病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その18
蓮鳥鳩音は、気付いたときには一人だった。
親も兄弟も友人も、誰一人そばにはいなかった。自分の名前と命だけを持って、たった一人、町の外れでコソコソと暮らしていた。
機桐莉々のように、家出をしたわけではない。
信条陣のように、親を殺したわけでもない。
ただ、一人だった。
理由も分からず、一人になった。
親が彼女を捨てたのか、それとも彼女を手放さなければならない、何らかの事情があったのか・・・・・。今となっては分からないが、蓮鳥は、日本から遠く離れたどこかの国の、どこかの町で、一人で生きていた。
蓮鳥にとって生きることは、奪うことでもあった。
幼い蓮鳥には、「働く」とか「お金を稼ぐ」とか、そういう正常な生き方は出来なかった。日本語の通じない、まだ発展途上の国で、そんな生き方は不可能だった。
他人から、食べ物を奪った。
他人から、生きるために必要なものを奪った。
ときに奪い。
ときに殺した。
幸い蓮鳥は「奪う」ことに関して、他人にはない才能があった。
才能というよりは・・・『病』があった。
『鳥目の病』。
暗いところでは誰も、蓮鳥を見つけることは出来なかった。夜の闇の中ではもちろん、明かりのない室内や日陰など・・・とにかくそこに暗さがあれば、蓮鳥は姿を隠せた。蓮鳥の意志とは関係なく、彼女は消えた。
その『鳥目の病』を活かして、彼女は生き長らえた。奪いに奪い尽くして、彼女はなんとか生きた。
だが、周りの人間も、段々と蓮鳥に気付いていった。略奪と殺人を繰り返す彼女に、少しずつ気付いていった。
彼らは蓮鳥を、悪魔と呼んだ。「血も涙もない悪魔だ」と。
自分だけが生きるために他人から奪い、他人を殺す、どうしようもない極悪人だと言った。知らない国の言葉で、全部は理解できなかったけれど、彼らが自分をゴミのように嫌っていることは明白だった。
そんなことを言われても蓮鳥は、奪うことをやめなかった。殺すことをやめなかった。
だって彼女は、それしか知らなかったのだから。
奪って殺す以外に、生きる方法なんて知らなかったのだから。死なないようにするには、そうするしかなかったのだ。
(ああ)
と、蓮鳥は思った。
(私は、悪い人なんだな)
周りの人間にそう言われ、言われ慣れて、自分自身のことを悪人だと思うようになった。
(私は悪なんだ)
(私は間違っていて、周りのみんなは正しいんだ)
(いいなぁ。みんな、正しいことが出来て。私みたいに、悪いことをしなくて済むんだ。奪ったり、殺したりしなくていいんだ。助けたり、助けられたり、正しいことが出来るんだ)
(でも・・・私は生きなきゃ)
(死にたくないんだもん・・・・奪わなきゃ、殺さなきゃ)
そんな蓮鳥に救いの手を差し伸べる者は、誰一人としていなかった。
あいつを捕まえろ。
奴を殺せ。
八つ裂きにしてしまえ。
そんな風に追われる身になった頃、彼女は、自分の居場所を完全に失っていた。ゴミの掃き溜めのような所にまで追い詰められ、彼女はブルブルと震えていた。
悲しくはなかった。辛くはなかった。涙は、出てこなかった。
けど、死にたくはなかった。
死ぬのは怖かった。自分がこんなゴミまみれの中で死ぬんだと思うと、震えが止まらなかった。
(誰か、助けてくれないかなぁ・・・)
朦朧とする意識の中で、彼女はそんな風に願った。
苦しんでいる人の元へと颯爽と駆けつけてくれる、ヒーローのような存在を願った。
(こんな悪人の私だけど、どうしようもない奴だけど・・・誰かが私を助けてくれたりしないかなぁ・・・)
無理、なんだろうなぁ。
ヒーローが助けるのは、正しい人たちだ。
悪人を倒して、善人を救う。
悪人を助けるのは、ヒーローの役割なんかじゃ・・・・・。
「ふむ・・・君かな?君が、噂の子かな?」
虚ろな視線を向けると、男が立っているのが見えた。
白い。
真っ白な男だった。全身が白いのだから、派手、という言い方はおかしいかもしれないけれど、「派手な白さ」、という表現がしっくりきた。
短めの白髪に、シミ一つない真っ白なコート。白いパンツに巻いているベルトさえ、白い。ブーツに至っても、まるで今朝買ったばかりの新品かのように真っ白だった。
「建物の陰になっている半身が消えている・・・・・『鳥目の病』、か」
綺麗だ。そして、カッコいい。
決して、若々しい男という風ではない。短く切り揃えた白鬚や顔のシワから、そこそこの高齢であることが窺える。
だが、彼の発するダンディな雰囲気、鍛え上げたような屈強な体つきは、カッコいいと評してもいいのだろう。
なぜ自分の『病』のことを知っているのか気にならないくらいには、目を奪われた。
輝かしかった。
「なるほど・・・確かに噂通りだ。掃き溜めに鶴とは、まさにこのことだな」
ニッと、これまた白く輝く歯を光らせながら、男は微笑んだ。
「心配するな。安心したまえ。俺が、君を助けよう」
その声に。
自信と正しさに満ちた、その声に。
蓮鳥は無意識のうちに、手を伸ばしていた。
「助けて・・・・・」
人生で初めて、誰かに助けを求めた。
そして初めて、彼女を助ける者が現れたのだ。悪行三昧を尽くしてきた蓮鳥を、正しさの名の下に、助ける者が現れたのだ。
男は、その手を取った。
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