病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その17
彼女の目の奥の光が、みるみるうちに暗くなっていく。
絶望・・・・というか、失望しているのだろう。
そんな風に、僕は感じた。
「どうして・・・どうしてですか」
彼女は呟く。先ほどのような、決心や覚悟の籠った強い声ではない。
弱々しく、沈んだ声。
ブツブツと独り言のように、彼女は言った。
「ようやくここまで来たのに・・・ようやく、あなたに会えたっていうのに。どうして・・・そんなことを言うんです?」
「どうして、と言われてもね・・・」
彼女から目を離さないままに、僕は言う。
彼女と誠実に、まっすぐ向き合いって話がしたい。
と、思っているわけでは、もちろんない。
彼女と真面目に話し合う気なんて、毛頭ない。
僕はただ、警戒しているのだ。彼女の思考と行動力は、はっきり言って危険だ。彼女は、質問一つのために犯罪を犯し、人を殺し、ここまでやってきた。
そんな行動力は褒められたものじゃない。危険極まりない。
「知らない」。
「正しさなんて知らない」と、彼女の期待を裏切ってしまった手前、その怒りの矛先が、いつこちらに向くか分からない。いつでも、炉端さんに合図が出来るようにしておかなければならない。
「あなたは正しいことをしてきた。たくさんたくさん、人を救ってきた。そうでしょう?」
「・・・・・」
思わず、無言になってしまう。
・・・一体、誰の話をしているんだ?まさか、僕の話ではないよな?
もしかするとこの子は、とんでもない勘違いの末に、ここへやって来てしまったんじゃないのか?
嫌な想像が、脳裏を過る。
「暴走するエレベーターや、燃え盛るマンションの中で、人命救助を行ったんでしょう?」
「・・・・・・していないよ。そんなこと」
救ったのは、自分の命だけだ。エレベーターが暴走したときも、マンションが火事になったときだって、他人の安否のことなんか、頭の片隅にもなかった。
人命救助ならぬ、自命救助である。
「暗殺者に命を狙われながらも生き残ったと、そう聞きました。・・・しかも情けから、その暗殺者を生かしたって」
「・・・してないよ」
「子どもを助けるために、命を賭けて戦ったんでしょう?」
「してない」
「暴力的な父親の手によって誘拐されそうになった子どもを、助け出したって・・・」
「・・・・・・」
なるほど。と、僕は納得した。彼女には、そんな風に伝わってしまっていたのか。そりゃ、そんな英雄の伝説みたいなものを聞かされてしまえば、その人物に会いたくもなってしまうだろう。
さっきまでは呆れていたはずなのに、なんだか彼女が可哀想になってしまった。そんな噂話に翻弄されてしまった彼女が、少し気の毒だ。
だけど、それでも僕は。
してない。
と、言い切る。だんだんと彼女の顔が俯き、声が震えていくのを分かっていながらも、僕は言い切った。僕は否定した。
だって、していないのだ。
暗殺者である粒槍伝治を生かしたのは、情けからなんかじゃない。単に、その方が僕の生き残れる可能性が高いと踏んだからだ。
疫芽忠と命を賭けて戦ったのは、莉々ちゃんを助けるためなんかじゃない。自分が助かるためだ。
そして僕は、莉々ちゃんを助けてなんかいない。彼女が勝手に、『海沿保育園』で生きていくという道を選んだだけだ。父親よりも、組織をとった。それだけだ。
『海沿保育園』に引き戻すことで莉々ちゃんを救うことになったかどうかは、僕には判断出来ない。「助けた」とは、全然言い切れないのだ。
父親の元で暮らす方が彼女にとって幸せだったという可能性は、決して低くない。
「君が想像しているようなことは、僕は一つもしたことがない」
だから。
「正しいこと」なんて、何一つ知らない。正しさなんて、考えたこともない。
僕は答える。
彼女に嘘をつく必要はない。
だって彼女は、もうすぐ捕まるのだから。僕らの手によって、捕まるのだから。
もうこれ以上、僕の名前を使って犯罪はさせない。僕は、彼女のために無実の罪を負うつもりはない。
彼女には、諦めてもらおう。
「正しいこと」を追い求めるのも、僕への憧れも、諦めてもらう。
「じゃあ・・・」
と、彼女は顔を上げる。失望に失望を重ねたような、暗く沈み切った顔を、僕の方に向ける。
辛い。悲しい。
「私は、何を期待していたんだろう・・・」。
「どうして、こんな所に来たんだろう・・・」。
そんな彼女の心の声が、聞こえるようだった。
そして、そんな彼女の顔を見ても、まったく「悪い」とも「申し訳ない」とも思えない僕は。
きっと一生、「正しさ」なんて分からないのだろう。
「じゃあ・・・あなたは何なんです?」
正しくもないくせに、正しいことなんて何も知らないくせに。
自分を生かして、暗殺者を生かして、子どもを生かして。
一体、あなたは何なんですか?
「僕は・・・普通の人間だよ。その辺にいる、どこにでもいる、普通の奴だよ」
そんな、なんの意味もない自己紹介をしながら僕は、「そろそろ頃合いだな」と思った。
そろそろ炉端さんに、彼女を捕まえてもらう頃合いだ。
「なら・・・」
と、ギュッと握った彼女の手に、力が籠る。少しだけ、僕らに近づく。
おそらく、僕は見誤った。彼女を捕らえるタイミングを、完全に見誤ったのだ。本当は、彼女が現れてすぐに、捕まえるべきだった。
そうすればこの後の展開は、もう少しだけ楽になったかもしれないというのに。
「なら・・・・あなたなんか、殺してしまってもいいですよね?」
二歩、三歩とこちらに近づき。
彼女は、姿を消した。
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