亀専門の画家
後日談:好きになれない作品
「それでー?甲宮仙治には会えたのかーい、ともだちー」
三日後。
甲宮さんの例の絵画と向き合ってから、三日が経過した、平日の夕方。
僕は、初めて甲宮仙治の名前を聞いたあの日のように、学校からの帰り道を友人と供に歩いていた。
「せっかく連絡先教えてあげたのに、そのことなんにも話さないからさー……もしかして、会えなかった?」
そういえば、甲宮さんとの面会については、彼女に何も話していなかった。確かに、そもそも甲宮さんと会うきっかけを作ってくれたのは彼女なのだから、話すのがマナーというものだろう。
最後に見たあの絵があまりにも衝撃的すぎて、そういった気遣いにまで頭が回っていなかった。痺れを切らして向こうから聞いてくれたから良いものの、そうでなければ、話さないままだったかもしれない。
「うん、甲宮仙治には会えた。一応、会えた――んだと思う」
「ふうん?それにしちゃ、なんだか不満そうだね?」
「不満っていうか……なんか、うーん――複雑な気分なんだけどさ……」
あの後、結局、甲宮さんに上手く声をかけることも出来ないまま、お礼の菓子折を半ば強引に彼に押し付けるようにして、僕は家を出た。
やはり、あの場所で僕が出来ることなんて、何一つなかったのだ。「これからも応援しています」なんて、適当なことを言いながらさっさと消えるのが、僕の精一杯だった。
いや――そんなのは言い訳で、実際は、耐えられなかっただけかもしれない。
落ち込んだ甲宮さんを見続けることにも、あの絵の前に居続けることにも、僕は耐えられなかったのだ。
彼という大きすぎる存在は、僕にとって毒だった。
僕が今まで見てきた絵画と、甲宮さんが描いた絵画は、あまりにも違いすぎる。
存在している環境が――世界が違う。目の前にあるのに、まるで、異次元に存在している絵画を見ているかのようだった。
異次元の画家――逸脱しすぎた画家。
それが、甲宮仙治のありのままの正体だった。
なのでこれ以上、彼という画家の本質や真実について、僕は語れない。あれが甲宮仙治のすべてであり、追記できる事実はもう何もない。一部の隙も無いほどに、彼という画家は埋め尽くされている。
だから、ここから先は、ただの僕の考察だ。
答え合わせも採点もない、ただの妄想。
下衆の勘繰り。
「期待外れだった?予想してた人物像と全然違った、とか?」
「期待外れか――もしかすると、そうだったのかもしれないな。想像と現実の振れ幅が大きすぎたって意味では」
甲宮さんは紛れもなく、『亀専門の画家』なのだろう。それはこの先、何があっても揺るがない。
何故なら彼は、亀を上手く描けるからそう呼ばれているわけではないからだ。
亀以外のものを絶対に描けない。
どんな対象であっても亀として描いてしまうが故に、そういう画家に成らざるを得なかっただけなのだから。
人間だろうが植物だろうが物だろうが。
そんな些細な違いは、関係ない。
すべて、亀として表現する。
彼には一体、世界がどういう風に見えているのだろう。亀に置き換えるのではなく、そもそもすべてが亀に見えている彼は、何を感じて何を味わって――どんなことを思うのだろう。
誰にも理解されない世界を抱えて。
これまで、どうやって生きてきたのだろう。
……きっと、苦しいはずだ。
自分の描いた絵を他人に見せようとする度に、相手の体調を心配しなくてはならないなんて――自分を表現するのに、細心の注意を払わなければならないなんて。
絵を見てもらいたい。
ただ、それだけなのに。
……甲宮さんの気持ちは、僕には分からない。
そんな才能、タダであげると言われたってお断りだ。
と、そういった愚にも付かない戯言を友人に伝えると、彼女は再び「ふうん」と興味なさげに返事をした。
「才能が苦しい、ねぇ……そんなの、贅沢な悩みだと思うけどなぁ。それだけ異常に飛び抜けた才能であっても、欲しいって言う人はいると思うし」
「……お前が言っても、説得力無いけどな」
彼女は彼女で、常人には無い才能の持ち主なのだ――甲宮さんほどではないにせよ、一般人と同じ括りに入れるべきではない。
「そう僻むなよ、友人」
「僻んでないさ、友達」
肩を竦めてみせる僕。対する彼女もまた、「あっそ。だよねぇ」と、ふざけて笑うだけだった。
いつも通り、だ。
「それに、甲宮仙治が本当に、本心から自分の才能を悩ましく思ってたかどうかは分からないでしょ。案外、悩むフリをしながら、自分の作品の出来映えを見せつけたかっただけかもしれないよ?」
「でも、そんなこと……する理由がないだろ?」
「あるよ。そうすれば、嫌みを感じさせることなく、むしろ同情を誘いながら、自分の作品自慢が出来る。人間的に弱みがあるほうが、ファンに気に入られやすいだろうし」
言って、自分の顔を僕のほうに傾け、「私みたいにねー」と戯ける友人。
僕は反応しない。
そのジョークには、さすがに頷けないよ。
お前のことを知りすぎた友達としては、ノーコメントを貫くしかない。
「……その絵、実際、すごく綺麗だったんでしょ?」
僕の反応――というか、無反応を受け、元の姿勢に戻る彼女。
つまらないけど安心、といった風な表情である。
「結構、自信もあったんだろうね。自分で傑作とか言っちゃうくらいだし。良いなぁ――私も、ちょっと見てみたかったかも」
「お前の時は、結局最後まで甲宮さんの絵を見なかったのか?」
「そうだねー。というか、私と甲宮仙治は、相性が悪かったんだと思う」
「え――そうなのか?」
「うん。実は、あんまり会話が弾まなかった」
少し意外だ。
絵の才能がある者同士、上手くいったのだと思い込んでいたけれど……そう単純にはいかないということか。
「だから、本当のところは少し羨ましいよ。『亀専門の画家』の絵を、直接見れるなんてさ」
「お前に羨んでもらえるなら、見てきた甲斐があったよ」
「僻むぜ」
「僻むな」
僻む段階までいくと、ちょっと怖い。こいつの負の感情というのは、全然手に負えないのだ。
ほんの少しだけ距離を置こうかな……いや、そんなことをしたら、余計に神経を逆撫でしてしまうか。
自然体自然体。
「ま、そういうわけで――」
ちょうど水棲動物専門のペットショップに差し掛かったところで、ぐっ――と伸びをしながら、彼女は空を仰ぐような身振りをする。緊張感のようなものがほぐれたのか、スキップみたいな足取りで僕の前を歩く――敢えて、歩調は合わせていないのだろう。
「そんな画家のことは、忘れちゃいなよ」
「どういうわけだよ……まあ、言われなくとも、ずっと記憶しておきたいような経験ではなかったな」
なるべくウインドウの亀を見ないようにしながら、僕は苦笑する。あれ以来、本物だろうが写真だろうが、亀を見るのが少し怖くなってしまった。
これからは、なるべく目を逸らしていきたいところだ―—亀からも、甲宮さんからも。
最後には、何も共有できず、笑顔すら浮かべられず、境界線を一歩も踏み越えられないまま、彼との邂逅は終わっていく。
何も変わらない。
プラスマイナスゼロに、戻っただけ。
「あんな経験、本当にもうたくさんだ――甲宮さんとは、これっきりにしたいよ」
「そうだね」
「……幸せな画家になってほしい、とは思うけどな」
「それには同意」
「でも、やっぱり僕は、彼の作品を好きにはなれない」
「ありがとう。それじゃ――」
くるり、と不意に彼女が振り返る。
スカートが翻り、長い髪の毛が揺れる。
棒立ち。飾らない、ありのままの立ち姿。
この景色に表題をつけるとすれば。
『見返す美人図』。
逆光で表情がよく見えないのが残念だが、それはそれで美しい。
彼女の唇が動く。
「これからも、私の作品を愛してね。友達」
「うん、約束だ。友人」
彼女は、「良し。合格」と笑って、再び前を向いた。
やはり、そうだったのか。
彼女が、僕を甲宮仙治に会わせようとした意図はきっと……。
僕は無意識に、首元に手を添える。
……これは、道。
何処かの誰かが、何処かの誰かという作品を愛するための、修行道。
僕はその道を。
ゆっくりと、歩く。
三日後。
甲宮さんの例の絵画と向き合ってから、三日が経過した、平日の夕方。
僕は、初めて甲宮仙治の名前を聞いたあの日のように、学校からの帰り道を友人と供に歩いていた。
「せっかく連絡先教えてあげたのに、そのことなんにも話さないからさー……もしかして、会えなかった?」
そういえば、甲宮さんとの面会については、彼女に何も話していなかった。確かに、そもそも甲宮さんと会うきっかけを作ってくれたのは彼女なのだから、話すのがマナーというものだろう。
最後に見たあの絵があまりにも衝撃的すぎて、そういった気遣いにまで頭が回っていなかった。痺れを切らして向こうから聞いてくれたから良いものの、そうでなければ、話さないままだったかもしれない。
「うん、甲宮仙治には会えた。一応、会えた――んだと思う」
「ふうん?それにしちゃ、なんだか不満そうだね?」
「不満っていうか……なんか、うーん――複雑な気分なんだけどさ……」
あの後、結局、甲宮さんに上手く声をかけることも出来ないまま、お礼の菓子折を半ば強引に彼に押し付けるようにして、僕は家を出た。
やはり、あの場所で僕が出来ることなんて、何一つなかったのだ。「これからも応援しています」なんて、適当なことを言いながらさっさと消えるのが、僕の精一杯だった。
いや――そんなのは言い訳で、実際は、耐えられなかっただけかもしれない。
落ち込んだ甲宮さんを見続けることにも、あの絵の前に居続けることにも、僕は耐えられなかったのだ。
彼という大きすぎる存在は、僕にとって毒だった。
僕が今まで見てきた絵画と、甲宮さんが描いた絵画は、あまりにも違いすぎる。
存在している環境が――世界が違う。目の前にあるのに、まるで、異次元に存在している絵画を見ているかのようだった。
異次元の画家――逸脱しすぎた画家。
それが、甲宮仙治のありのままの正体だった。
なのでこれ以上、彼という画家の本質や真実について、僕は語れない。あれが甲宮仙治のすべてであり、追記できる事実はもう何もない。一部の隙も無いほどに、彼という画家は埋め尽くされている。
だから、ここから先は、ただの僕の考察だ。
答え合わせも採点もない、ただの妄想。
下衆の勘繰り。
「期待外れだった?予想してた人物像と全然違った、とか?」
「期待外れか――もしかすると、そうだったのかもしれないな。想像と現実の振れ幅が大きすぎたって意味では」
甲宮さんは紛れもなく、『亀専門の画家』なのだろう。それはこの先、何があっても揺るがない。
何故なら彼は、亀を上手く描けるからそう呼ばれているわけではないからだ。
亀以外のものを絶対に描けない。
どんな対象であっても亀として描いてしまうが故に、そういう画家に成らざるを得なかっただけなのだから。
人間だろうが植物だろうが物だろうが。
そんな些細な違いは、関係ない。
すべて、亀として表現する。
彼には一体、世界がどういう風に見えているのだろう。亀に置き換えるのではなく、そもそもすべてが亀に見えている彼は、何を感じて何を味わって――どんなことを思うのだろう。
誰にも理解されない世界を抱えて。
これまで、どうやって生きてきたのだろう。
……きっと、苦しいはずだ。
自分の描いた絵を他人に見せようとする度に、相手の体調を心配しなくてはならないなんて――自分を表現するのに、細心の注意を払わなければならないなんて。
絵を見てもらいたい。
ただ、それだけなのに。
……甲宮さんの気持ちは、僕には分からない。
そんな才能、タダであげると言われたってお断りだ。
と、そういった愚にも付かない戯言を友人に伝えると、彼女は再び「ふうん」と興味なさげに返事をした。
「才能が苦しい、ねぇ……そんなの、贅沢な悩みだと思うけどなぁ。それだけ異常に飛び抜けた才能であっても、欲しいって言う人はいると思うし」
「……お前が言っても、説得力無いけどな」
彼女は彼女で、常人には無い才能の持ち主なのだ――甲宮さんほどではないにせよ、一般人と同じ括りに入れるべきではない。
「そう僻むなよ、友人」
「僻んでないさ、友達」
肩を竦めてみせる僕。対する彼女もまた、「あっそ。だよねぇ」と、ふざけて笑うだけだった。
いつも通り、だ。
「それに、甲宮仙治が本当に、本心から自分の才能を悩ましく思ってたかどうかは分からないでしょ。案外、悩むフリをしながら、自分の作品の出来映えを見せつけたかっただけかもしれないよ?」
「でも、そんなこと……する理由がないだろ?」
「あるよ。そうすれば、嫌みを感じさせることなく、むしろ同情を誘いながら、自分の作品自慢が出来る。人間的に弱みがあるほうが、ファンに気に入られやすいだろうし」
言って、自分の顔を僕のほうに傾け、「私みたいにねー」と戯ける友人。
僕は反応しない。
そのジョークには、さすがに頷けないよ。
お前のことを知りすぎた友達としては、ノーコメントを貫くしかない。
「……その絵、実際、すごく綺麗だったんでしょ?」
僕の反応――というか、無反応を受け、元の姿勢に戻る彼女。
つまらないけど安心、といった風な表情である。
「結構、自信もあったんだろうね。自分で傑作とか言っちゃうくらいだし。良いなぁ――私も、ちょっと見てみたかったかも」
「お前の時は、結局最後まで甲宮さんの絵を見なかったのか?」
「そうだねー。というか、私と甲宮仙治は、相性が悪かったんだと思う」
「え――そうなのか?」
「うん。実は、あんまり会話が弾まなかった」
少し意外だ。
絵の才能がある者同士、上手くいったのだと思い込んでいたけれど……そう単純にはいかないということか。
「だから、本当のところは少し羨ましいよ。『亀専門の画家』の絵を、直接見れるなんてさ」
「お前に羨んでもらえるなら、見てきた甲斐があったよ」
「僻むぜ」
「僻むな」
僻む段階までいくと、ちょっと怖い。こいつの負の感情というのは、全然手に負えないのだ。
ほんの少しだけ距離を置こうかな……いや、そんなことをしたら、余計に神経を逆撫でしてしまうか。
自然体自然体。
「ま、そういうわけで――」
ちょうど水棲動物専門のペットショップに差し掛かったところで、ぐっ――と伸びをしながら、彼女は空を仰ぐような身振りをする。緊張感のようなものがほぐれたのか、スキップみたいな足取りで僕の前を歩く――敢えて、歩調は合わせていないのだろう。
「そんな画家のことは、忘れちゃいなよ」
「どういうわけだよ……まあ、言われなくとも、ずっと記憶しておきたいような経験ではなかったな」
なるべくウインドウの亀を見ないようにしながら、僕は苦笑する。あれ以来、本物だろうが写真だろうが、亀を見るのが少し怖くなってしまった。
これからは、なるべく目を逸らしていきたいところだ―—亀からも、甲宮さんからも。
最後には、何も共有できず、笑顔すら浮かべられず、境界線を一歩も踏み越えられないまま、彼との邂逅は終わっていく。
何も変わらない。
プラスマイナスゼロに、戻っただけ。
「あんな経験、本当にもうたくさんだ――甲宮さんとは、これっきりにしたいよ」
「そうだね」
「……幸せな画家になってほしい、とは思うけどな」
「それには同意」
「でも、やっぱり僕は、彼の作品を好きにはなれない」
「ありがとう。それじゃ――」
くるり、と不意に彼女が振り返る。
スカートが翻り、長い髪の毛が揺れる。
棒立ち。飾らない、ありのままの立ち姿。
この景色に表題をつけるとすれば。
『見返す美人図』。
逆光で表情がよく見えないのが残念だが、それはそれで美しい。
彼女の唇が動く。
「これからも、私の作品を愛してね。友達」
「うん、約束だ。友人」
彼女は、「良し。合格」と笑って、再び前を向いた。
やはり、そうだったのか。
彼女が、僕を甲宮仙治に会わせようとした意図はきっと……。
僕は無意識に、首元に手を添える。
……これは、道。
何処かの誰かが、何処かの誰かという作品を愛するための、修行道。
僕はその道を。
ゆっくりと、歩く。
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