病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その6

 
 時間は少しさかのぼる。
 具体的には、約一週間前くらいになるだろうか。
 『海沿かいえん保育園』での生活も一か月を迎えた、七月の上旬。この一か月間は、どうしようもなく果てしない戦いだった・・・・・。
 いや。
 そうじゃないか。
 実際に大変だったのは、「この一カ月間」ではなく、「この一カ月間のうちの、最初の一週間」だ。
 そして、ここでの生活が一か月を迎えたということは、ちゃんの事件から一か月を迎えたということでもある。
 嫌な事件だった。
 死にそうになった。
 今から考えれば、もうあんな真似は決してやりたくない。女の子を助けるための戦いも、父親との面倒くさい交渉も、もう二度と御免だ。自分の命のために戦うというならまだしも、誰かのために命を賭けるのは、もうこれっきりにしたい。
 そんなことを考えながら、僕はモーニングコーヒーをすする。
 うん。美味しい。
 さすがは、空炊からたきさんのれたコーヒーだ。
 あの事件に比べれば、ここ最近は平和なものだった。こうして、落ち着いてコーヒーを飲むことができるほどに平和だった。
 問題があるとすれば、「平和すぎる」ということだ。このままでは、この『やまい』の蔓延まんえんする世界観に慣れてしまう。馴染んでしまう。何かの拍子に、どさくさに紛れて『海沿保育園』を脱出しようと考えていたが、なかなかそのチャンスは巡ってこない。
 早く、元の生活に戻りたい。
 その気持ちは、一か月が経過した今でも変わらない。
 ただ、しんじょうさんや、おりさんの監視の目があるからなぁ・・・・・。なかなか上手くはいかない。僕が普通の現代社会に戻るのは、まだ先のことになりそうだ。


ゆうくん。少し、いいですか?」
「?・・・はい。なんですか?」


 僕が物思いにふけっていると、正面の椅子に、おきさんが静かに腰を下ろした。
 沖飛鳥あすか
 『海沿保育園』のリーダーであり、『ぜっの病』に侵された老人。
 この保育園に保護されている身である僕は、かなりお世話になっている。底抜けに優しいおじいさんで、初めて出会ったときには、あんぱんをわけてくれたものだ。
 彼の『絶死の病』については、その字面が全てを物語っている。何があっても死なず、何が起きても生き続ける体質・・・らしい。
 斬られようと、撃たれようと、飢餓状態にあろうと、どれだけ傷つこうと。
 いつまでもいつまでも、生き続ける。
 羨ましいものだ。
 とはいっても、僕はまだ、『絶死の病』を直接目にしたわけではないのだけれど・・・。
 莉々ちゃんの『治癒ちゆじょうの病』や、信条さんの『真空性しんくうせいげんのうぜんの病』のようには、『絶死の病』そのものの効能を、見たことはない。
 いずれ、見てみたいものだ。
 死なない人間っていうのは、一体、どういうものなのか。


「お話したいのは、粒槍つぶやり伝治つたうじさんのことなんです。一か月前に君の命を狙った彼ですが・・・彼の組織のことが、多少、明らかになりました」
「粒槍のこと・・・?本当ですか?」


 沖さんの言う通り、粒槍伝治は、僕の命を奪おうと狙ってきた男である。その『感電かんでんの病』を用いて、僕を殺そうとした。思えば、彼の行動が発端となって、僕は元の生活を失ったのだ。そう考えると、彼は僕の天敵であり、宿敵であるとも言えるかもしれない。
 天敵で、宿敵。
 ・・・・・嫌な響きで、最悪の縁だ。
 とはいえ、彼のことはこの一カ月間、よく分かっていなかったのだ。『感電死の病』を持つということ以外、謎のままだった。ばたじょうさんたちが調査をしてくれていたらしいのだが・・・ようやく、その成果が上がったということなのだろうか?多少、という表現が気になるけれど・・・。


「ええ。どうやら彼は、『白羽しらはね病院』に所属しているようです」
「白羽・・・病院?」


 えっと・・・病院?
 確かに、彼は『病持ち』なわけだが・・・そうはいっても、患者として治療を受けているというわけでもないだろうに。


「患者、ではありませんね。彼は、『白羽病院』の職員である・・・・というのが、情報を組み合わせた上での結論です」
「・・・職員?」


 ますますよく分からなくなってきた。人の命を救う立場であるはずの病院の職員が、なぜ僕を殺そうとしたんだ?


「患者、ではなく、職員ですか・・・・・。一体、その『白羽病院』っていうのは、どういう組織なんですか?まさか、ただの病院ってわけでもないんでしょう?」
「『白羽病院』の組織構造や形態については、未だ明白ではない点が多いのです・・・。ただ、はっきり言えるのは、『白羽病院』もまた、私たち『海沿保育園』と同じ方針で動く組織であるということです」
「この保育園と同じ・・・ってことは、『病持ち』を保護する組織だということですよね?」


 そういえば粒槍自身も、自分の組織のために僕を殺しに来たと言っていた。自分と同じ『病持ち』の人間を守るために、僕を殺すと。


「そういうことになりますね。とはいえ、組織としての規模は、『海沿保育園』よりよっぽど大きいですが。なにしろ『白羽病院』は、とある巨大な病院グループを構成する、一つの病院でしかありませんから」
「・・・どういうことです?」
「『白縫しらぬいグループ』。『病』に関わる組織としては、国内最大級の組織です。組織の規模だけで言えば、他の追従を決して許さないでしょうね。『海沿保育園』や『シンデレラ教会』の規模なんて、足元にも及びません」
「はあ。そんな組織があるんですね。知りませんでしたよ」


 てっきり、『病』に関わる組織は小規模なものばかりだと思っていたが・・・どうやら、そうでもないようだ。


「そして、その『白縫グループ』を支えているのが、一つの大病院と、五つの病院ですね。具体的に名前を挙げるならば、『白縫だい病院』を中核として、『白縫病院』、『白羽病院』、『しろ病院』、『白峰しらみね病院』、『白鐘しろがね病院』で構成されています」


 ・・・なるほど。
 それなら突き詰めると、粒槍伝治は、『白縫グループ』という巨大組織の一員ということになるのか。 
 そんな組織に命を狙われていると思うと、身震いが止まらないが・・・・・それほどまでに大きな集団に殺されかけているとは、思ってもみなかった。
 あれ?というか・・・『白縫病院』?
 『白縫病院』、だって?
 僕はその病院を、知っている。確か・・・・・そうだ。それこそ、粒槍に初めて襲われたときに入院したのは、そんな名前の病院ではなかったか?


「沖さん。その『白縫病院』って・・・」


 と、言いかけたタイミングで、保育園の玄関の方からチャイムが響く。


 その訪問者の、にこやかな笑顔も。
 僕は、知っていた。





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