亀専門の画家

ぢろ吉郎

住み家

 芸術家には、変わり者が多い。
 これは、もちろん僕の愚直ぐちょくな偏見だと自覚しているけれど、それでも、亀を専門に描く画家と聞いて、それをごく普通の一般人だと予想することは、僕には出来なかった。
 正直、相当の変わり者だろうと、想像力豊かに予想していた。強い言葉を使わせてもらえるならば、よっぽどの変人なのだろうと、勝手に断定していたのだ。
 だからこそ、あの限定的に人懐っこい友人に、「どう?会ってみたくなったでしょ?どうどう?」としつこく質問されたときは、即座に「ノー」と答えた。
 会うなんてとんでもない。
 僕は絵画かいがが好きだが、画家も好きだというわけじゃないんだ。
 どんなに有名で素晴らしい絵画も、一度世に出てしまった以上、それは作者から切り離された一作品になる。親元から巣立った子供が社会の荒波に揉まれるように、作者の手を離れた作品は、世間の目にさらされながら、あらゆる評価を受けることになる。画家がどういう思いでどういう技術をもって、その絵画を描いたのか――ほとんどの人間は、それを知らないままに作品を鑑賞することになるのだ。
 それでいい、と僕は思う。
 誰もが自由に、見たまま感じたままにその作品を受け止めればいいと、そう思う。要するに、作品と作者は別――というのが、僕の意見であり、生意気なこだわりだ。
 僕は、自分だけの見方で、自分だけの感性で、作品に触れたい。絵を構成する一つ一つの部品を、自分なりの感覚で解体し、読み解きたいのだ。その感覚を、他人の意見や画家本人のこだわりで狂わされたくはない。評論家気取りだと思われてしまうかもしれないが、これが僕なりの絵画の楽しみ方なのだ。……まあ、例外もあるのだけれど、その話はひとまず横に置いておこう。 
 そんなわけで、画家から余計な影響を受けたくないひねくれ者の僕は、『亀専門の画家』こと、甲宮こうみやせんに会うことはなかった。
 ……となれば、話は単純だったのだけれど。
「初めまして、甲宮仙治です」
 ゆっくりと玄関扉を開け、屈託くったくのない笑顔で僕を迎え入れてくれた男は、そう名乗った。
「お待ちしておりましたよ」
 言いながら彼は、うやうやしく頭を下げた。まだ若い画家だとは聞いていたが、想像していたよりもかなり若く見える。男子高校生の中では平均的な身長である僕よりも頭一つ分背丈せたけが低いことや、柔和にゅうわで優しそうな丸っこい童顔どうがんが、彼の若々しさに拍車をかけているのだ。事前の知識がなければ、この子供っぽい男が画家だとは、とても思えなかっただろう。
 ……そう。
 あれから二週間後の現在、僕は甲宮仙治の住居を訪れていた。
 釈明しゃくめいさせてもらえるならば、僕は本当の本当に、彼の元を訪れるつもりはなかったのだ。あれだけ長々と絵画鑑賞に関する拘りを説いておいて、いざ画家に直接会える機会を手に入れてみると、そのチャンスを活かしたくてたまらなくなってしまった――というわけではない。
 あの親切でご丁寧な友人は、「まあ、気が変わることもあるかもしれないし」と言って、甲宮仙治の連絡先を教えてくれたのだ。
 ちなみにそのときの友人の表情といったら、「ニヤニヤ」という擬音が張り付いているんじゃないかと思うほど嫌な笑顔だった。
 ……多分、分かっていたんだろうなぁ。
 いろいろ言い訳をしつつも、僕が結局会いに行ってしまうことを見透みすかしていたのだろう。
 絵画マニアの間では有名人である画家の連絡先を、そんなに簡単に知ってしまっていいのか?という躊躇ためらいの気持ちが一瞬芽生えたのだが、やはり、好奇心には勝てなかった。
 亀を専門に描くという奇異な画家――一体、どんな人物なのか。
 どんな思いで、どんな感情を込めて、絵を描いているのか……僕としたことが、気になってしまった。
 なんたる不覚。
 本当に迂闊うかつだった――こんなにも簡単にあっさりと、好奇心に駆られるままに画家の住居を訪れてしまうだなんて。
 ……よし。
 言い訳、終了。
 自己完結とは、便利な言葉だ。
「あの……どうされました?随分と難しい顔をされていますが……」
「いえ――お気になさらず。ここまで来るのに、少し疲れてしまって」
「あはは、辺鄙へんぴなところにあるでしょう?この家は。町からここまで登ってくるのは、骨が折れますよね」
 いや……辺鄙なところ、という言い方では少し足りない気がする。
 彼の住まう家は、町の中心から電車を乗り継ぎ、町の端にある停留所から発車するバスに揺られ、さらに山道を登った先に建っていたのだ。それも、ろくに手入れされていない竹林の中に廃墟はいきょのようにポツンと存在していたため、発見するのに余計に時間がかかってしまった。 
 結局、家を出てからここに辿り着くまでに要した時間は約二時間半。
 同じ町に住んでいるとはいっても、それはもうほとんど嘘に近い事実なのではないだろうか。
 山奥の住民を指して同じ町の人間だと言われても、素直に納得は出来そうにない。
「甲宮先生は、どうしてこんな山奥に住んでいるんです?不便じゃありませんか?周りに何もありませんし……」
「不便なことは間違いありませんね。基本的な衣食住が、ぎりぎり満たせるくらいですよ」
 そんなのはまるで苦にならないとでも言いたげな調子で、彼は語る。
「でも、そういう環境は、私のような世捨て人にとっては非常に馴染なじみやすい。居心地が良い、と言いますかね」
 竹林を眺める彼につられて、僕もそちらに視線を向ける。馴染みやすい――しかし、それにしたって、ここまで世俗せぞくから離れた環境に身を置く必要は、ないように感じる。 
 少なくとも僕は、一生かけてもこんなところでの生活は好きになれないだろう。
「この家、絵を描くには最高ですよ。周りには、最低限の人と物だけ――皮肉にも私は、人間的な生活から離れれば離れるほど、絵描きとしての感性が磨かれるようです」
 ふぅ……と小さく溜息をついたかと思うと、彼は足下を軽く蹴るような動作をした。
 コツンと、振動が床に伝わる。
「さて、疲れていらっしゃるのに、立ち話は辛いでしょう。中にご案内しますよ」
 お茶でも飲みながら、ゆっくりとお話しましょう――そう言いながら背を向けた彼に、僕は戸惑いながらもついて行く。
 奇妙な場所に来てしまった、と思う――来てしまってからそんなことを考えるのも、せん無い話ではあるが。
 画家のアトリエを訪れたというよりは、未開の無人島に足を踏み入れてしまったというような、妙な感覚。
 うかうかしていると、まれてしまいそうだ。
 亀には雑食性の種類が多い、というのをどこかで読んだ覚えがある。
 ……どうでも良いことを思い出してしまった。

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