていない。蓮鳥を見つけようと、キョロキョロと辺りを見回していた。


「君の期待に応えられず、本当に申し訳なかった。『正しさ』を教えてあげられなくて、すまなかった」


 柳瀬はうなれた。


(・・・・・なんだ?謝罪のつもり?)


 蓮鳥は不信そうに、柳瀬を見つめた。


「『正しさ』を、もっときちんと考えながら生きるべきだった。そうすれば、君を傷つけることもなかった・・・」


 項垂れたまま、彼は言う。


「けれど・・・頼む。お願いだ。僕を、助けてはくれないかな?」


 殺さないでほしい。
 どうか、命だけは助けてほしい。


「お願いだ・・・僕は、死ぬのだけは嫌なんだ」


 死にたくない。死ぬのだけは、怖い。
 そう懇願する柳瀬の姿は。
 蓮鳥には、身に覚えがあった。





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